第13話 猫に捕らるる

「テメェ、二度目は容赦しねえぞ。今何つった」

「やれやれ。肉食獣はこれだから獰猛でいけないね。なに、キミをそこまで骨抜きにする御仁とやらに興味が湧くのは当たり前だろう?」


 元より細い蘭茶の瞳を三日月ばりの形にすれば狼が牙をむく。が、同じ獣同士その程度の威嚇で縄張りの線を引くつもりはない。故に回る舌の滑りを一層滑らかにするのが狐月こげつあつしという男だった。


「その佳月の愛し人はどんな人柄なのだい? 老獪などとキミが称するからには一筋縄ではいかないのだろうが」

「テメェいい加減に……」

「趣味は? 狩猟となるとさすがに狼の速度に勝てるかは難しいが、一般的な人間の趣味の範疇ならば十分に私とて目がある。個人的にはより芸術に即した趣味の方が話も合うと思うが……キミがそこまで言う相手ならば、その辺りも期待、でき……」


 唐突に言葉が途切れたのは、目の前の男があまりにない表情を浮かべたせいだ。


「……なんだいその狐につままれた顔は」

「…………」


 皮肉を交えた投げかけをしてもなお、呆然とした司狼の顔は変わらない。次第に嫌な予感と、見たこともない佳月の愛し人への同情心が湧き上がってくる。


「まさかキミ……愛しい人の趣味も知らないのかい?」

「……あんまり、動くのが好きじゃねぇってのは知ってる。けど……」


 ──ひょっとして、単に動けないだけだったかもしれねぇ……。

 そんな独り言が狐の耳には聞こえてくる。昔は病気がちなご令嬢だったのだろうか。疑問は頭によぎるが、それ以上に呆れが先に押し寄せる。


「さすがにそれは男として以前に人としてどうかと思うぞ。惚れるような男にだの言う前に、目の前の相手の好みをしろうともしないとは」

「……うっせぇ。これまでは知る方法がなかっただけで」

「ならどうやって知るつもりなんだい?」


 しばしの沈黙。扉をそのまま勢いよく開けて出て行ってやろうかという発想も篤には一瞬浮かんだが、そうしなかったのはひとえにプライドを優先したからに他ならない。ならないのだが、しょげた犬のような声で「……イルカの越具を使えば、通信回線の傍受くらいできるだろ、それで……」と言い出したときにはそのプライドをかなぐり捨ててやりたくなった。


「…………キミ、いつから馬や鹿の獣越者になったんだい。いや、こういうと馬や鹿に失礼か。ワタシのライバルはいつからストーカーに落ちたんだストーカーに!!」


 あまりにも嘆かわしい。キツネの知恵だとかいう以前の話だと親指を地面に向かって突き立てれば、本人も不味いと自覚したのだろう。叱られる犬のように地面に座った。


「常々狼というのは発想が乱暴だと思っていたが、大前提の過程をすっ飛ばして犯罪まがいのことをしようとするな! まず相手に聞け! 話して教えてくれないのならアプローチをして反応を伺え! PDCAなどこの業界でも腐るほど耳にするだろう!」


 狼の耳にはやや辛い甲高い声を出したのはもちろんワザと……ではなく結果的にだ。防音設備が聞いている部屋で助かったと胸をなでおろすよりも先に口が回る。


「仕方ねぇだろ……向こうは向こうで俺に弱みを見せるとか死んでもごめんって性格してるんだぜ!?」

「キミにお似合いの性格の悪さだなそれは……。コホン。話がそれたが、やらかしたと嘆く前にキミはもっと相手を知るべきだろう」


 それを果たせねば何をしたところで無駄な話だ。

 突っぱねるように話を区切れば、司狼が自らの頭に手をやった。大方、幻耳げんじが出そうになったのを抑えたのだろう。


「……言いてえことは、癪だが、分かるさ。でも、その切っ掛けっつっても……」


 そろそろ蹴りを入れてこの部屋を後にしても許されるのでは?

 結論が暴へと寄りかけたところで通知音が鳴り響く。出所は司狼からだが、普段目にする機種とは別だ。おそらくはプライベート用の端末を取り出す姿を見ながら、ペットボトルを取り出した。


「俺だ。急にどうした……なにっ、環さまが!? 分かった、すぐ戻る」


 蓋を開け終えたころには通話を終了した男が、地面に座り伏していた時のつつましさはどこへやらという勢いで立ち上がり、その勢いままに扉に向かう。


「悪いが急用が入った。今日の件は貸しにしといてやる」


 一瞥すら向けずにそう言い放てば、扉が勢いよく閉まる音と離れていく足音が響いて遠ざかっていった。




 ──余談だが、イヌ科である狐もまた耳の良い動物だ。

 平常の警戒を解かぬ狼ならばともかく、今の動揺をあらわにしていた男が通話していた内容に耳を立てるなど易い話。


『──環さまが屋敷にご訪問されております。どうやら中学校を抜け出してきたようで──』


「…………中学校?」


 先ほどの奴の物言いから年上の相手だと思ったが。もしかして中学の教師か?

 急に自分が野狐禅やこぜんをした気がして、しばし悶々と過ごす羽目になるのは、この先の話。

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