第38話 可聴域
なぁ――――――ん。
「ひ、ひぃぃぃいいぃ!!!」
「っ、なんだ、何が起きてんだ!?」
「『くそったれの猫野郎』!やめろ! やめろ! くそっ、く、やめろ!!」
「分からねぇ! おい! 明かり早く付けろ! スマホでもいい!」
「っ、いや、ダメだ! やめろやめろ! 灯りが手元にあるやつから狙われるぞ!!」
「…………うわ……」
かすかな猫の鳴き声のあとに響く、扉の向こうから聞こえてくる悲鳴と駆け回る大勢の足音に蓮は顔をしかめる。大勢の足音が混乱の中遠ざかって行ったと思えば、少し間を空けて扉とは反対側の上から声が聞こえた。
「や、蓮。ご機嫌はいかがかな」
「どこぞの悪友が狩りにいそしんでるっぽくて最悪。そういうお前は楽しそうだな?」
「まさか。機嫌としては地の底だよ。苛立つ相手に首輪をはめられたんだ。報復くらいはすべきだろう?」
心配せずとも殺してはいないよと軽やかな笑みを浮かべる環がこちらへと飛び降りてきて、器用なことに爪で蓮の拘束を切り裂く。敵に回したらやばいやつだという認識を改めて抱きつつ、蓮は自らの手首を確かめた。
「ほどほどにしとけよ……まあ証拠が残らなきゃ別にいいけどさ。コウモリ? 一応イルカとクマはあるけど……あとネズミ」
「ネズミは論外。海じゃないしコウモリが妥当だろ」
「はいはい」
蓮が靴を脱いで中敷きを取り外せば、五枚ほどのチップが整列して並んでいた。その内の一枚を取り出してから環を振り返った。
「俺が使う? それともお前が?」
「猫の逸話が他のもので歪むと厄介だからね。任せた。連絡先は……確か主任の先生は犬の越具を持っていたはずだからそこかな」
「はいはい。……いや、司狼のやつには連絡しねえでいいのか? あと鶴王さんとか」
本来コウモリの越具の真価を発揮させるには通信端末が必要だ。それがない状態だと一定の周波数をキャッチできる獣越の力を持つ者としか連絡は取れないし、それも一方通行だ。
──とはいえ生徒と違い教師の幾人かは越具を日常的に使用していたし、元より獣越者であるならなおのこと。狼ということはイヌ科だし耳もよいだろう。
「鶴王は鳥だからコウモリの音は多分聞こえない。司狼は……昨日が満月だから」
「把握。なるべく連絡したくねぇってことな」
ほとんど会話を交わしたことはないが、時折蓮の姿を視認するたびに不機嫌そうに睨みつけてくる男だ。蓮も出来るなら自分の声で連絡はしたくなかった。
……が、何も言わないで後で知られるのも厄介そうだったから、なら代わりにと越具を揺らす。
「ならさ、狐月さんに連絡しとくのはどうだ? 多分俺の関係も知られてるってことは向こうも同時期に嫌がらせされるかもだからその情報提供と、あとは口止め頼むって感じで」
「……まあ、彼ならいいか。頼んだぞ」
「はいはーい。んじゃちょっと待ってろよ」
◇ ◆ ◇
《────ってことで、獣越偏見っぽい奴らに捕まっててこれから脱出予定。詳しい立地は不明だから俺が先に建物脱出して周囲の様子探って、環は残ってかく乱する。そっちでも何かリアクションあるかもだし注意ししろよな。
……あ、それとあの環にべたぼれの狼にはややこしくなるから絶対言うなよ!!》
「…………」
一方的な金切り音が開始と同様に唐突に途絶え、狐月は思わず頭を抱える。獣越偏見者への対応は狐月アミューズメント社にとっては最大の厄介ごとだった。嫌がらせなどは以前からありその対応はしていたが、そこまでの過激派が出るとは……。
これだけ大掛かりなことをしでかしたのなら今から動けば証拠も集められる。そこは早くに連絡をしてくれた少年たちのファインプレーと言えなくもない。
が。タイミングが最悪だった。
ずっと自分の靴のつま先を見つめていた瞳を、ゆっくりと正面へ向ける。
──余談だが、コウモリの越具は遠くへの連絡に便利だが越具単独の使用には弊害が何点かある。
一つは、可聴域が限られていること。正式な端末を通さない限り受け取る側の状態によっては内容が完全に伝わらない恐れがある。
もう一つは、一方的な送信に留まること。受け取った側が何かを伝達しようとしても返答ができない。コウモリの越具を使用した返答はできるが、向こうの環境が整っていなければ音声を伝えることは不可能だしタイムラグもある。電話ほど便利ではない。
そして最後、相手のいる場所や状況を知らぬまま一方的な伝達を至近とはいえ一定範囲内──半径数メートルほどにいるものなら聞くことが可能となってしまう。
つまり何を言いたいかと言えば……。
「…………、…………殺すか。環さま以外皆まとめて」
「待て待て待て! 落ち着きたまえ司狼!!」
こんなことになるのなら今日こいつの元に来るべきじゃなかった……! 後悔をしてももう遅い。背中に黒い暗雲を背負ってるのではないかと錯覚するほど、今の司狼の表情は恐ろしかった。
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