第2話 獣越者

 狭牙という名字に、蓮はようやく事情が汲み取れはじめた。

 狭牙コーポレーションは科学産業、獣越産業、薬剤産業でトップ企業の一つ。興した会社のはずだ。


 この世界には科学という物理法則によって成る法則のほか、古代由来の獣たちが持つ神秘の逸話が法則を形作る獣越と呼ばれる力がある。

 その力を秘めた越具を使用すれば、人間離れた腕力や脚力、五感を得られるものであり、生まれながらその特化した力を持つものを獣越者と呼ぶ。


「……え……、環が猫の獣越者だとは知ってたけど、そのにーちゃんもか? つーか知り合い?」


 空気を読めないとよく言われ、評定簿にも課題として記されることもある。だが蓮は自らの性質を問いを口にしてから猛省した。


「ああ、彼は前世の晩年に引き取った……」

「…………あなたは?」


 先ほどまでの麗しい笑みを潜め、絶対零度の視線が注がれる。全身の熱を奪い尽くしそうな、敵意。


 環が先んじて目の前の男を嗜めるようにその額を指先で弾かなければ、そのまま心臓発作で倒れていたかもしれない。そう思わせるほどの冷たさを蓮は感じていた。

 普段の妖艶さを秘めながらも穏やかな印象を受ける笑みは消え、女王然とした凛々しさを秘めた環の声が響く。


「司狼、圧をかけるな。彼は今の私の幼馴染だ」

「……ほう」

「司狼」

「…………、失礼しました」


 絶対失礼と思っていないだろ。二度目の空気は読まねば命に関わると判断して蓮は言葉を飲み込んだ。呆れた環のため息だけがいつも通りの調子に戻る。


「…………まったく。こいつから詳しく話を聞かねば収まらなさそうだな。蓮、悪いが課題を見るのはまたの機会だ」

「おっ、あぁ、はい、うん!?」


 突然いつも通りに話しかけられて蓮の心臓が跳ねる。こちらに環が視線を向けるたびに焼け焦げるような嫉妬の熱を感じるんだよと胸中でだけ叫ぶ。


「僕がいなくとも勉強はするように。おい、司狼、いくぞ」

「……、はい」


 環の手を取ったまま立ち上がった男は、そのまま優雅にエスコートをしながら環を案内するように歩き出した。その姿が校門の向こう側に停められた車に乗り込み、車の影すら完全に消えてからようやく、止まっていた学校の時間が動き出した。


「…………はぁ〜〜〜! あれ絶対獣越者だよな!? 怖……」



 ◇ ◆ ◇



 リムジンの車は年季が入っており、長く愛用されているものだ。他でもない、前世の環自身が頻度高く使っていたものだからこそすぐにわかる。運転席とは曇りガラスで隔てられており、誰が運転しているかをこちらからうかがうことは出来なさそうだ。

 とはいえ、裏を返せばこちらの姿も見れないということで、それは良かったのかもしれない。広々としたリムジンの中だというのに隙間もなく隣に並ぶ司狼は、こちらの手を離さない。


「……原理として理解はしておりましたが、本当に幼い姿となっていらっしゃるのですね。猫の獣越者というのは不思議なものです」

「お前がそれを言うのか。狼としてのさがをその身に生まれ持ったお前が」


 司狼の首元へと視線を向ける。かつてとは異なり美しく研磨し宝石とも見まごう見目になっているが、そこに下がっているネックレスはかつて彼が生まれ落ちた時より持っていた。狼としての証。


 獣越者は皆、獣の種族が刻まれた石を握りしめたまま生まれ落ちる。現代で確認されているのは狼、狐、兎、鴉、熊、蛇、蛙、蝙蝠……その他エトセトラ、エトセトラ。

 様々な種族がおり、皆一代だけの特異体質。獣越者が一人死ねば、直後から数年の間を置いて次代がどこかに発生する。彼らは皆生まれながらにして獣の逸話から成り立つ力を持つ。

 目の前に座る狭牙きょうが司狼しろうもまた、狼の力を持つ獣越者として人を越える脚力と腕力。嗅覚や聴覚を持っている。


「無論です。一代で終わる私たちとは異なり、九つの命をもつ逸話を持つ猫は唯一“生まれ変わり”が約束されています。──あなたさまが動かれるならばすぐに名は高名なものとなるでしょう。或いは、あなたの力を利用するか排斥する愚か者が現れるかと思っていたのですが」


 そう呟いた彼の瞳は昏いものだった。どこへ向かっているかも定かではないリムジンに乗せられたまま、一瞬沈黙が二人の間に降りる。随分と雰囲気が変わったものだと内心で環は値踏みをしていた。前世の自分が死ぬ前の彼はまだ十になったばかりだったのだから、印象が変わるのは当たり前だろうが。


「お前の予想通りにはならなかったわけだな。それで、探し回った結果が今日の学校待ち伏せか?」


 揶揄う調子で口角をあげれば、それまで涼やかな、あるいは華やかな笑みを浮かべていた司狼の口が逆側へと曲がる。


「……輪廻が巡るだけの時間はあったってのに、ちっとも姿を見せねぇアンタが悪ぃ」

「ふふ」


 いらだつような拗ねた様な、眉間にしわをよせる表情。よほどには記憶深い姿に懐かしさが湧く。


「猫が気ままな性質なのはお前も知っているだろう? 急いで連絡をする必要もないと思っていたまでだよ」


 狭牙コーポレーションの名前は生まれ変わって物心がついた頃からいくども見ていた。かつてと同じかそれ以上の規模を維持する若き社長の手腕も聞き及んでいたのだ。信頼の証だと思って欲しいものだ。


「成人したらさすがに手紙程度は出そうかと思っていたが、まさか中学に乗り込んでくるとは」

「……、焦っていたのは認めましょう。まさか環さまがかつての養い子に対して不義理をなさるとは思ってもみなかったので」

「不義理?」


 狼のように義理堅いとは思わぬが、そう言われるほどのことをした覚えもない。視線だけで何のことかと伺えば、わざとらしく皮肉気なため息が返ってきた。先ほどからずっと握られていた手を、改めて彼の両手が包み込んだ。


「はぁ……すっかり忘れてやがるんだな。前にも言っただろ? じーさん。俺はアンタに心底惚れてるんだって」

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