1章

第4話 約束

 天候は異常なし。うららかな秋の木漏れ日を縫って小鳥が歌う。階段を下りてリビングへと足を踏み入れれば、香ばしい匂いが迎える。


「あら環、学校が休みだっていうのに早いわね。今日は蓮くんと?」

「いえ。図書館で少し調べものをしたくて。……ああ、ただ夜に少し友人と約束が出来たから、晩御飯は食べてくる」

「真面目ねぇ。私にもお父さんにも似ていないんだから」


 穏やかな笑みを浮かべた母は、けれども環の性格と獣越者としての在り方を重ねない。そういうところがとても好ましかった。ダイニングに入って食器を取り出して並べれば、彼女がトーストやベーコンエッグを手際よく並べていく。それを運んでいけばいつもの朝食の席が整った。


「夜ご飯も楽しんでいらっしゃい。お金足りる? 友人って言い方からするに、蓮くんじゃないのね。学校のお友だちかしら」

「昔の……前世の知り合いだよ」


 とはいえ獣越者であることは、石を握って生まれ落ちたその時から母も分かっていることだ。だから事情を若干早口ながらも告げる。


「あら! 環の前世のお知り合い? 楽しんできてね」

「そうだね。折角だから色々と話をしてみるよ」


 前世自分が行っていたことも知ったうえで鷹揚な笑みを浮かべる彼女に自然な笑みを返した。──今世の親ガチャは大当たりなんだろうな。学校でたまに蓮が口にする表現を思い出しながらそう評価する。


 食事を終えてスマートフォンを見れば、いくつもの通知が届いていた。蓮からの様子伺い、連絡先を教えているクラスメイトからの様子伺い、それにもう一つの通知。


「……司狼め。社長業も忙しいだろうに」


 まめまめしい男になったものだ。開いたメッセージ画面は互いにスタンプもろくに使わない文章でのやり取りが主で。あの日別れてから一度たりとも連絡を欠かさない。



***



[○/14(火)]


司狼:お疲れさまです。本日は急に学校へ押しかけてしまい申し訳ございません

環 :全くだ。明日以降級友に何か文句を言われたらお前に責をなすりつけさせてもらうぞ?

司狼:お言葉ですが、前世のあなたが不義理をしなければよかったのでは?


環 :前世の私の年齢を考えろ。今の私でも同じことを言うさ。『寝言は寝ていえ』とな

司狼:それでも何度か食らいついたら、アンタはこうも言ってたぜ


司狼:『お前が成長して、私が思わず惚れるくらいの色男になったら考えてやる』ってな



[○/15(水)]

環 :…………駄目だな。今日の授業中に思い出そうとしていたが思い出せん

司狼:授業も聞かないで余裕ですね。いえ、事実あなたなら余裕なのでしょうが


環 :知識としては前世の分もあるからな。そこは教諭たちも理解している。授業中の風紀さえ乱さなければ大抵咎めない。越具の使用も僕なら判別つくからな

司狼:鴉やイルカの越具は成績向上によく利用されますからね……そのようなことで環さまの手を煩わせるなどと


環 :別に構わないさ。さすがに蓮が持ち込もうとしたときには呆れかえったがな



[○/16(木)]

司狼:その名前

司狼:あの日校門であなたといた男子学生ですか

司狼:俺とのメッセージで俺以外の相手の名前を出すなんて、妬けますね


環 :ただの幼馴染だ。邪推はよせ

司狼:幼馴染だとしても、今の環さまを私よりもよく知っているのでしょう?

環 :何を言いたいんだ


司狼:機会を与えていただけませんか? あなたを恋慕う愚かな男に

司狼:今度の土曜の夜。空いているのでしたらお食事でも



***



 メッセージ履歴を遡ればむず痒い心持ちになる。息子……というには些か前世の年齢が離れすぎていたが、だからこそそんな子どもに今になって求愛をされるとは。



***


環 :食事くらいなら構わないが

環 :その物言いはどうにかならないのか

司狼:言わねば伝わらないでしょう

司狼:それに、かつてのあなたが亡くなってから十五年

司狼:想いを告げる先がいなかったのですから、これくらいの感情の発露はお許しください


司狼:食事にもご快諾くださりありがとうございます。土曜の夕方17時、駅前までお迎えにあがりますね



***



 ──これは俗にいう「言質を取られた」形では?

 怒りを覚えない辺り養い子だった司狼への甘さを自覚するが、実際あの子の近況を知りたい思いもある。そうでなければ学校来訪からの車内に連れ去ったあの日に連絡先を交換する必要などなかった。


「とはいえ、準備は整えておかないとな。……ご馳走さまでした、母さん」


 手を合わせて食器を水に浸しにいく。荷物はすでに持ってきた。髪を軽く整えて、玄関へと続く扉を開く。


「いってらっしゃい、環」

「うん、行ってきます」


 気ままな猫は今代の生を愛していた。守りたいと思っていた。

 だから──かつての養い子がそれを破壊しないかどうかは、見極める必要がある。

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