天才の絵

名無し/ペンネーム考え中

プロローグ

 びちゃびちゃの雑巾を嗅いだみたいな匂いに鼻をつかれて、目を開けると右頬に緑色の雑草が触れているから、濡れ雑巾じゃなく水を含んだ土だと判った。よろよろと立ち上がって周囲を見渡せば、俺は森の中にいる。

 なぜだか俺は、ある博物館の廊下を想起した。壁面やあるいは床や天井一面に人の目をひく作品で飾られた、あの廊下だ。左右の壁は樹木がその空間を埋めるように象作ったもので、床は緑のカーペット、天井には赤と黄色と緑と白がつくる陰影の激しい油絵が張り付いている。その美しさに思わず見上げ続けていると、そのビビットは隙間から落ちる木漏れ日と、逆光によって描かれたものだと気が付いた。枝の筋を指でなぞって、猫を描いてみる。長毛の猫だ。小さい癖に包容力がある、そんな猫を描く。

 すぐに飽き、傾けていた首を正面に戻す。

「は?」

 正面には母が立っていた。あの頃の母だった。懐かしい笑みを浮かべた瞬間、彼女の左胸のあたり──心臓のある部分を中心にして捻れ、渦巻いて消失した。

 そして、その数メートル先の空間に母が顕現する。俺が母に近付こうとすると、母は再度消えて顕れる。繰り返す。繰り返して繰り返した。

 どこまでも続く真っ直ぐな廊下を俺は駆け続け、母は幾千回離れていく。

 数時間走って、いつまで経っても肺が破裂しない奇妙な状況に俺は足を止める。母も二、三度点滅した後、少し奥で佇んだ。俺は母の顔を見て叫ぶ。俺は母と見つめ合った。

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