第39話 情け

「オッケー、連絡完了」

「じゃあ、蓮は脱出だね。僕が隙を作るよ。扉を出て右側に物が雑多に置いてあるから、それに紛れて逃げてくれる?」


 軽く手で行き先の想定を示せば、まぶたで半分ばかり隠れた目がこちらを睨みつけてくる。


「いや、これでうっかり万一お前側に何かあったら俺が死ぬんだけど?」

「分断して動いた方が勝率は上がる。ネズミの越具は持っているだろう? 人目を避けて起動して、コウモリの返信が来たらそれを僕にも教えてほしい」

「……まあ、お前の傍でネズミを使ったら嬲ってくださいって言ってるようなもんだもんな」

「分かってるじゃないか」


 普段ならいざ知らず、狩りの最中に鼠がいたら逸話もあって真っ先に襲う。朗らかに笑ってみせれば蓮の眉尻が相対的に下がった。


「……分かった。とは言え無茶はすんなよ。俺らは時間を稼ぐのが第一目的だ」

「もちろん。姿を見せないことを鉄則として、ゆっくりいたぶるよ」

「こわ……」



 引きつった顔をした蓮が十分な距離まで離れていくのを確かめてから、獣石を手に取る。


「さて、狩りの再開だ」





 広い建物は一見何がどこにあるのか把握することが困難そうだが、工場はある程度役割に応じて造りが似通うことは多い。配電については特に一つの部屋に収められており、その中枢の電源を落とすだけでも大きな騒ぎとなる。

 いくつかの配線だけは爪を使用して裂き、半分ほどは残す。……狩りをするのならば獲物の動向をある程度把握することは必要だった。すでに床には、いく人もの人が気絶した状態で倒れ伏している。


 環自身は積極的に他者を害した経験はないが、今回のような応戦や狩りの経験はある。いずれも人の首筋に一撃を喰らわせるだけで容易に気絶させることが可能だった。

 猫の逸話持ちは他の肉食動物に比べて腕力はさほど強くない。おそらくは古くより人と共にある狩獣の側面が強く出ているのだろう。


「便利だが……人としては複雑だろうな」


 伏している人の立場は分からないが、獣を恐れる者が多い理由は自らの力を自由に扱えるようになってはじめて理解したことだった。人の脆さもまた。


「それでも、もっともこの世界で数を多く占めるのは人間だ。出来ることなら多数派とは仲良くしたいんだが」


 彼らを排斥するのは不可能だ。ならば共に寄り添う同胞として世界を築いた方がいい。幾代も経た環の結論だ。──尤も、次代以降の猫はおそらくは“環”ではなくなるからどうなるか分からないが。


 思考を巡らせていれば足音が聞こえてくる。地を蹴った環は壊れたエアコンの上へと身を潜める。向こうも多くの人がいなくなり警戒しているのだろう。三人組で部屋へと入ってくるのが暗がりの中で見える。


「っ……よし、ここに猫野郎はいねぇか? にしてもヤバいな、あいつは」

「あんな華奢な子ども一人に翻弄されるなんざ……獣ってのはやっぱり危険だ」

「まあでも、あとちょっとの辛抱だろ?」

「早く買い出し班のやつが戻ってくれば……」

「そうすりゃ猫なんて簡単に捕まるんだがな」

「(……買い出し?)」


 聞こえてくる会話に耳をすませれば、どうやらここにいる面々とは別に少人数で買い出しに向かっているらしい。

 ……少しだけ、嫌な予感がする。自らの獣石は首輪をつけられた時点で見られているからそれに纏わるものを探しに行っている可能性はあった。


「(持久戦だな)」


 こちらとしても応援を待つのは最低条件だ。あるいは買い出しに向かったという人々が戻ったタイミングで蓮と合流してこの場を離れるか。いずれにしてももう少し機を伺いつつ……数は減らした方がいい。



 ◇ ◆ ◇



「あ、また悲鳴」


 廃工場から出てすぐの空間は随分と開けていた。おそらくはここでかつてはトラックの搬入や貨物の積み下ろしをしていたのだろう。蓮が脇にある茂みで息を潜めていれば、時折工場から漏れ出る音も聞こえていた。

 常人の状態なら絶対に聞こえない音すらも聞こえるのだから、獣の力というのは恐ろしいものだ。──その根幹にあるのが俺たち人間が彼らをどう見ているのかだとしても。


「にしても本当一度敵認定したらあいつ容赦ねぇよな。……敵認定したら、だけど」


 一年以上前に屋上で会話したときのことを思い出す。詳しいことは知らないが、狼に襲われかけるなど環にとってはトラウマも同然のはずだ。それを許してあまつさえ交流が続いていること自体が、蓮にとっては信じられなかった。


「ま、俺の方にさえ被害がこなきゃどうでもいいんだけどさ! ……ん?」


 耳鳴りのような音が聞こえるのに意識を向ければ、それはどうやら一定の音質を保っている。もしかしたら先生や狐月に連絡した返答かもしれない。

 慌ててネズミからまだ聞きやすいコウモリへと切り替えてしばし蓮はその言葉に耳を傾けることとした。

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