第9話「硬くて長くてふにゃふにゃ」

 タテナシさんの研究室。


 とは言っても、大学で用意されている部屋ではない。近所のアパート、タテナシの部屋だ。


 大丈夫なのか?


 俺は考えてしまうが、大丈夫らしい。


 コンクリート製の要塞みたいな、重苦しくて景観に配慮していなさそうなアパートだが、内装はちょっとしたホテルのようであり、管理人がいた。


 二四時間対応だそうだ。


……普通のアパートじゃないだろ。


「大学のなかではやらないんだな」


「ツナくん。僕は一期生なんだよ? 教授も院生もいて手狭な大学の研究室に、いきなり空きができるわけ無いじゃない。器材も貸してはくれないし、講義以外の相談もダメー! な、ものよ」


 そういえばそうだったか。


「アパートだと違うのか?」


「違わないけど……小さいことくらいなら僕の好きにできる。大学レベルの道具が必要なものばかりじゃないから」


「まッ、なんでもいいさ。そんなことよりも、タテナシが研究しているソフトロボが気になるぞ! 硬い連中は知っているが柔らかいのは全然知らん。タコみたいなのなんだろ?」


「ツナくん子供だねぇ。でも驚かせちゃうよ」


 と、タテナシはカードを入口のリーダーに滑らせて開けた。オートロックか。


「あー!」


 奇声が響いた。


 男が、俺かタテナシさんを指差す。


 あッ!


 お前はタテナシさんをナンパしてた男!


 タテナシさんと同じアパート住みなのか!


「テメェのせいで!」


 と、男はえらいすごんでくる。


 アパートの一階オープンスペースにいた人らが、なんだ、なんだ、と、注目し始めていた。管理人の目がけわしくこっちを見ている。


「俺は罰金喰らったんだぞ!? 変態タコ女の子のせいでな! なんで俺が! しかも親や学校にチクられるわ、バイトも首にされるわ、法令違反で半年の猶予中の監視だわで、これからどうやって生きてきゃいいんだっつってんだ!」


 男はガオオンッと吼える。


 どうしようもないのだ。


 受けたものは変えられない。


 そこから別の生き方をするしかない。


「タテナシさんの部屋て何階?」


「三階。375号室」


 俺はエレベータのボタンを押す。


 八階のランプが、七階に降りた。


「お、俺を無視すんじゃねぇ!!」


 男が顔を真っ赤にしていた。


 男は腕を弓のように引いて、拳を完全に振り上げている。後も先も無くなったやぶれかぶれ、自暴自棄だ。


「タテナシさん、危ない」


 と、俺はタテナシさんの肩を持ち、ひょい、と、少しズラした。……ふわり、と、なびくくせっ毛な髪から良い匂いがした。シャンプーだ。


 男の拳がエレベータドアに当たった。


 軽合金は大きく変形していた。


 男の拳もまた固く握ったままそうなった。


「〜ッ! この変態タコを知ってるか!?」


 と、男は大声でわめく。


「変態女さ。他人に、下の口で食ってるのを見せつけて喜ぶ異常者だ。そんなバカ女と付き合うなんて、あんたも好きものだなァ? あァッ? はッ! テメェらはどんな変態プレイしてんだ? すげぇんだろうな! スキュラ種族のタコ女に、人だものなァ!!」


 俺は、少し考えてから口を開いた。


「たぶん、貴方は誤解してる。いろんな人が世界にはいるよ。誤解してしまうようなすれちがいだってあるんだ。思ったままに押し付けてしまうのは、フェアじゃない」


 エレベータが来た。


 ドアが開いて中から住人が出る。


 俺はタテナシさんの手を引いた。


「だから、俺はこれからタテナシさんを知っていく。知って、全部受け入れていく。ダメなら逃げるさ。だが今知ってるタテナシさんのたくさんのことは、俺は好きだ」


「はァ〜!?」


 俺はタテナシさんと一緒にエレベータへ。


 するりと、逃げてしまうように滑りこむ。


 ドアが閉まるなか男に影が近づいていた。


 ハーピーとラミアの警備員だった。


 エレベータのなかでタテナシさんが言う。


「ツナさん、僕と一緒に食事しよう!」


「……なんでそんな照れた顔なんだ?」


 ははは、と、笑いながらアパートへ。


 俺はアオと遭遇した。



「タテナシって言います」


「わしはアオじゃ」


 アオとタテナシの邂逅。


 場所はタテナシの部屋。


 立ち会いは俺。


 ちなみに今、アオに尻尾の一本が、あたかも逃がさないようにと言わんばかりに俺の腋を抱いている。


 残りの八本の行方は、タテナシだ。


「ツナさんは、アオさんの恋人ですか?」


「そうじゃな。そうじゃろうともなぁ?」


 と、アオが俺を見る。


 アオの尻尾の締まりが強まった。


 だがこれは俺の自業自得なのだ。


 アオという最愛がいながらも、アオに疑わせるほど、タテナシに近づいたのが悪いのだ。


 俺は不貞を働いていたのだ。


 ふと、アオの尻尾が離れた。


「恋人……そうじゃな……」


 アオの尻尾がしょんぼりしていた。


 アオらしくはないな……。


「タテナシさん。恋人とはなんじゃ?」


「え!?」


 そりゃ、タテナシさんも驚くだろ。


「恋人……子作りのリハーサルをする関係ですね! お試し期間です」


 いや、答えおかしいだろ、タテナシさん。


 恋人というのは利害を超えて、愛しあう、世界から区別される伴侶を見つける儚くも純粋な関係性のことだろ。


 アオとタテナシさんがこっちを見た。


…………なんだ?


「タテナシさん。おぬし、ツナの浮気相手なのかや?」と、アオがとんでもないことを口走る。


 それは聞き捨てならない。


 俺は抗議しようとしたが!


 アオの尻尾に黙らされた。


 アオの尻尾が尻を割ってくる。


「それは……」


 予想外に、タテナシさんは動揺した。


 タテナシさんは言いよどんで続けた。


「……こ、答えられません……」


「そうか……」


 超低温な空気である。


 アオはため息を吐く。


 尻尾の気勢は戻らない。


「アオ!」


 俺はアオを抱きしめた。


 気合いで腕を伸ばし、アオの豊かな尻尾もろとも、彼女の肉体の全てを包んだ。我が愛はアオに向いている。それを疑わせてすまぬ!


 愛を抱擁しよう!


 普通に尻尾に叩き潰された。


「何を言うとるんじゃ貴様……」


「純粋な俺の気持ち……」


 アオはどん引きしていた。


 失礼すぎる、純愛なのに。


「安心せい。少し気になっていただけじゃ。トオルからはタテナシさんの話を、わしも聞いておったからな。なるほど、ツナなら拾うたがるだろうと気にしておった。気になったまでじゃ」


「浮気を疑ってたのほんとだろ」


 アオはそれとなく尻尾を振る。


 尻尾に強めのビンタされたんだが?


「タテナシさん。ツナをよろしゅう」


「任されました? で、あってるのかな?」


 アオが口元を隠しながら笑う。


 アオが上機嫌だと俺も嬉しい。


「学生か。タテナシさんが気にしておる講義、そこのツナとともに聴講するが良い。なんぞ吹っ切れるやもしれんぞ?」


「他種交流の講義?」


 と、タテナシが具体的な講義名を出す。


 アオは満足気に深くうなずいてみせた。


 悪のワーフォックスを感じるの俺だけか?


「さぁ! 勝手ながら出前を頼んでおいた。なぁにわしに払わせておくれ。みなで親睦会といこうではないか。将来の後輩のためにも」


 なお、アオは撃沈していた。


 原因はタテナシの酒瓶ラッパ飲みである。

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