第35話 仮の五十歩
「心外です。私は今考えうる最善の選択肢を提示したつもりですが」
「今の僕の社会的立ち位置を理解しているか?」
中学生に何を言うのかと呆れかえる。精神と肉体の話については今まさにしていたというのに。
「ええ。年齢や立場の差も加味したうえでの葛藤があることは分かりました。……俺も似た様な癇癪をガキの頃に起こしたからな」
今日出会った時から薄っすらと纏っていた不機嫌はいずこに消えたのか。胸焼けがしそうなほどに甘い笑みを先ほどから浮かべ通している。
「……ずいぶんと嬉しそうだな」
「それはもちろん。前にも言ったでしょう? 私はあなたを愛していますし、同じ想いを返してほしいと思っていると」
「それで、既成事実を得られそうだから付け込もうと?」
「悪辣な物言いではありますが、おおむねその通りです。あなたがそのようにやわらかい心根をさらけ出してくださることなど、滅多にありませんから」
せめて悪びれろ。胸中で舌を打つ。先ほど生えそうになっていた
「あなたは私を今この上なく意識してくださっている。けれども壁を感じていらっしゃる。でしたら、一度関係性の名称を変えるのは良い方法だと思いませんか?」
「…………、言いたいことは、理解できなくもない」
「ええ。確かに挙式や結納はまだ早いですが、それこそお付き合いでしたら今でも許してくださるでしょう?」
「付き合う……」
存外厭とも感じていない自分自身がいることにも、戸惑いがあった。
だが、彼の提案を受け入れるにはまだいくつかの葛藤もある。それを誤魔化す意味も含めて、ようやく少しこちらからも視線を合わせる。
「……一応聞くが、お前それで僕が『付き合ったけどやっぱり別れてくれ』と言ったらどうするつもりだ。お試しだったからと了承するのか?」
一度瞬きをした瞳は、澄んだ赤橙の色をしていた。
「もちろん了承などしませんが?」
「だろうな」
「といいますか、そもそも現時点で他に想い人が出来たから距離を置いてくれなどと言われたところで置きませんし隙あらばその相手を排除する準備はしています」
「お前……」
握ったままの手の甲を指先でなぞられる感触もあって、ぞわりと背筋が震えた。相変わらず笑みを浮かべたままの司狼が目じりにしわを生む。
「ところで、今の言葉を聞いてわずかにでも思い浮かんだ姿はありましたか? 参考までにお伺いしたいのですが」
「浮かんでないし仮に浮かんだとしても言うわけがないだろうが。……いや違う、そうでなくてだな」
完全に話の主導権を取られている心地にめまいがしてくる。手に力を込めて払えば、二度ほど抵抗をされてからようやく解放された。相変わらず押し倒された体勢のまま、首だけをわずかに斜めに傾けた。
「それは最早何も意味がない気がするが……僕の心境はさておき、お前はどちらにしても逃がすつもりはないのだろう?」
今だって友人などと言いながら、褒美に口づけを強請り許すような関係だ。──些か複雑な心持ちはあるが、自分が意識をはじめたこの段階で仮という形でも迫ろうとする心境が理解できない。
「何をおっしゃるのですか。違いならあります」
「何がだ」
「あなたから向けられるものの確証を、俺が持てる」
──青天の霹靂だった。口を開ける僕の姿を見て、司狼が眉を下げる。
「……俺からしたらずっと、アンタはすました顔でのらりくらりと躱してたんだ。そのアンタが俺のことを意識してくれるって言ったら嬉しいし、折角ならその証がほしい」
「……、司狼……」
「俺もアンタも益しかない提案だろ。……むしろ、俺としちゃ提案の機会がいつ巡ってくるかと手ぐすね引いてたんだ。つけこませてくれよ、環」
「……分かってやっているだろう、お前」
ただでさえ司狼の困ったような声には以前から弱かったというのに、そこに跳ねる心臓まで足されてしまえばこちらに敵う術などない。
「当たり前だ。……で、返事は?」
「……っ。……条件が一つだけある」
もはや悪あがきだとは自分でも理解しているが、振り回され続けるのは性分に合わなかった。彼の眼前に人差し指を立ててみせる。
「関係性の変化はあくまで仮初だ。お前が名付けたいのが番候補なのか恋人なのかは知らんが……実際にその名前にするのは僕が高校を卒業してからにしろ」
「長い」
ずっとにこやかになっていた彼の顔が歪むが、この点を譲るつもりはなかった。
「今の僕は社会的に学生だ。肉体的にもまだ未成熟でもある。……本番の可否も含めて、そのラインは守るべきだろう」
「……せめて中学卒業にしちゃくれませんかね。今どきの高校生だってヤらないほどウブなカップルなんざ滅多にいないでしょう」
「前世の私を、犯罪者の義父にしたいのか?」
「~~……その相手がそもそもアンタなんですがねぇ……」
実にややこしい限りだ、頭を抱えた司狼を見てようやく胸がすく心地になっていれば、顔をあげた司狼が私の頬に口づけてきた。
「はぁ……分かりましたよ。アンタにまた会えるまで十五年もお預けを食らってたんだ。待てが効くところは見せてやります。……本番以外でしたら、愛でさせていただけるのですよね?」
「……はぁ、ほどほどにしろよ」
ため息をわざとらしくつく内心、インターバルを作ることが出来たことに安堵していた。──狐月に首輪について話をしたのはほんの一週間ほど前だ。判断は彼にゆだねるとしても、それに必要な時間は確保しておきたかった。
「(これを知ったら、こいつは怒るのだろうな)」
牙を向かれたいわけでもない。けれども首輪をつけた今の在り方が正しいか、今の自分には判別が出来ないから。
言葉を飲み込む代わりに、腕を回して振ってきた口づけに応えた。
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