第26話 首輪

「よし取り敢えず顔面一撃殴らせろテメェが環さまのはじめてだって???」

「落ち着いてほしいなぁ! 首輪ステイリングつけられたのまで嫉妬の対象なの!?」


 ここが二人の会議室でよかった。水のある場所なら沈められていたかもしれない。


「当たり前だ。首輪ってのは親子や夫婦くらいの親密な関係でこそつけられるもんだ」

「法律ではね。技術としては、条件さえ揃えば行きずりの他人でも首輪だけならつけられる」


 越具と命令を受ける側の獣石、命令をするためのディタレントワードがあればいい。かつては獣石を持つ獣越者同士しか結べなかったが、技術発展の結果普通の人でも越具さえあれば首輪をつけられるようになっていた。

 そう指摘されて司狼は赤橙の瞳を瞬かせた。


「そういやそうだっけか。首輪をはめれるのは獣越者一人につき一人だけだから、忘れてたわ」


「……まあ、当時はディタレントワードがなかったから行使力はさほどでもなかったけどね」



 ◇ ◆ ◇




「……っの、ていどで……、僕を、しはい、しようって?」


 自らと異なる獣の力に思考が眩む。けれどもなお笑みを口元にたたえて鶴は鳴いた。首元に下がっている獣石は、環の石の輝くに反発するように光り輝いている。


「いちおう、これでも……君の数倍は、生きてるからね。その程度、でっ、支配される気はないよ」


 挑発するように笑みを深めれば、相対している猫の瞳がにんまりと弧を描いた。


「いいや。お前は俺の元につくさ。そちらの方がお前に利があるからね。鶴よ。……お前は一体後何年生きるのだろうね?」

「……っ!」


 鶴の表情が歪む。

 この世で生を受けてから三百年をすでに経過していた男は、孤独に飢えていた。いつか彼に与えられる死を得るため。それがロウフに従う最大の理由だった。


「お前は死にたがりではあるが、死を望んでいるわけではないのだろう? ただ、孤独が怖いだけだ」

「そうかな、……いや、そうかもね。はじめの頃に共にあってくれた亀はもういない」


 彼にまた逢いたいとそれだけを願って強きものに追従してきた。その浅ましさを猫の瞳は見透かしたのだろう。猫の口元が、三日月のように歪んだ。


「猫には九つの命があるという。この先生きるはおそらく六代。百……およそ二百は越えるだろう。一代ごとの寿命次第だがね」


「…………!」

「さて、一代こっきりの狼にこうべを垂れるよりもよほど、お前にとっては利があるんじゃないか?」



 ◇ ◆ ◇



「……僕はそれに一も二もなく諾いた。千年に及ぶ孤独に対し、その何割かとはいえ友連みちづれになってくれる者が現れたんだ」


 あの時の歓喜は、今でもまだ覚えている。


「だから僕は、環と共謀してロウフを嵌めて殺した。その後の隠れ里は僕が継いだよ。鶴王さんと呼ばれているのはその名残さ」


 当時はまだ苗字制度は存在しなかったから、適応になった時にこれ幸いと名付けたのだ。


「…………」


司狼の手が離れ、鶴王の体が臀部から床に激突した。


「あいたたた……遺言って言ってたけどいいの?」

「ケッ……、死にたがりを殺してやるほど俺は暇じゃねぇからな。テメェにとっちゃ、このまま俺らが死んでからも生かされ続ける方が酷だろ」


「……………そうかもね」


 身体からどっと力が抜けて、浮かしかけていた腰を再び床に下ろして口角だけをあげた。


「それで、俺を育てたことが復讐だってのは?」

「……あくまで一つの可能性だけどね。ロウフを殺した後も環の怒りは、怨恨は収まらなかった」


 次代、その次代。狼の獣越者が生まれるたびにありとあらゆる手を使って彼はその獣を殺していった。時に獣の力を人に授けて。時に狼の逸話を歪めて。


 およそ百年。その期間の間に死んだ狼は十五を超えた。



「だが、俺は生きてる。それどころか、あの方は俺を拾って育て上げた」

「……二度死んだ先の合わせて五代目。はじめて五十を超えて長生きできた環はね、虚しくなったと言っていたよ」


 ──狼が憎くなくなったとは言わないさ。今でもあの満月はこびりついている。

 ──だが、今の私は百の半分を越える命を経てしまった。この代だけでだ。

 ──その私が、自分よりまだ年若い狼を屠る意味は一体どこにある? 獣として、獲物を蹂躙するのと何も変わらない。……これでは、ロウフと何も変わらない。


「それ以来、自分から狼を"狩る"ことはなくなった。……引き取って育てたのは君がはじめてだけどね。でも、これだけは言えるよ」


 埃を払いながら鶴は立ち上がる。それまでずっと多少なりとも上がっていた口元は引き締まり、まっすぐ目の前の狼を射抜いた。


狭牙きょうが司狼しろう。君が捕食欲ではなく、心から環を愛しているというのなら、獣のさがは封じるべきだ。……これでも鶴王さんは彼の友人だからね。忠告くらいはさせてもらうよ」


 湿度を感じさせない笑みを浮かべて手を振り、司狼へと背中を向ける。獲物が立ち去るのを、狼はただじっと見据えていた。



「……環さま。」


 やがて、誰もいなくなった部屋。

 取り出した端末が、呼び出し音を幾度か鳴らした。

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