第43話 繋がり
冷水とぬるま湯の境目のシャワーはマタタビとそれによって引きずり出された熱をある程度軽減してくれたようだ。
先ほどよりは幾分か楽になった全身をソープで洗い流してから浴室を出ると、音に気がついた司狼がすぐにタオルとバスローブを持ってきた。そのままタオルで身を包むようにして身体を拭いてくる。
「自分で、拭ける」
「俺がしたいんだ。……匂いは落ちてるな」
すん、と鼻を鳴らした男は先ほどまでまとわりついていたマタタビや男たちの残り香がないか確かめているようだった。
「当たり前だ。あんなものをいつまでもつけておく気はない。──それで、どうやってあの場所にたどり着いたんだ。それに……」
バスローブを羽織ってから視線を司狼の首元へと注ぐ。
「……知ったのは偶々だ。
「ああ、なるほど」
合点がいった。その場にいたのなら彼が来ない理由はないだろうし、自分を除けて狐月へと連絡をしたうえで口止めを頼んだと知ったなら不機嫌になるのも自然だ。抱き上げてきた司狼の肩に手を添えてその瞳を覗き込む。
「そんなに俺は頼りなかったか?」
「満月の翌日という時期を危惧しただけだ。僕の制止を最初聞かなかったのは事実だろう」
「……殺してねえんだからいいだろ。アンタが止めなきゃ、一線を越える気しかなかった」
歩き出した司狼が僕を連れて行ったのはソファの元だった。おとなしく彼の膝の間に座れば、机に置いていたタオルを手に取った司狼が僕の髪の水分をぬぐっていく。
「首輪を外したのは、連絡の後か?」
「前だ。話を聞いてすぐに外すことを選んだ」
「…………そうか」
瞳を伏せる。脳裏によぎったのは狐月に告げた言葉だ。
──首輪には副作用がある。
──僕らの在り方が歪だと思えたなら。
──あの子の本心が私から離れることを望んでいそうなら。
手紙を差し出すときに告げた理由を、条件を受けたうえで手紙を狐月は差し出したのか。司狼はそれを飲んだのか。鍵を外すために使った力にすら嫉妬するのだから、救いようがない。
言葉少なになった僕をいぶかしんだのか、司狼が髪を拭く手が止まる。
次いで訪れたのは額への軽い衝撃だった。さしたる痛みもないのに「いたっ」と声が零れて強く結んだ瞳が開く。指ではじかれたと分かったのは、去っていく指が再びタオルを抑える感触を感じたからだ。
「何をするんだ、司狼」
「アンタが絶対馬鹿なこと考えてそうだから止めたんだよ。……言っとくが、狐野郎が俺にゲロったのは言わないでおいたほうが厄介なことになると思ったからだし、俺もそれは同感だ」
「だが。……最終的にお前は、
首輪からの解放。従属や被支配関係として副次的にもたらされる情愛を。
言外にそう答えれば、沈黙がよぎる。僕も彼も口数が多いわけではないが、気まずさを覚える無言は特にここひと月は多くなかった。再び動き始めた彼の手が止まる。
「────はぁ。アンタがそんなだからだよ。俺が首輪を外したのは」
「そうか」
悪かったな。
そう謝罪をこぼそうとしたところで顔を上にあげさせられる。額に、鼻先に、頬にと口づけを落とされた。
「っ……司狼、なにを」
「前にも言ったはずだ。
至近に見えた赤橙に心臓が跳ねる。顎を固定していた指が唇をやわらかく刺激した。
「環が望むならまた首輪をつけなおしてくれても構わねぇさ。アンタからくれるものならなんだって嬉しいからな」
「……自分から首輪をはめられたがるなど、奇特にもほどがあるぞ」
「アンタ相手だからだよ、環」
リップ音を立てて口づけられる。湯上がりで冷えかけていた体が火照るような心地がした。
「……本当はアンタが死んでから、首輪を自分で取る選択肢だってあった」
「そうだね。……そもそも私が死んだ時点で本来は勝手に外れないとおかしい」
「外れなかったのも、外さなかったのも。俺が拒んだからだ。アンタとの繋がりを、何ひとつ失いたくなかった」
顔の至る所に口づけが降ってくる。咄嗟に押しのけようと広げた手は指で絡め取られて、タオルの落ちる音が遠くで聞こえた。
洗い流したはずの熱がぶり返すような錯覚を覚える。再び唇に落とされた口づけは次第に深まっていき、縋るように指を力を強めれば握りかえされた。
「……っ、……しつ、こい」
「悪いな。アンタ相手だけだと思って許してくれ」
疲れているだろうから、これ以上はしねえよと笑って頬を撫でられる。
──熱はあるが、疲労が濃いのも事実だった。鼻先をくすぐる彼の匂いに、以前のような熱以上に安堵の眠気が引き起こされる。
「……、……司狼」
「なんですか?」
もたれかかるように体重を預ければ、彼の胸元が小さく揺れる。けれどもそれも一瞬のことで、やわらかく頭をかき混ぜられた。
仕事が忙しいのは承知しているが、いつだって自分を優先させてくれる男だ。子ども扱いされているようでどうにも複雑であったが、今くらいは甘えてしまえと司狼を見上げる。
「眠るまで……一緒にいてくれるか?」
「!」
大きく見開かれた彼の瞳は、けれども蜂蜜をかき混ぜたように橙が蕩けた。
「ええ、勿論です。眠るまで……起きてからも、ずっと共におりますよ」
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