幕間 巻き込まれたち

「うわ……えっぐ」

「見ないことをお勧めするよ、少年。ここいらの始末は警察に任せよう」


 司狼がヘリコプターに戻ったのと入れ違いで廃工場へと足を踏み入れた二人は、心底から苦い声を搾り出す。


「いや、俺もそうしたいけどあの男に説明中に取り上げられたクマ、アレがここに残ってるのは流石に問題じゃね?」


 学生服を身にまとっている少年、蓮が手をひらひらとさせれば狐月は眉間にシワを刻む。熊の越具によって破壊された壁と、落とされている越具……確かに厄介になることは間違いない。


「……仕方ないね、ワタシが見てくるからキミはここで待っていたまえ」


 スーツ姿の男が足を踏み入れると、まず知覚するのは血の匂いと呻き声。──奇跡的なことに、誰も死んではいないようだ。


「あの狼もギリギリのところで耐えたようだね。皆息があるよ」

「司狼のヤツが耐えたっていうか……環が頑張っただけじゃねえの」

「そうともいうか」


 硬質で軽い何かを蹴る感触。拾い上げてみればそれは、薄く黒い……越具だ。


「少年、これであってるか?」

「あ! それそれ!」


 大きく頷く蓮を見て狐月も足早に戻る。自分とてこんなところに長居はしたくないし、同じ空気を吸っていたくはなかった。


「……すまなかったね」

「ん?何が?」


 越具を差し出し受け取りながら、聞こえてきた言葉に蓮は首を傾げる。


「キミは人間だというのに、獣越偏見者ワタシたちの問題に巻き込んでしまった」

「んなこと? いいのいいの。そもそも環と一緒にいる時点で今更だし」


 越具を普段しまい込んでいるという靴のつま先を地面に当てて笑う少年は、確かに場慣れをしているように狐月から見て感じた。


「……なぜ、キミは多少の危険を覚悟してまであの少年と共にいるのだい?」

「えっ、何その質問。そんなのいっしょにいるのが楽しいから以外にねーだろ」


 蓮にとって当たり前の返事をすれば、狐月が息をのむ。


「お前があの性格悪い狼と一緒にいる理由とんなに変わらねえよ」

「……我々が共にいるのは結果論だよ。人の社会の中で獣越者は形は異なれど弾かれがちだ」


 幸いに才への畏敬を集める形ではあったが、世間というものから外れていることに変わりはない。


「そうなれば自然と外れたもの同士の交流は色濃くなる。その程度の関係だよ」

「キッカケの話だろ、それは」


 呆れた声が差し込まれて、続けようとした狐月の皮肉が飲み込まれる。それを知ってか知らずか蓮は言葉を続けた。


「繋がるきっかけはマイナスでも、一緒にいるのがしんどかったら離れてるだろ。環もだけど、あんたらも我が強そうだし」

「あの猫と同じ扱いは癪だが……」

「だから別に、疎外感とか変に気にする必要はねえと思うぜ」


 何気ない響きに確信を突かれた心地になって、狐月は口を閉ざす。さっさと工場を出ようと背中を向けた蓮は、頭の後ろで腕を組みながら笑った。


「司狼の奴とかやばい環狂いだけど! そのあいつが文句言って言われるのを当たり前に受け入れてんだから、あの狼にとってもあんたはちゃんと別枠だろうし」

「……別に、あの狼にどう思われようと興味ないね」


 後ろを追うように歩き出すが、狐月の視線は少年の背中ではなく足元を見続ける。素直じゃねえの、と吹き出した蓮は壁の崩れた境目から身体を抜け出した。


「環からたまに狼の話を聞くんだけどさ、あいつの屋敷って環が住んでた頃とほとんど変わってないんだよ」

「……聞いたことがあるよ」


 あくまで噂程度のものだが、狐月も耳にはしていた。幾度かあった屋敷の改修の話も、修繕以上のことはせずにありのままを保っていた。本来の主人を待つように。


「大学でも特定の相手と距離を縮めたがることはなかったよ。……だからこそ、そうだね。その全てを熱のない視線で睥睨する男の眼に熱を持たせたいと思ったことは、ある」


 小さな声だが人でも聞こえる可聴域の範疇だ。蓮が振り返ったのを気にも止めず、狐の独白は続く。


「無駄なことだとは端末を見るヤツの目ですぐに理解したけどね。世界に関心がないわけでなくて、ただ一人に熱を向けていただけだったのだから。……狼は番に一途だとは、よく言ったものだよ」


 その逸話がなかったらと思った過去はもはや黒歴史だ。そう自嘲を交えて吐き捨てて、狐月は腰を下ろす。行きがけに使ったヘリコプターの代わりに車を麓に呼んでいた。到着まではもうしばらくかかるだろう。


「……拗れてんなぁ、あんた」

「煩いよ。自覚してる」

「別に番じゃなくとも十分信頼されてるだろ」

「なにを……」

「そうでなきゃさっきのヘリもあの狼一人で乗ってきてるだろうし」


 根拠もなく、と言おうとして聞こえてきた言葉に閉口した。そうかもな、と思ってしまったのも事実だったので。


「あんたが恋してたのか同類の特別になりたかったのかは俺には分かんねえけどさ、そうでなくとも側にはいれるさ」


 だからそんな気にするなよ、と笑う蓮の表情は底抜けに明るく、狐月はやけに気が抜けてしまった。


「……まあ、側にいるのが危険そうなのはワタシよりむしろキミだしね。司狼の嫉妬は面倒そうだ」

「それな……。あんたダチなんだろ? もうちょいどうにか出来ねぇの?」

「無理に決まってるだろう。それはキミの友人に頼んだらどうだ」

「環から言わせたらますます拗れるっつーの」

「……確かに」


 その光景が意図も容易く脳裏に浮かんで、狐月は肩を揺らす。

 ──せめてヤツの怒りの風除けくらいにはなってあげても構わないか。

 久方ぶりに重荷が軽くなった男は、上機嫌でそんなことを考えた。

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