第25話 白日

「……だが、実際どうやったんだ。前世の記憶を持ちこしたと言えど、当時のアナタはまだ生まれて間もなかったのだろう?」


 空調の利いた室内だというのに、背中が凍えて仕方ない。あつしは小さく身震いした。


「ああ、それは……」

「なぁなぁ、何話してんだよ。俺の活躍絶対見てなかったよな!?」


 この空間で唯一温かみのある声が割り入ってきたことに、タイミングの悪さよりも安堵を覚えてしまったのは致し方ないだろう。振り返れば蓮と呼ばれていた少年が環の腕を引いていた。


「見てた見てた。崖の上からうまく飛べないで墜落した姿とか」

「なんでそういうとこばっか見てんだよ!?」


 環も先ほどまでの淡々とした表情から一転し、からかう調子でやり取りを交わしている。


「大体飛んでる人間とか見たことないのに飛べるわけないだろ!」

「暴論だね。まあ僕も実際一度しか見たことないけど」

「逆に一度あることに驚くんだけど!? 鳥の獣越者って言ったら、やっぱり鶴王さん?」

「えっ、」


 奇天烈な声をあげて篤は二人を交互に見る。先ほど話に出ていた鶴と、環が知り合い? 自分が殺される契機になった相手だというのに。

 環の切れ長の金がこちらを見て細められた。


「ああ。僕が三度目の生を得て、家の人たちに塔に閉じ込められていた時にね」



 ◇ ◆ ◇



 皮肉なことに、三度目の生はそれまでで一番穏やかなはじまりだった。


 豪農だった環の親は、己たちの子どもが獣の力を秘めていると知るや否や、寺に金と共に預けた。五つを過ぎたところで仏塔の上層階に閉じ込めることと引き換えに、積み上がるほどの書物やわずかな安息を得ることになった。


 環としても否やを言うつもりはなかった。望む書物があると唯一足を踏み入れる見習いに要望を出すくらいのもの。見張りすらロクにいない日々は、十二歳になったときに聞こえてきた羽ばたきで唐突に終わりを迎える。


「こんにちは。囚われのお姫様……いや、お猫様という方が良いかな?」

「……あなたは」


 先端だけが黒に染まった、けれども大半が真白の翼を広げた男は、口元に弧を描き歩み寄ってくる。


「はじめまして。私は君の同胞だよ。ここに猫の逸話もちがいると聞いて、迎えに来たのさ」


 男はたおやかな笑みをたたえてこちらを見下ろしてくる。光が軒先から差し込み、白を反射した。


「こんな塔に閉じ込められて災難だったね。もしもここから出ることを望むのなら、僕が……僕たちが力となるよ」


 環はその言葉に目を見開く。その表情を見て鶴は未だ翼となっている手、その先端を向けた。手にしていた本を膝において、環は自らの手を彼へと伸ばし。




「──相変わらずの甘言だな。

 狼に喰わせる餌が足りなくなったのか? 鶴の」


 猫の腕は鶴の翼よりも奥にある首元を掴み、締めつける。その瞳は憎悪の氷で冷えきっていた。



「っ!? ……っ、な、んの……話、かな」

「どうした。俺がかつてを覚えていることがそんなに驚きか?」


 囁く環の言葉に対する鶴の反応は見事なものだった。一瞬で青ざめて翼が震える。その一方で瞳を奥に異質な輝きが生まれたのを環は見逃さなかった。


「……っ! まさか君、記憶を……!」

「──この生を受けて、獣についての書物を読み漁ったよ。どうやら我らの力は本物の獣というよりも、獣の逸話と深く絡んでいるようだ」


 目の前にいる男は、かつての環が殺された時から姿を変えていない。いまだ若々しい姿のままだ。


「猫は九つの命を持つと、逸話では呼ばれている。俺が僕の記憶を持つのもそういうことだろう」

「……まさか、そんな……」


 呆然とした表情をみせる鶴は、今や哀れな餌にしか見えなかった。鏡面がそばにあれば、あの満月の下の狼と同じだけの獰猛な表情をしているであろう自覚は、環にはあった。


「……僕を喰らうつもりかい?」


 震えた声は、けれども一抹の期待を孕んでいた。


「いいや。それでは足りない」

 だからこそ、叶えてやる気は環にはない。


 首を横に振って、口元に美しい弧を描いた環は、猫の文字が記された獣石を取り出す。

 似た形をした、鶴の字が刻まれた其れを結ぶ紐へと近づけた。


「狼を……ロウフ・ウルフェンを裏切り、俺に即け。その長い首に首輪を嵌めてやろう」

「……っ!」



 ◇ ◆ ◇



「……首輪? 当時にはもう首輪制度があったのか?」

「制度としてはなかったよ。ただ、獣の力を他の獣の力で押し込める……今の首輪の前身については書物で幾度か見かけていたから」


 恐らく不可能ではないという程度の不確定さだった。あれはある種の賭けだったと言えよう。


「よくそんな曖昧な状態で出来たよな……あ、俺あのずんだソフト食いたい。買ってくる」

「晩御飯が入らなくなっても知らないよ?」


 環の言葉を無視して蓮が出口からさほど遠くない売店へと向かう。──恐らくは話題に触れすぎないほうが良いと彼なりの気遣いだろう。短い付き合いではあるが、それくらいの配慮をする少年だというのは篤にも分かってきた。


「それに、その時は絶対的な支配権まで行かずとも構わなかったんだ。……どうせ鶴は、僕の提案に頷くという自信があったからね」

「……そうなのかい?」

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