2章

第8話 屋上にて

「んで、昔の養い子に押し倒されて襲われかけたって? お前前世で何したんだよ」

「何もした覚えはないが……」


 翌週の学校の昼休み、屋上へと潜り込んだ蓮と環は弁当を食べ勧めながらも会話を交わす。

 本来は立ち入りを禁じられている屋上だが、教師の覚えがよい環は当たり前のように合鍵を持つことが許されていた。生徒は誰も来ない場所なのをいいことに、おおよその事情を吐かされていた。


「お前が気づいてないだけだろ絶対。言っておくけどあの男、俺に初めて会った時めちゃくちゃ威嚇してたからな? お前は環のなんなんだ〜って」

「司狼がか?」


 気づかなかったと瞳孔が猫のように細まる環を見て蓮は「だと思った」と卵焼きを口に放り込む。


「俺にゃその感覚はよく分かんねぇけどさ。お前にとってあいつは可愛い我が子みたいなもんだってことだろ? ……つーか。逆によくそのままぱっくり食われなかったな」

「ああ……前世の時点であの子に首輪ステイリングをはめていてね。それを起動させたから」

「うげっ……なんで首輪ステイリングなんてもん、あのエリートっぽいイケメンがつけてるんだよ」


 獣越者は人を軽く凌駕する筋力を持つものが多い。それらが犯罪を犯したり、手をつけられなくなった時に抑止力として決められたディタレントワードを口にすることで、強制的にその動きを止めることができた。


「あの子を前世の私が保護した当時は手につけられなかったからな。前世でも一度か二度、人に噛みつこうとした時にしか使っていないよ」

「ふーん……でもさ。分かってんだろ?」


 遠くで鳴り響いたチャイムの音をわざと無視しながら、蓮は箸をつきつける。普段は口うるさい環もそれに口を挟まない。


「やらかしたことは向こうがヤベェよ。俺らはまだ中学生なわけだし? でもさ、そもそも惚れられてるって分かってのこのこ着いていくお前はお前で危機感なさすぎ。それも満月が近い時にさ。普段の警戒心をどこに置き去りにしてんだよ」

「……それは」


 環の箸が弁当箱の中身を掴むことなく揺れる。普段は子どもらしく無鉄砲で考えなしの蓮は、こういった時にばかり確信をつく。


「それに普段のお前だったら襲われた報復とかもっと容赦ないだろ。小学生だった時の変質者騒動! 俺は忘れてねぇからな?」

「失敬な。法的処置に最終的には収めたじゃないか」

「そもそも獣越者って人間の社会の法律全部適用はされないんだろ? 吸血が生存に直結するやつもいるからって」


 蓮の言葉も表面上は間違っていないが、獣越者が人をその逸話に依って引き起こされる行為以外で他者を害することは犯罪行為として当たり前のように記載される。──逆に言えば、先日の司狼の件は完全なグレーゾーンになるのだが。


「って、話がそれた。敵って決めたら容赦ないお前が、動きを封じてすぐ車を回せって命じただけなんだろ?」

「一発はぶん殴ったがな」

「それでもだよ。今の話だってあったことを話すだけで、あんまりアイツへの恨みとか嫌悪とか感じねぇし。結局お前としちゃあ、何がしてぇの?」


 その投げかけを皮切りに、沈黙が漂う。豹の獣具を使おうとした生徒が叱られる声が校庭からかすかに聞こえてくるのを余所に、蓮は弁当の中身をかきこんだ。


「…………正直に言おう。前世の私はあの子の言葉を、ただの戯言だと思っていたよ。雛にありがちな刷り込みからくる憧れだとね」

「あ~、インなんちゃらプリンってやつ?」

「インプリンティングだよ」


 ようやく一口。環もおかずをつまんで口に放り投げる。これを作ってくれた人は、週末に起きたことを露とも知らない。


「狼ってのは一度添い遂げた相手が死んでも次の相手を作らないし、一途だっていうからな。お前んところにあの狼が来てからクラスの女子がざわめいてたぜ」

「そうか、今はそんな逸話もあるのか。……僕は何もしらないな」

「知らねえんだったら、これから知っていってやれよ」


 環が口にした声がどうにも寂しげに聞こえて。元より考えるよりも先に口に出すことが先の蓮としては自然とそう言っていた。


「昔の子どもみたいなもんだからってんじゃなくて、今の碧城環として、狭牙司狼ってやつを知って、その上でタイプじゃないから断るとかやっぱ付き合うとか、そういうの決めてやりゃいいじゃん」

「…………はぁ。正直なところ抵抗はあるのだけれど」

「前世であいつの世話してたからか? んなもん今世ではリセットしちまえよ」


 能天気め、と小さく環がため息をこぼす。けれどもその表情が屋上に来て間もない時と比べればずっと弛緩しているであろうことも自覚していた。


「そうだね。僕も多少は腹を括るべきか」


 そうと決まればこうしてはいられない。残っていた食事をかきこんでから手を合わせる。


「ご馳走さま。悪いけど午後の授業は出ないから、先生たちにはうまく言っておいてくれ」

「おー。どうせお前の素行なら見逃される気はすっけど……これからどうするんだ?」


 重い腰を上げる蓮を待たず、屋上の扉へと歩み寄る。ドアノブを握ってから振り返り、さわやかな笑みを浮かべた。


「ちょっと前世にあの子と住んでた屋敷に潜入してくる」

「なんて????」

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