第5話「かしこみかしこみ世界樹さま」
「相変わらずデケェ……」
微妙にあぶれたというか、はぐれたというか、偶然、一人になったのは例年どおりなので、いつも通りにした。
見上げるのは世界樹だ。
鎮樹祭のいつもの相棒。
──あ。
世界樹は寂しがり屋だ。
それは苗木でも変わらない。
まあ害樹なので駆除あるが。
邪聖剣学園の世界樹は、確か……四〇〇〇年くらいの樹齢だったか。遥か古代から『苗木』というのも不思議な話だ。
そんなことを考えながら杏酒を口に含む。
トオルさんが「少しは酒に慣れろ」と差し入れてきた果実酒だ。ジュースみたいな味で、炭酸水とは違う、ちょっと苦いようなアルコールを感じるが、飲める酒だった。
杏酒の他には葡萄酒もある。
どちらも飲みやすいとのことだ。
こっちはもう少し後で開けよう。
「世界樹、か」
杏酒をもう一口飲む。
世界樹の下でどんちゃん騒ぎをする。
鎮樹祭の始まりは、寂しがり屋の世界樹が原因だと聞いたことがある。正確には、神樹だとして世界樹周辺を禁足地にしたら、世界樹から一方的に水分やら魔力やらが吸い上げられて土地が死に、世界樹も立ち枯れしかけて、捕食端末の葉っぱをばら撒き始めたとかいう、恐ろしい話だ。
人を集めるのは肥料だ。
言い方は、少し悪いが。
人や生き物が多く、それらから放たれる栄養を受けて世界樹は、丸い性格になる。少なくとも周囲を食い荒らさない、という伝説だ。
異様な大樹ではある。
山よりも巨大な世界樹だ。
だが世界樹が、一定量の魔力を発散することで土地が長期的に整えられるということはどうも事実らしい。
別に現代社会を圧迫はしないし。
お互い持ちつ持たれつてやつだ。
「世界樹を見ておるのか」
と、いつまにかアオが隣に立つ。
アオの口からアルコールに匂い。
少し酔っているのだろう。
「お疲れ、アオ」
どんちゃん騒ぎにいればいいのに。
アオも態々一人になりにくるとは。
物好きなワーフォックスなことだ。
勘違いしちまうよ、俺が。
「うへへぇ」
「……お前酔ってるだろ、アオ」
「しょんなことにゃいのじゃあ」
アオの顔はすっかり染まっていた。
スライムくらい溶けた体で、ぐにゃぐにゃと陽気な姿は普段とは随分と違う。ほとんど見ることのないアオだな。酒宴の席ならば何年かに一回はこんなだ。
まあ、めっちゃ酔ってるのだ。
アオの手には一升瓶が抱えられていた。
すでに三分の二は空いているようだな。
少し離れたところでは、大人くらいの容量が入ってそうな樽酒が開け放たれて、誰かが逆立ちで突っ込まれていた。
樽酒は空っぽいが死んでないよな?
「ツナくん、わし疲れたのじゃあ」
「あーはいはい、横になりましょ」
俺は世界樹に一つ、お祈りをしてから一席借りた。世界樹の枝が少し揺れる。大丈夫だろう、言葉はわからないが!
俺の膝にアオは躊躇なく倒れこんだ。
アオがもふもふの頰をこすってきた。
膝枕だな。
吐くなよ?
アオは普段よりもっと小さくなっていた。
というよりも、ほぼ完全な白い狐である。
白くて九本の尻尾があり、もふもふ毛並みの子狐は、俺の膝のなかちょうどのサイズでおさまるのは経験上知っていたことだ。
「ツナの匂い好きなのじゃあ」
「はいはい。アオも綺麗だな。今晩の月明かりに照らされてるアオの白い毛並みは、ぬいぐるみくらい綺麗だ」
「大切にしてくれりゃ?」
「……まったく……」
俺は丸まっているアオを撫でる。
俺の掌をアオは長い鼻先で擦った。
俺はアオの顔を包むように、ノーズを握ったり、鼻先を掻き、狐耳の根本を揉んだ。顎下や頬も指先で、だ。
「世界樹さん、少し水をもらいます」
と、俺は魔法で水球を作る。
俺の指先にできた水球を、アオの口に近づけた。水を飲めば少しはアルコールも薄まるだろう。
魔力の無い俺でも世界樹パワーのレンタルで、ちょっとくらい魔法が使えたりするのである。アオの魔法が異常なんだけどな。
「アオ。お水だよ」
アオはまどろんでいるなか、目を閉じたまま鼻だけで探し、俺の指ごと水を飲む。アオのザラザラとした舌が出入りしては、俺の指を削ぐように舐め、作った水球を飲んだ。
アオはまどろっこしく感じたようだ。
アオは、俺の指を咥えて吸いあげる。
俺の指はおっぱいじゃないんだがな。
アオはときおり、鋭い犬歯で噛んだ。
痛い。
アオはまどろんだ目で、俺の胸をのぼると、押し倒してきた。きゃー、と、俺は甘えん坊な狸でも相手するかのように倒れる。
俺がアオを見上げる。
アオは俺を見下ろす。
「アオさん、家では普段何してるの?」
思考が死んでるような質問をしていた。
「そうじゃの……昼寝をしておるの」
「お昼寝て良いですよね。家に帰ってるようで安心しましたよ。うちにいつもいるような気がしていたんです」
食事も布団も風呂もあるしね。
「そうじゃぞ」
「……アオさんの親御さんがびびりますね」
アオて、どのくらいうちにいるんだろ?
うちには一通りのお泊まりセットはある。
一〇人程度の衣食住の確保もできてるし、仕事場直結なので泊まりこむのもいないわけじゃない。どうしても仕事が押すことはある。
だが俺も全員を把握していない。
朝が凄い早い奴とかもいるし逆もな。
経過報告だけはキッチリ見るが……。
魔法の箒やバイク通勤してないのか。
不意に膝の中で柔らかな感触だ。
アオがお狐モードからお人間モードだ。
「ふん」と、アオは鼻を鳴らし体勢変え。
ちっちゃい幼女風のアオが、時折、九の尻尾を波のように揺らしながら、俺の腹を背もたれにしていた。
「……」
アオの少し灰色が混じったような白い髪を撫でる。狐でも髪はあるものだ。彼女の特徴的な青の目には、重いまぶたが落ちていた。
俺はアオの体を包むよう手をまわす。
小さくて柔らかな体はいつもと違う。
膝上に子供風なのがいると落ち着くな。
温かくて柔らかくて、命を包んでいる。
「ツナも良い場所じゃよ」
と、アオがこぼしていた。
俺は「そうかい」と言う。
仕事をしているわけじゃない。
だから、とびっきり優しくいたい。
そう求められているしな……。
今日のことを、アオが覚えていたらどんな顔をするだろうか。照れるか、堂々としているか、気にもしないか。
どれもありえるな。
今だけは楽しんでおこうか。
明日には無くなってしまう。
「おやすみ、アオ」
アオの頰にかかっていた髪を流してやる。
変わらない一日が今日も無事終わるなあ。
そう思っていたんだ。
「なんだろう? 落ちてくる」
世界樹から──葉が落ちてきていた。
ゆっくりと落ちていくように見えた。
木の葉は風を受け止めながら揺れた。
俺は目を見開く時間しか無かった。
世界樹の木の葉は、ドライアドやエントみたいな植物らしい植物の葉などではない。葉脈が銀河団の銀河が網の目のように連なっていて、葉の形そのものを縁取る星々、葉である物は宇宙のようの黒々としていた。
世界樹、なのだ。
触れてはいけない。
こいつァヤバい気だった。
俺は咄嗟にアオを抱いた。
少しでも、遠くへ、行く!
心臓が早鐘を打つ暇も無い。
嫌に息が苦しくて動けない。
もっと早くと望んでも、だ。
世界樹……宇宙樹の葉が、鐘を鳴らしたような音を響かせた。世界の全てが聞いていたと錯覚するような大気が震える音だ。
ふざけた言葉だった。
どうして言われたのかわからない。
だが、世界樹から落ちてきた葉は。
『人ではないものだけを愛しなさい』
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