4章
第20話 鶴の一声
煌びやかなホールは華やかな服装を着た人々で賑わっている。鼻を小さく鳴らした司狼は、苦々しげに顔を歪めた。
「……香水くせ」
獣越者も多く集まる場なのだから、もう少しくらい配慮しろよ。司狼は内心で悪態ついた。
環を誘えなかった以上、この場所に付き合い以上の価値はない──蔓延する香りをかの人に味合わせることになることがなかったのが、せめてもの僥倖か。
今日は珍しく先日遭遇した狐もいない。出くわしたなら言葉か脚で釘でも刺してやれたのだが。
「……」
出口へ向けて踏み出しかけた足を止める。狡猾な狐なんぞよりもずっと、警戒すべき匂いだ。姿は知らないが、この匂いだけは一年以上前から知っていた。
「おや、君が噂の狼くんか。良かった良かった。引きこもりの鶴王さんでも無事会えるとは」
「……どうも。こっちもアンタにゃ会いたかったぜ。そのスカしたツラ一発ぶん殴ってやりたかったもんでな」
「おや、ひょっとして開幕早々鶴王さんってばピンチ?」
短めの白い髪を赤いリボンで編み込む妙齢の男。間違いなく年上だろうが年齢が不思議と掴めない。ヒールを履いたパンツスーツは中性的な見目に腹が立つ程度には似合っている。
笑みを乗せたまま両手をひらひらとさせているのは戦意を見せないつもりか。構わず握りこぶしを作ってみせれば、少々笑みに苦いものが混じった。
「タンマタンマ! 君一応狭牙としてここにいるんだよね? 乱闘とかしたら会社の顔に泥塗っちゃうんじゃないの?」
「ちっ」
「う〜ん乱暴。これだから肉食獣はなぁ」
「地に足つかねぇ鳥に言われる筋合いはねえよ」
隠すことすらせずにネックレスとして首からかけている獣石を一瞥する。鶴の一文字が入ったそれと、かつて一瞥だけしたディスプレイを結び合わせるのは容易なことだった。
「たしかに地に足着かないけれど、それは鳥だからでなく僕が鶴王さんだから。……っとと、そろそろ冗談はやめにしておかないと、本当にこぶしを奮われそうだ」
「分かってんなら何よりだな」
口元に弧を描いて笑ってみせれば、「う~ん、狼ってば乱暴」と肩をすくめられる。
「巡る猫の主が拾った狼なんてどんな感じに躾けられてるかと思ったけど。その辺の矯正は出来なかったかぁ」
「全方位に失礼だなアンタ……用件が終わったならとっとと消えてくれねぇか? 俺だけじゃなくて環さまの前からも」
「は~い。それにしても、彼も丸くなったものだね」
反転した身体から瞳も意識も反らす。釘は刺した。今後彼が愛しい彼に近づかぬよう、あちらにも声掛けを……。
「或いは、君を育てることこそがかの狼王への復讐かもしれないけど」
「……待て。テメェ何言ってやがる」
去り際の鶴の腕を遠慮なくつかめば、小さな悲鳴が上がった。
「痛い痛い痛い! もう、やっぱり狼って乱暴……」
「んなこたどうでも……良くはねぇか。おい、こっち来い」
衆目を集めていることに気がつき鶴王と名を持つ男を力任せに引きずっていく。男の腕がどうなろうと知ったことではないが、好奇を向ける人々の噂になるのは御免だったし、万一その噂が捩れて環の元に歪んだ形で届くのはなおさらだった。
◇ ◆ ◇
会場があったホテルの中で一番人の耳目が集まらない場所。
通常考えれば個室だが、貸し切りラウンジを選んだのは余計な流布の立つ余地を減らすためだった。
膨らみはじめた半月が浮かぶ夜空をブラインドで隠し、改めて男へと向き直る。
「で、だ。さっきの話、復讐ってのはどういうことだ」
「おや。君は知らないのかい?」
自分は知っていると暗に告げる言葉に思いきり顔をゆがめれば、ちっとも悪びれない顔で手を合わせてくる。
「ごめんごめん。別にマウントとか嫌味のつもりはないよ。……まあでも環の性格を考えたら当たり前か」
「……環さまは、昔のことを話したがらない。その意志をなるべく尊重したいとは思っている……が」
橙混じりの赤い瞳が焔のように熱を持って睨みつける。
「さっきの物言いで看過は出来ねぇな。鶴王とか言ったな。聴かせろ、テメェはあの方の何を知っている?」
狼の威嚇を真正面から受けてもなお、鶴王の視線も背筋も揺らぎはしない。
「あの子のことはよく知っているよ。巡る猫の主、環という獣越者が生まれたその二代目の頃からね」
「チッ」
吐き捨てるような舌打ちに、鶴王の笑みが深まる。
「そうだね。なら折角だ、語ってあげよう。環という猫の主のこれまでの生を」
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