5章
第27話 鍵穴
「……すまなかったね」
「何がだい、
窓の向こうが夕焼け色に染まる中、隣から聞こえてきた謝罪に環は顔をあげる。
「二度目の対面にしては、あまりに踏み込みすぎたと思って」
「なに、気にすることはないさ。お前は司狼のことを心配してくれたのだろう?」
二人の軌跡については、記事や記録を辿っていけばすぐに分かるものだった。大学からの交友関係で、司狼が認めるだけの技量はある男だ。
「ハァ……あの狼の育て親なだけあってやりにくいな、キミは」
「褒め言葉と受け取っておこう」
少し離れたところで、体験コーナーでの一幕を記録にして配布するサービスが行われている。その前にかじりついている蓮を見つめながら、会話は続く。
「復讐、という形容をしたことは重ねて謝罪しよう。……聞くに、すでにキミはそれを放棄しているようだ」
「────どうだろうね」
思わず思考が口から零れ落ちた。傍らの蘭茶がこちらを向く。
「少なくとも間違いなく、かつての僕は狼が悍ましかった。己の凶暴性と欲に任せて全てを蹂躙するさまを、幾度も
そうは聞こえないと狐月の独り言めいた声が聞こえてくる。無理もない、自分の声はそれほどまでに冷えていた。
「……なら、なぜ狼の仔など引き取ったんだい?」
「……。何故だろうね。贖罪か、支配欲か、報復か。きっとどれもあった」
かつての無辜の生まれたばかりの狼たちを殺したことの罪悪感の払拭を行い。
支配されていたものを支配し返すことで自らの傷を慰め。
狼としての
いずれにしても独善的で、身勝手極まりない話だ。
「──けれども、あの子は純粋だったよ。引き取ってからの五年間は楽しかった」
「……純粋とは、あの狼には似合わない言葉だ」
「そうかい? ……あの子は私が沢山のものを与えてくれたというけれど、それは逆だ。私の方が多くのものをもらった」
けれども。同時に環は思う。
それはきっと自分がこれまで殺してきた狼たちも。そしてロウフすらも本来は持っていたものだったのだろう。踏み躙ったのは自分だ。
「
「やらかされたと聞いたけれども。……その時にも首輪は?」
喉が詰まり、
「アイツはそんなことも話していたのか……なら、やはりお前が適任なのだろうね」
「ハ?何がだ」
眉をひそめた狐月へと向けた笑み、その口元の弧を緩めなかったのは長きを生きるものとしての矜持だ。
「
そういって用意していた封筒を差し出す。狐月は手を伸ばし返すことなく、「これは?」と警戒した瞳で一瞥した。
「今言っただろう。首輪の外し方だ。……私はあの子に近すぎる。けれども僕はただの他人だ」
立場と距離だけでいうなら、よほどあちらで記録と向き合っている人の子どもの方が自分とは近かった。
「首輪には副作用がある。被装着者は装着者への信愛が増すというのは実際のデータでもあるからね。……僕は目の前のあの子と向き合いたいと思うけれど、その可能性を排除はしきれない」
「……」
「だからお前に頼みたいんだよ、
未だにその手は白い封筒を掴みはしない。
奇妙な沈黙を破ったのは、声変わりしはじめていた声だった。
「待たせたな! つーか環、お前ここ結局あんまし遊んでなくね?」
「元々展示目的だったからね。蓮が色々と遊んでる間に見たいものは十分見せてもらったよ」
無理やり目の前の細い指先に封筒を握らせて、蓮の方へと歩み寄っていく。夜はどうする? 蓮は門限をすぎる連絡してないだろ。そんな会話をしながら出口の方へと向かおうとした。
「……
それを踏みとどめたのは、他でもない狐月の声だ。振り返ってみたその顔は、痛みを耐えるように歪んでいた。
「アナタは! ……アナタは、さっきも聞いただろう。司狼のことをどう思っているんだ」
夕日の光が建物のガラスに反射して、いやに目に染みる。眩しさから逃れるように瞳を細めた。
「もちろん、愛しているとも。でもそれは
「────ッ!」
「だから、お前に頼みたいんだよ。賢く愛に聡い狐の逸話を持つ者よ。……司狼をよろしく頼むよ」
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