第5話 調査と鶴
市の中央図書館は建物こそ古めかしいものの、内部の資料は非常に豊富だ。子ども向けの絵本から雑誌から、獣越産業を中心に様々な分野の専門書まで取り揃えられている。
「あら、千支第三中学の……今日は何を探しているのかしら?」
「お久しぶりです。少し過去の雑誌と新聞のデータベースを閲覧したいのですが、席は空いていますか?」
「ええ。二階のD8区画はまだ余裕があるはずよ」
受付の女性とやり取りを交わしながらカードを差し出す。言われた先へと向かえば多くの人々が一人席で画面を見つめていた。そのうちの一人となり、宙に浮いた液晶に指で触れる。
「……認証は良し。キーワードは『狭牙コーポレーション』『狭牙司狼』『獣越産業』について」
『カシコマリマシタ』
イルカを模したキャラクターが一回転して画面に潜る。一秒も経たずに青い液晶に多くの文字が羅列した。自らが没してからの会社の業績、産業がいかに発展しそこに狭牙が関わっていたか、何よりそれを先導した若き社長。狭牙司狼について簡潔にまとめられた資料。
「……想像以上だな」
「おや、猫殿の前世の企業を調べているのかい? 珍しいことをしているじゃないか」
「司狼が妙なことを言い出してね。進退窮まった結果馬鹿なことを言い出してやいないかと懸念したのだけれど……、っ」
返答を口にしながら、先ほどまでいなかったはずの後ろの気配に気がついて振り返る。そこに立っていたのは白基調の服を身につけた白い髪と赤い帽子の男性だ。鶴の獣越者であり、見た目は30後半だが数代つづく環の生の前半からの知己。
「や、少年。……というのも妙かな? 巡る猫の主よ」
「鶴の。いきなり声をかけるのはやめてくれと何度も言っているだろう」
「鶴王さんと気軽に呼んでくれたまえ。ふむ、その名前は聞いたことがあるよ。君の前世の養い子だろう。いつの間に連絡をしたんだい?」
図書館という空間での会話に時折顔をしかめてこちらを見てくる者もいるが、男の首から下がっている鶴の文字が刻まれた石を見れば一様に目をそらして文字の世界へと舞い戻る。
「こちらがしたわけではない。向こうが急に学校に来たんだよ。唐突な来訪に警戒をするのは当然だろう」
「はは。それはそうだ! 特に君のような獣越者としてはね。用件については聞かなかったのかい?」
「聞いたさ。けれどそれが真だとは限らないだろう?」
大仰に肩をすくめてやれば、それが逆に好奇心を煽ったのだろう。昔はこうでなかったはずの鶴王は、いつしか好奇心で猫を殺すような性格になっていた。一人用の座席に当たり前のように乗り込んでくる。密着する身体がさらにこちらへと寄り、液晶を勝手に操作する。
「狭い」
「鶴王さんと君の仲だろう。いいじゃないか。……いやぁ、改めて見ると圧巻だね。僕は直接かの狼くんとは出会ったことがないけれど、優秀な経営能力と嗅覚! どこをとってもかの伝説の狼王を思い出す!」
デリカシーの欠片もない言葉に表情が引きつるのを自覚する。自分でわかるくらいなのだから目の前の男にも当然にそれは気がつかれており、意地の悪い笑みを口元に浮かべてきた。
「おや。てっきり僕は君が狼を拾ったというあたりで、かの光源氏の再来をしようとしているかと思っていたが」
「…………そんなつもりはない」
地を這うような響きだった。耳にした自分でも呆れるくらいに。九度目の生だというのに、三代目の僅かな邂逅を忘れられないとは。三つ子の魂とはよく言ったものだ。
「そうかい? なら良いのだがね。猫のは常々気ままなくせに身持ちばっかり固いからね。古くからの友人としては心配をしている訳さ」
「亀のと未だに追いかけっこをしている奴に言われたくないね」
「それを言われると弱いな~」
そのまま腕を首に回して締め上げてくる腕からするりと抜け出した。骨格は人の物だというのにこうしたところですり抜けるのが得意なのもまた、猫の特性故なのだろう。
「とにかく、あの子と久々に食事をすることになったからその前に近況を確かめておこうと思ったわけだよ」
「うん? ひょっとしてこれから会いに行くのかい?」
「ああ。今日の夕方に待ち合わせて夕食をね」
そこまで説明する義理はなかったが、不思議と黙ってくれたのならこれ幸いだ。手近においていたカバンを持ちあげる。
「ということで、僕はこれで。施錠される前に鶴のもこの席から出た方が良いよ」
図書館のカードを掲げてそのままエリアを後にする。時間まではまだ早いが、あの子の圧を考えると十分は前に来ていてもおかしくない。
「──うーん。タイミングが悪かったかな」
環が後にした座席に座ったまま、もう一度鶴王は液晶を叩く。
写っているのは狭牙司狼個人のゴシップ関連の記事。いずれも数が少ないうえに、過剰ともいえる速さで沈火させられている。まるで、特定の誰かに誤解をさせないように意識しているように。
「こりゃ、馬に蹴られることになるかも」
その一言を残し、青く輝いていた液晶は一つ残らず電源を落とされた。
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