第37話 狩り

 環が気絶させられた後、車に乗せられて山奥へと連れていかれた蓮は心底焦っていた。元は廃工場だったのだろうか、だだ広い空間はコンテナが積み重なり視界が悪い。その隅に紐で後ろでに結ばれ、猿ぐつわを噛まされたまま転がされていた。

 環はここにはいない。首輪ステイリングをつながれた作用で意識を失った彼も、おそらくは別の一室に閉じ込められているのだろう。


「(まずいまずいまずい……ッ!!)」


 焦りが思考を支配する。見張りはこちらが身をよじるのを小馬鹿にするようににやにやとみているが、それどころではない。……と、いうか。真に危険なのは彼らの方だ。


 蓮の脳裏に浮かんでいたのは、小学生の時の変質者騒動だった。

 当時から環の見目麗しさは変わっておらず、懸想した教師がストーカー化したのだ。他の保護者から明らかな贔屓や懸念を指摘されて別の学校へと異動させられてからも、小学校への侵入は止まずに環の下駄箱や机に白濁が残されたりととんでもないことが起きていたのだった。


 環自身はそのことについて静観気味だったが、ある日蓮の荷物がナイフで裂かれていたことを契機に方向が大きく変わる。

 どんな手段を使ったのか知らないが、環は男の家を突き止めた。そして男が実際に学校に侵入したときや校内でしでかしているまさにその瞬間の写真を貼りだしたのだ。彼のアパートの扉一面に貼り付けるように。

 何度男が写真を剥そうと翌日には同じものが貼られている。近隣の人もそこに映る姿を見れば嫌悪感を覚えたのだろう。あっという間に孤立無援となった男は精神を病んで自首をしたという。

 無論、そんなことを仕出かした相手についても話題になったが、それが顕在化する前に法的処置を環の側から訴えたことで世論は分かりやすく環の味方に付いた。今回も多少やらかしたところで目算はあるだろう。


 おまけに今は司狼という猛狼もいるのだ。こんなことを仕出かした男たちの末路もだが、結果的に危険に巻き込むことになった蓮自身の身も危うかった。


「(暴走するとしてもほどほどにしてくれよ、環ぃ……!)」



 ◇ ◆ ◇



 一方、環が置かれていた部屋は蓮がいた場所よりも二回りは狭く小汚い一室だった。部屋の中の見張りすらろくにいないのは、首輪をはめた子猫一人どうとでもなると油断しているのか。


「だとしたら実に遺憾だな」


 首輪ステイリングに対する理解がなさすぎる。偏見者なら仕方のない話かもしれないがと笑いながら指先を靴の踵へと伸ばす。幾度か爪を引っかければ小さな音がして、人差し指の半分の長さほどの小型の機械が現れた。

 先ほど男が持っていたものとは別種の、鶴の逸話が秘められている越具を放り投げる。前歯でキャッチしたそれを自らの襟へと押し込む。これだけ近ければ、効果は十分だろう。


「確か、くそったれの猫野郎だったか……ならローマ字に直すと……『魚等うおら避けの狙った巣』くらいならば誤差だろう」


 逆再生の文言を唱えれば赤い光が放たれる。自らの首の廻りに装着されていた紐が落ちた。


 首輪ステイリングをはめるのには獣越の力が必要不可欠だが、同時に首輪を外すことも獣越の力があれば可能だった。ディタレントワードの響きとは逆の言葉を鍵にして、異種の獣の力を与える。──獣越者の力そのもので掛けた首輪は越具では外せないが、越具によってかけられたものならこの程度で十分だ。



「一般的に首輪の外し方は秘匿されているといえ、それを確立させた獣が対策を持たないわけがないだろうに」


 或いは、自分の猫の特性を知らないでこのようなことを仕出かしたのか。だとしたら彼らは良質な餌場を得たと勘違いした鼠にも等しい。

 硬質な音を立てて同時に落ちた獣石を拾い上げて、何事もなかったように背伸びをした。


「……さすがに普通の荷物は取り上げられているか。だとしたら外への連絡は蓮が必要だな」


 現状の判断を終えて地を蹴る。身軽な体は壁にある僅かな凹凸を掴み蹴り、瞬く間に天井近くの換気扇へと足をかける。換気口を通れば、この建物内なら大概の場所に向かえるだろう。


「連絡をして、蓮を逃がして……そこまでやれば後は僕の勝手か」


 嗜虐的な笑みを浮かべている自覚はあった。何せここまで喧嘩を売られたのだ。首輪までかけられておいて尻尾を巻いて逃げるなど矜持が赦さない。


「電気系統の把握もしておこう。闇に乗じた方がねずみは狩りやすい」


 ────にゃぁご

 喉を鳴らす音が小さく室内に溶けて消えた。

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