第2話「熱帯夜とコイバナと透明人間」

「おう、タダ飯食いども、飯の時間だぞ」


 と、俺はエプロンを外しながら言う。


 ど田舎の里山とお隣さんの我が家は、親戚からの土地を引き継いで、建屋が四に庭だか畑が少々という地味に広い面積がある。


 そのまま会社の敷地だ。


 夏の日差しは地平線に隠れた。


 だが熱が残る風に、蛙も茹であがったのか心なしか静かなままの夜の時間だ。


 今夜はコカトリス鶏肉の唐揚げだ。


 山のように油で揚げたぞまったく。


「換気組ー、さっさと帰ってこーい」


 俺は玄関先で煙草を嗜んでいる連中にも声をかけた。間伸びした返事と消臭剤だかのガスの音が聞こえてきた。


 さて、と、残業組への炊きだしも纏めた。


 会社の従業員は一〇人。


 今晩も仕事に追われているのがいる。


 ワーフォックスのアオがそれだった。


 昼間の暑さでこてんと倒れていたが、夜には急ぎの仕事を作ったようだ。エアコンの修理が予定より早く来たんだ。何にせよ、仕事をしてようが仕事をしないだろうが腹は減るだろう。


「食い終わったら食洗器回しとけよ」


 と、俺はバラバラと、リビングかキッチンにかけて溢れる社員連中に言いつけた。


 さて、アオに差し入れを出してこよう。


 俺は料理を持ったまま、まだ暑さの残る外へと出た。汗が噴きだしそうな、肌に張りつく湿度を泳いで行く。


 近所の田園からはドワーフトードが鳴いていた。ドワーフと名前がついているが、小さな人ではなく蛙だ。学会ではドワーフという名前を改名しろ、と、ドワーフの学者が言っているのだとか。それはそれとしてエルフクロウというのがいて、ずる賢い鴉の新種に名付けられている。蛙を名づけたのはエルフ種属で、鴉を名づけたのはドワーフ種属だ。


 雑談好きなアオが教えてくれた。


 アオは楽しげに豆知識がよく言う。


 だが、あれで基本的に寡黙なのだ。


 おしゃべりなようで恥ずかしがり屋。


 ちょっと気難しいのも可愛げだがな。


 アオは可愛い。


 体が小さく見えるくらい、尻尾が大きなワーフォックスだからというのもあるが……俺は、アオの雰囲気も好きだ。


 俺も、あんまり会話が得意じゃない。


 そんな俺に、だぞ?


 かまってくれるてのは貴重なんだよ。


 男てもんは、実に、単純なもんよな。


 優しくされて興味を抱いてくれる、たったそれだけでも好きになっちまうもんなのさ。


 ふッ、と笑みした瞬間、蹴つまづいた。


「ほわぁッ!?」


 転けかけたところ料理は死守!


 俺の心臓バクバクと鳴ったぞ!


 段差とかじゃあなかったぞ!


 肉だ、肉の塊につまづいた。


 しかもそれは『目に見えない』!!


「トオルさん! 驚かさないでくれ!」


「いやぁ、すまないね、すまないね」


 と、目に見えない何かが立ち上がる。


 中世的な声、たぶん同じくらいの背丈。


「いやあすまない、世界樹を見ていた」


 と、トオルさんがたぶん立ちあがる。


 裸で徘徊してるのなんらかの法もの。


 トオルさんはインビジブルメイド種属という、ようするに透明人間の種属なのだが、俺はいまだに、男か女かさえ知らない。


 風呂が壊れたとき、一緒に銭湯の男風呂へ入ったので男……だとは思うが、よくわからない。その時のトオルさんは胸まで隠してたぞ。


「熱帯夜に外で寝てると死にますよ」

 

「寝てたわけじゃないんだ。ちょっと、ふらぁーと眠くなって立っていられなくなって、寝てただけ」


「……熱中症の初期症状じゃないすか?」


 取り敢えず、俺はトオルさんを冷まそうか。


 外で蒸されているよりは少しはマシだろう。


 水を張っているポータブル冷風器を回す。湿度が下がっている今なら蒸されることもないだろう。


 外なら湿気も、風が遠くに運んでくれる。


 冷たい夜だ。


「おぉー、よきよき、だよ」


 トオルがどんな姿勢で冷風器に当たっているのかはわからないが、トオルの熱を近くに感じた。


 蛇とかと同じピット器官を持つラミア種族とか、鮫と同じロレンチーニ器官を持つマーメイドなら、トオルの透過率が高いボディも丸見えなんだろうな──なんてことがよぎった。


「パパー」と、トオルさんが言う。


「誰が広めてるんだよ、やめろよ……」


「アットホームなら擬似家族。むふー」


「もっと緊張感もてよ。仕事弛みすぎ」


「パパてさ、アオちゃんのこと好きだよね」


「……ぶっこみがきたな、油断してた……」


「私を蹴った慰謝料と思って教えてくれよ、ツナちゃん。ツナちゃんが、アオちゃんのことが大好きなのはみんな知ってる」


「当然だな。実際、俺はアオが好きだ」


「ツナちゃんはほんと強いなぁ〜」


「そうか? あッ! トオルさんもしかして拗ねてるな? まったく。今夜はビールを差し入れに出すよ」


「……どーもありがと。会社を私物化してるツナちゃんは豪気だね。ちまたじゃハーレムハウスなんて言われてるのに」


「そうなのか!?」


「従業員、女の子ばかりじゃん」


「雄雌なら雌が何倍も多いだろ」


「確かにね。他の会社だって九割が女も珍しくない。でも、ツナちゃんはプライベートに喰いこみすぎてるんだ。愛人を囲っているように見える」


「……容赦なくクビにもしてるんだがな」


 トオルさんの穏やかな笑い声が聞こえた。


「ツナちゃんは仕事をやるべき瞬間には、スイッチをきっかり入れないと嫌うとこあるからな。仕事中に友人がやってきても、仕事をしてるからて固いだろ?」


「そ……そんなことはないが……」


 なんで知ってるんだ?


 俺、アルバイトしているときは別人みたいと言われたことが何度かあるぞ。「おう、ツナ、頑張ってるー?」と例え親友に訪ねられても客として分けてたが……。


「真面目すぎて不安なんだよ」


「真面目は良いことだろ、トオルさん」


「まあね。たぶん、アオちゃんもそういうとこが好きだから会社に残ってる。もっと大企業と組めば、銀行の信頼も積めるだろうに」


「俺もアオに言ったな、それ。なんだかんだで、俺らは社会的な信用が無い。ナメられてる。それを上げるには、大企業と繋がるのが良いんだ。……俺の会社の信頼は、これ以上にあがらないだろうしな」


「ふッ……」


「鼻で笑うんじゃない」


「ごめんて、ごめんて。……ツナちゃん」


「なんだよ、トオルさん」


「ビッグに稼ぎたいね! 大企業を足蹴にして、でも、今と変わらないまま影響力も権威も掴んで」


「急にどうしたんだ、トオルさん」


「アオちゃんのことを考えてたら、成功する先を考えちゃうんだよな、ツナちゃん」


「杞憂だと否定はできないな。俺だって億万長者になって、大天才だと褒められれば、旬を過ぎても栄光を掴んでいたい。戻れるとは思わん」


「そういうのじゃないよ」


「じゃあなんだ、トオルさん」


「ツナちゃんは本当に純粋だな」


「バカにしてんのか?」


「してないしてない!」


 と、トオルさんが離れるのが聞こえた。


 俺が億万長者になったら美少女はべらせて、とっかえひっかえただれた日々だろうな。パンツを頭にかぶって巨乳のグラビアアイドルの上をヌルヌルに滑るのだ。


 で、時々会社で自慢する。


 従業員には嫌がられるだろうな……。


 だが俺は絶対自慢するだろうな!!


 アオがドン引きの目で見るのが想像つく。


 トオルさんはきっと招待を望むだろうな。


「アオの好きなところの話してなくね?」


「そんなこと話してたっけ、ツナちゃん」


 まだいたのかよ、トオルさん。


「こいつ! 料理が冷めるから手短にな」


 と、俺は見上げた。


 室外機が回る部屋。


 アオが働いている部屋だ。


 腹を空かせているだろうが、不満を抱えた透明人間を放置するとろくなことがない。前なんて、風呂に浸かろうとしたら、俺の尻が、トオルさんの顔面がどこかに当たったんだぞ。


 絶対に根にもっている。


「そうだな……アオの好きなところだ」


 ドワーフトードが鳴きはじめていた。


 どこかのサッシが開いた。


 カラカラという音だった。



「……ツナ?」

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