第34話 飛躍
司狼の言葉に今は出していないはずの尾が天高く張り詰めた心地がした。
「……で? その赤い顔のワケを教えちゃくれませんかね」
「断る。とっとと下ろせ」
「ヤダね。そうしてほしいってんなら
既に二度、彼に対して使用している絶対命令機構の名を告げられて胃の腑が重くなる。睨みつけたところで橙混じりの赤い瞳が眦を下げて細められるだけだ。
「前回への嫌味か」
「まさか、本気さ。今のアンタのその顔を見て、俺が俺の意志で大人しく待てが出来るわけねえだろ。……これでも、ギリギリのところで抑えてんだ」
視界が反転する。ずっと見上げていた天井が一気に遠くなり、そらし続けていた司狼の姿が眼前に映る。寝台に押し倒されたのだと気づいたのは、半拍を置いてからだった。
「ッ、司狼!」
「いきなり食い散らかしたりはしねぇよ。でもアンタ、逃げたり誤魔化せそうだったら絶対するだろ」
「……っ、」
事実、どう今の状況を乗り切るかを考えていた僕は閉口する。司狼の眉が僅かに下がった。
「俺はアンタを喰いたい。でも、傷を一方的につけて支配したいわけじゃねえんだ。アンタにならいくらだって傷をつけられて構わないし、つけてほしい」
「……熱烈だな」
「当たり前だ、アンタ相手を口説くのに四の五の言ってらんねえよ。……だからこそ、今みたいに隙を見せられたら堪らない男心ってもんも、分かっちゃくれねぇか?」
これでもぎりぎりのところで自制してるんだと鼻先をこちらへすり寄せる仕草。
「あんだけのことをしでかそうとした俺に、友人からって言ってくれたのは嬉しかったよ。でも同時に、一緒にいりゃ欲も出る。……アンタがいなくなるって聞いて本性を晒した狼みたいにゃなりたくねぇ」
「お前はロウフとは違う」
「そうだな。でも、アンタが絡めば分からない」
ぎしりと寝台が揺れる。似たような状況がなかったわけではないが、いずれも自分か司狼いずれかが正常ではない状態だった。
「それだけ、環は特別なんだ。……キスも駄目っていうなら、せめてこの忠狼にアンタの気持ちを教えちゃくれませんか?」
「忠義とは真逆にあるだろうがお前は……」
呆れの言葉は零れるが、これだけの言葉を差し出されて何も返さないのは矜持が赦さなかった。未だ言葉はまとまらぬまま、数秒の間を開けながらも薄く唇を開く。
「──僕は、お前のことをどう扱えばいいかあぐねている」
「……」
「はっきり言えばこんな状態は歪だ。改めて友人同士という形ではじめはしたが、していることを考えれば普通じゃない。お前は僕の中に前世を見ているし、僕自身も……猫の獣越者にとっての因縁の多さが思考を乱す」
殺された存在であり殺した存在であり、拾い上げて育てた存在でもある。
一方で、
「精神は間違いなく連続している。それは他でもない僕自身が理解している。だが子どもの肉体と立場では、どう足搔いたところで前と同じではいられない」
前世の時には自分のことでは使わせまいと決めていた
「具体的に……どう違うのでしょう?」
「……昔は、お前が私をどう思おうと構わなかった。不満をこぼすのも噛まれるのも子どもの反発だと思っていたからな」
立派に成長して会社を継いでくれるなら憂いはないし、そう育たなかったとしても、憎まれようとも構わなかった。最初の動機はどうあれ、彼は自分にとって愛しい子どもだったから。
「だが、今はお前が僕をどう思うのか……怖い。無論お前自身が不実な人間とは思っていないが、肉体の違いによる差異は否めない」
「……」
「つまり……その、意識をしているのは間違いない。それは認める。ただ、それについて当の僕自身がまだ思考の整理が出来ていない。……から、落ち着くまでは勘弁してほしい」
気がつけばいつ
先ほど以上に熱を持った頬を自覚しながら瞳だけを司狼の方へと向ければ、極限まで細まった瞳孔が、幾度も瞬くにつれてゆっくりと丸まっていくのが見えた。
「…………、……ありがとう、ございます。環さまの、御心は、理解できました」
「そうか。……」
本当だろうか。はたから見れば呆然としているようにしか見えない。若干の疑いのまなざしを向けていれば、緩慢ともいえる仕草で彼の肩が揺れる。かと思えば寝台に無造作に投げ出されていた環の手を掬いあげた。
無抵抗な手のひらが、彼の頬へと当てられた。
「ええ。それでひとつご質問なのですが……挙式は和と洋どちらが良いでしょうか? 無論環さまが望むのなら結納までで留めますが」
「理解できていない。間違いなくそれは理解できていないぞ」
満月とは違い瞳に理性はあるようだが、発言に欠片も存在していない。思わず首を横に振って諭した。
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