第1話 九つ目の再会

 猫は九つの命を持つ。

 それは通説であり真実ではない。けれども人の信仰は恐ろしいものだ。時に歪めた形で真実となす。


 チャイムが鳴り授業が終われば教室は一気に賑やかになる。

 部活動に向かおうと意気込んで出ていくもの。クラスメイトとの雑談に興じるもの。昨日見たテレビやゲームの進捗、次のテストの愚痴で飛び交う一角でどこか大人びた手つきと風貌で教科書を片付ける少年がいた。


たまき〜、もう帰るのか? 折角だから一緒に帰ろうぜ」

「別にいいけど、れんの部活はいいの? そろそろ都の大会があるんじゃなかった?」

「どうせ補欠だしさ。今日サボって帰ろうかと思ってんだよ」

「先輩に怒られても知らないよ」

「そこなんだよなぁ……」


 大仰な仕草で肩を落とした黒髪のツンツン頭の少年を見て、柔らかな茶色の髪をした少年は相貌を緩める。

 丸みの残る顔立ちながら切れ長の金の瞳と茶色の癖がわずかにある髪は血統書付きの猫めいた印象を与える。


 中学に上がって間もないタイミング、思春期に入った同級生や先輩たちの情熱的な目線が向けられることも多いだろう。事実クラスのあちこちから時折視線が飛ぶ。はたまた耳にキャップめいたもの──兎の聴力を得られるような道具を使う者もいる。授業以外での獣越産業品の使用は制限されていないとはいえ。あいつらもやるよなぁ。蓮は内心で呆れかえる。とは言え環と一緒にいる幼少期から慣れたものだ。互いに周囲を気にすることなく会話を続けた。


「ついでに帰りに飯奢るからノート写させてくれねえ?来週の試験後に提出するじゃん」

「自分でやらないと身にならないよ。受験の時期になって泣いても僕は責任取れないし」

「母ちゃんみたいなこと言うなよ。そりゃ、環が人生九回目なのは知ってっけどさ」


 唇を突きだす学友を意にも介さず、身支度を終えた環が立ち上がると「おい待ってくれって!」と蓮もあわてて自分の席に戻り、鞄を引っ掴んで後を追う。


「分かったって。じゃあ飯食いながらテスト勉手伝ってくれよ。んで、飲み物おごるからわからねぇところ教えてくれ」

「蓮って義理堅いのか図々しいのか……まあ、それなら構わないけれど」

「お前がただで頼んだりすると笑顔で怒るからだろ、環。何年の付き合いだと思ってんだよ」


 遡れば幼稚園からか。当時から浮いていた環に積極的に声をかけてきたのが蓮だった。それに対する環の感想としては奇特7、感謝2、呆れ1程度か。

 どう足掻いても学生時代に浮いてしまうことはこれまでの経験上想定も納得もしていたので。


「それに最近物騒だろ。近所の学校でも不審者を見かけたとかでさ」

「あぁ……小学校から高校の周囲を見てまわっている人がいるって言う?」


 今日のHRでも再三の注意喚起があったなと環の脳裏によぎる。階段を降りていく学生の中にも同じような話題を話す者も何人かいた。


「そうそう。声かけられたりはまだないらしいけど、環は女みたいなツラしてるし」

が人生何度目だと思っているんだい。そんな心配をされてもね」


 妖艶な笑みを向けられて蓮の心臓は内心高まる。……一方で油断しちゃならないとも気を引き締めた。何せこの魔性の笑みでこれまでの学生生活、先輩から教師まで余すことなく落としているのがこの男なのだ。


「向こうはお前がだって知らないかもしれないだろ。あるいは逆にだからこそ狙われる可能性だって……」

「蓮」


 凛とした響きに背が伸びる。反射的に足を止めて首をゼンマイ仕掛けの如く動かせば、数歩前で立ち止まっていた環が鋭い視線を校門へと向けている。

 何か気になるものでも見つけたか。もしや不審者か。目を凝らした蓮は思わず息を呑んだ。


 そこにいたのは黒髪の男だ。麗人と称した方がより近しい。橙混じりの紅玉の瞳は情熱を秘めた氷がそのまま形作られたようで、黒髪も蓮の持つような癖っ毛とは全く異なる。艶のある濡羽色をしていた。

 すらりと伸びた身体は細身ながらも均衡よく筋肉がついており、日頃環の顔を見ていなければその野生的な美しさに惑わされてしまいそうな造形。

 環がまだ未完成さを内包しながらも女王のごとき清らかさと愛らしさ、そして美貌を兼ね備えているならばあの男は完成された美しさと雄々しさを隠すことなく顕にしていた。


「うわ……あんなイケメン環の他にもいるもんなんだな」


 自然と蓮の口からは感嘆の吐息が溢れる。仮にあの男が不審者だというならば、誰もがたとえ破滅しようともその誘いについていくだろう。

 事実、横を通る女子生徒たちは──それどころか男子生徒までもが彼に見惚れながら立ち止まり、正気をそのまま吸い取られたように歩き出している。勇気ある女子生徒のうちの何人かは声をかけるタイミングを探っているようだが、堤防の決壊は未だ先のようだった。


「不審者があんな堂々してるとも思えないし、誰かと待ち合わせかね。そんな少女漫画みたいな構図…………、……環?」

「………………」

「ヒッ、」


 一向に返事のない環の顔を覗き込んで、蓮は小さく引き攣った声が喉から搾り出されるのを自覚した。

 美人の怒った顔は怖いと言うが、無表情の極地は怒り以上に恐ろしいものだと蓮は初めて知った。


 環の様子に気がついた周囲もまた、異様な光景にざわめきはじめる。それに校門前にいた男も気がついたのだろう。こちらへ目を向けて……かと思えば、勢いよくその長い足でこちらへと向かってくる。かろうじて走っている様子はないが勢いよくこちらへと早足で近づいてくる姿に、蓮が飛び退いてその場から数歩離れてしまったのを謗ることは誰にもできない。


 奇妙に開けた空間。

 環と謎の男、二人の異なる美しい男たちが揃う光景は異様だった。謎の男は高級そうな生地で作られたスーツの膝が汚れることも厭わず、地面に膝をつき恭しく環の手を取る。


「環さま。ようやくあなたのご尊顔と香りに拝謁することが叶いました。この狭牙きょうが司狼しろう、再びあなたさまが猫の命としてめぐりこの世に舞い戻ってくる時を、一日千秋の想いでお待ちしておりました」


 周囲からは黄色い悲鳴が沸き立った。

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