第17話 三度の引き寄せ

 抱きすくめられたまま、脳内で状況を整理する。


 ──狐月こげつという名称には聞き覚えがある。近年獣越産業と三次産業の積極的な提携を果たしている先進気鋭の企業の名称だ。

 ベンチャー企業ではありながら、すでに多くの大企業──狭牙もその一つとして提携を果たしている。その若き経営者の名は。


「もしや、狐月こげつあつしか?」

「……………………ご存じですか? 環さま」

「記事でなら見た覚えが……っ、おい、痛いんだが」


 骨がきしむような音と鈍い痛みに顔をゆがめれば「っ、申し訳ございません」と力が緩む。緩みはするが、離れはしない。司狼の親指が握りしめた肩の輪郭をなぞる。


「……? おや、連れがいるのか。いつも一匹狼なキミが誰かと一緒にいるなど珍しいな」

「大事な連れだ。分かったらとっとと消えろ。その上っ面の狐のツラはがされたくねえだろ」


 さて。それなりに体験エリアもあるとはいえ、ここは博物館。

 当然こんなやり取りを交わしていれば、否が応でも人目を集めるものだ。衆目を集めることは慣れているが、あまりに悪目立ちしすぎだろう。シャッター音まで聞こえる始末。


「司狼。離せ」

「ですが……」

「せめて場所を変えろ。視線にも気付かぬ愚鈍な輩に育てた覚えはないぞ」

「……、畏まりました」


 彼は周囲を鋭い目つきで睨みつける。──あらかじめ月日を指定した自分を褒めてやりたい気分だった。これで満月の時分だったらまた首輪ステイリングを起動させる機を伺わねばならない。


「おい篤、ここのバックルームに連れてけ。あ、それとこの方を見るな。減るから」

「減らんが」

「……この、方……?」


 そう呟いた青年は僕の姿をまじまじと見つめてくる。明るい金髪に細まった蘭茶の瞳。穏やかそうだがどこか油断ならない顔立ちの男は確かに狐らしい聡明さを秘めている。


碧城あおしろたまきです。司狼とはこちらの縁で。……とりあえず場所を変えませんか?」


 獣石を見せれば、私が何の獣越者であるかを悟ったのだろう。息を飲みながら困惑の入り混じった声が返ってきた。


「あ、ああ……。なるほど……?……分かった、いや、まだワタシもよく理解は出来ていないが。ひとまずこちらへ」





 関係者のみが入れるスペースの一画、事務室のようにこじんまりとした部屋へと足を踏み入れてようやく一息つく。


「それで、彼はお前の友人か? 司狼」

「まさか。ただ大学が同じで、年代や獣越者という共通点が多い関係からメディアに取り上げられる頻度が近しいだけの他人です」

「おい! ライバルであるワタシに対するその物言いは何だ!」


 ソファに座って早々の会話だというのに、狐月は腰を浮かせて声を荒げる。最近は越具の盗聴を防ぐべく物理的に厚い壁が多いが、それにしてもその大声は聞こえてしまうのではないか。


「……コホン。失礼した。ワタシも聴きたいのだけれどね、キミは猫の獣越者のようだが、環殿かい? 狭牙の創設者の」

「創設をしたのは前世の話だけれどね」

「よし、挨拶はすんだな。さっさと帰れ篤」

「まだ何も話してないが!?」

「同じ酸素をお前が吸うだけでも減るんだよ」

「何が!!!」


 ペットボトルの蓋をあけて一口嚥下する。──ずいぶんと気安いやり取りを出来る相手ができたのだな。元養父の立場からすればよかった気もするが。


「……少々意外ですね。狐というのはもう少し狡賢い印象がありましたが」

「よく言われるが、それは古いパブリックイメージだ。我が狐月は比較的狐の獣越者が産まれやすい家系のようでね。その印象を塗り替えるべく古くから努力していたのだ」


 会話の間にもこちらを何度も上から下へと向けられる視線。言葉を切った狐月は額に手を当てて深々と息を吐き出した。


「それにしても、衝撃を隠せないな……まさか司狼。キミの佳月の愛し人がこのような少年だとは。いや、猫である以上見た目相応だとは思っていないが……」

「減るってんだろ」


 隣に座っていた司狼が三度みたび、こちらを引き寄せた。


「はぁあ……キミは気がれてしまったのか? 嘆かわしい。いかに中身が成熟した大人だろうと、まだ幼いとすら言える子ども相手にそんなベタベタと……!」

「煩え。テメェが目の前から消えたらお行儀良くしてやるっての」

「…………ずいぶんと威嚇するな」


 やりすぎではないか。呆れも交えて息を吐けば、司狼の目が泳ぐ。


「……嫉妬深い男は嫌いですか」

「縛られるのはな。猫の本分を忘れたか?」

「…………」


緊張感漂う空間ではじめに鳴き声をあげたのは向かいに座っている狐だった。


「はぁ。本当に嘆かわしい……。結構だよ、猫の。そんな獣寄りとなってしまった男にワタシから言うことなど何もない」


 こちらからお暇しようと立ち上がる狐月に対し、司狼も引き留める素振りはない。

 ──個人的には聴きたいこともあるが、それを今求めるのは泥沼にあたるだろう。


 別の機を窺おう。その扉が閉まるときに私が考えたのはそんなことだった。

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