第69話 シャルロッテ

 黄金に輝く美しい髪とサファイアのような蒼瞳。白い豪奢な制服の胸元には、すでに余人が生涯をかけても手に入れられない勲章が2つも並んでいる。傑物だけが袖を通すことができるそれはわずかでも着崩されておらず、揺らぐことのない意志が内から溢れ形をもっているかのようだ。


 彼女の名はシャルロッテ。

 レバルデス世界貿易会社の海賊狩りだ。


 シャルロッテは机に広げた紙を眺めて、ちいさく息をついた。紙面にはレモール島で個人的に行ったいくつかの調査がまとめられている。島民への聞き取り調査。『モフモフ海賊』の足跡を追いかけスマルト谷に足を運び見つけたもの、そのほか些細な気づきなど。


「ユーゴラス・ウブラーに行った尋問により、彼らと衝突した者たちは明らかになった。赤毛の獣人、無双のクウォン、桃毛の獣人、緑毛の獣人、そして、普通のおっさん……」


 シャルロッテは自警団の長から聞き及んだ情報を鵜呑みにはしていなかった。理性で納得できるように情報の裏付けをとった。


 スマルト谷に足を運び、ご機嫌なレモン羊を見つけた。いくつかの死体も発見した。遺留品から『指狩りのシュミット』の死亡も確認した。また死体のなかに、斬殺されたものがないことから、ウブラーと敵対した者たちが、お人好し集団だともわかっていた。


 すべての情報はひとつの事実を照らしだしている。


「…………オウル先生、生きていらっしゃったのですか?」


 シャルロッテは瞼を閉じて、椅子に深くもたれかかる。彼女の脳裏にあるのは、泣き叫び、嗚咽をもらす幼き日の自分。激しく波に打たれる船のうえで、彼女は何もできず、遠ざかる故郷へ手を伸ばす。それは島民たちの罪。皆が選んだ。英雄の犠牲で、自分たちだけが助かることを。


 もう遠い過去の記憶だ。

 あれから長い年月が経った。


 一緒に暮らしていた親しき者たちはそれぞれの道を歩いている。各々の胸に失った大事なものを抱えて。


 シャルロッテも同じだ。もうあの島のことは、古い記憶のなかにしかなかった。あの島での友人たちも、もう長いこと会っていない。連絡すらしていない。

 だというのに、その瞬間は急に訪れたのだ。レモール島は薄れていた過去を呼び起こした。


 シャルロッテはレモール島からホワイトコーストに帰還し、今日に至るまでまともに眠れていなかった。常に過去に思いを馳せていた。いてもたってもいられなかったのだ。


 仕事に集中できない。意識はすでにひとつの事に向いてしまっている。

 確度の高い推測、証言、証拠、それでもまだ信じることができない。これまでまったく考えてこなかった可能性──あの呪われた島で、瘴気と怪物で溢れた地で、彼が生きていたなど。


 確かめなくてはいけない。

 必ず会わなければいけない。


「ちーちーちー♪ ちーちー♪」


 甲高い小鳥の鳴き声。

 シャルロッテは瞼を開けて、窓辺に視線を向けた。


 宝石の輝きをもつ瞳がじーっと見ていると、一羽のシマエナガが飛んできた。窓近くの止まり木に着地。素朴な黒い瞳でシャルロッテを見つめかえしてくる。


「ちーちーちー♪」


 シャルロッテは腰をあげた。大人しくしているシマエナガに近寄り、しなやかな指を差し出してやる。ちいさな賢鳥はひょいっと彼女の白い指先に飛び乗った。

 足にくくりつけられている手紙を回収する。


「ありがとうございます」


 返事はいつでも「ちーちーちー」シャルロッテは感情を宿さない顔のまま、こくりと頷き、シマエナガを止まり木に戻すと、手紙の内容をあらためた。


 すぐのち今しがた手紙を運んできたシマエナガへ「オブシディアンとギードを呼んでください」と言って、メッセージを乗せた紙を足にくくりつけた。


「ち~」


 シマエナガは再び窓の外へ飛び立っていく。


「働き者ですね。とても偉いことです」


 しばらくすると、客員執行官執務室にノック音が響き渡った。シャルロッテは「どうぞ」と許可をだして来訪者を室内に入れた。ペンを持つだけで進んでいなかった執務は完全に中断された。


 やってきたのは2名の巨漢だ。

 丸メガネの短い金髪と、タトゥーの黒ロン毛。馴染みの顔だ。


「お待たせして申し訳ありません、シャルロッテ様」

「部下と食事にいっていました。遅れてすみません」


 ふたりは頭をさげてから、黙して上司の言葉を待った。


「けっこうです。急に呼び出して悪いと思っています。ですが、はやめに周知しておいたほうがいい案件ですので。……逃亡者ゼロがここへ向かっているようです」


 男たちは表情をかえず傾聴する。


「担当執行官はヴェイパーレックスでゼロと接触したようですが、逃亡されました。逃亡する際、リバースカース号という快速帆船を使用した模様です。ホワイトコーストに向かっていたのなら、2週間程度の航海。あの速さなら10日を切るかもしれないとも言っています」

「ヴェイパーレックスからホワイトコースト間を10日? かなり速いですな」


 丸メガネの男は言いながら、肘をだいて顎に手をそえる。


「ただし、船は急いだ様子で出港した模様。十分に準備されていたかは不明であり、どこかで補給するかもと。その場合はホワイトコーストに着く時間はおおきくずれます。ゼロがリバースカース号に乗ったまま、ホワイトコーストを目指すかも不明です。そのうえ、本当にホワイトコーストを目指していたかも不明です。前提が間違えていることはよくあります」


 シャルロッテは淡々と手紙の内容を部下につたえる。


「つまりは可能性の話ですな」

「ええ、そうです。もしかしたらの話です。それでもホワイトコーストにゼロが来るかもしれないです。執行課総員にゼロの手配書を配布してください。そのうえで市井にも意識を高めてもらいます。ゼロの手配書の掲示数を増やす。私たちが備えられるのはこのあたりでしょう」


 話は終わりだ、という空気が部屋に漂い始めた。


「了解いたしました。手配書の件、お任せください、シャルロッテ様」


 ロン毛タトゥーの男はそう言って恭しく一礼する。


「ゼロは確かリブル三席執行官が追っていたと記憶していますが」


 丸メガネの巨漢は腕を組んで、訝しむ表情をしていた。タトゥーの男は横目に相棒を見やる。


「あの人はできる。接触したのなら取り逃がすとは思えません」

「リブル執行官はあなたの元上司でしたか、ギード」

「はい、そうです。彼は実力がある海賊狩りですよ。頭もキレる。逃亡者の心理を知っている。罠をはり、追いこみ、最後にはその首根っこを掴んで引きずりまわす……そういう男です」


 緊張した空気。束の間の静寂。

 窓辺のシマエナガはちーちーちーと気の抜けた声で鳴く。

 海賊狩りは中指で丸メガネの位置をなおし、改まった様子で続けた。


「魔法使いだろうと素人相手に遅れはとらない。用心棒がいたのやも。それも腕利きの」


 問いかけるような眼差し。シャルロッテはそれを受けて、郵便で届いた手紙へ視線を落とす。


「ゼロに協力者はいません。ただ、逃走を手助けした船には、剣士がいたようです。赤い毛並みの獣人と人間。獣人は若い女、人間族のほうは男で……年齢は30代後半だそうです」


 シャルロッテは言葉尻の勢いを衰えさせながら言った。

 上司の珍しい様相に、ふたりの巨漢は顔を見合わせる。


「彼らにリブル執行官はやられたのですか?」

「そのようにはありませんね。文面を見る限りでは戦闘行為があったわけではないようです。あくまで逃走と追跡だけ。その末に逃げられたと。あなたも見ますか、ギード」


 シャルロッテの手から手紙を受け取り、丸メガネの男は慎重な眼差しであらためる。


「とはいえ、信じすぎるのもよくないと、最近の私も学びました」

「シャルロッテ様?」

「執行員と違い、現場指揮官である執行官にとって失態は減点対象です。自分の失敗を隠したがる同僚は何人かいました。そのせいで正しい情報共有がなされなかったこともありました」

「それではリブル執行官は故意に不十分な情報を送ってきたと、そうお考えなのですか」 

「どうでしょう。私は情報に違和感をもちませんでした。逃がしてしまうこともありますから。戦闘行為に発展しなかった可能性も大いにあります。疑いで物事を測りたくはないです」


 サファイアの視線がタトゥーの男へ向けられる。


「それに用心棒がいたとしても問題はありません。秩序ではなく、混沌に加担するのであれば、まとめて正すまで。その意味で、リブル執行官が嘘をついているかどうか興味がないです」


 タトゥーの男は目を細めた。身体が芯から震えていた。寒さを感じているわけではない。なのに全身が泡立つような感覚。肌をじりじりと焼くそれは、高揚と畏敬、そして興奮だ。


 敵が1人だろうが、2人だろうが、10人だろうが関係がない。秩序の極光を背に、正義のつるぎで悪を断つ。すべての不義が彼女の前では正される。彼女だけがそれを成せる。


 シャルロッテは懐中時計をとりだし、時間を確認すると、スッと腰をあげた。


「市場開拓部より護衛の要請がきています。数時間、課を離れます」

「シャルロッテ様に護衛を? それは一体……」


 タトゥーの男は怪訝な表情になった。


「ある商人との取引に居合わせてほしいと」

「取引? 主席執行官さまが出張らせるほどの案件とは思えませんが」

「その話は小耳に挟みました。相手はきな臭い噂がある商人でしたか。リーバルトとかいう。大方、虎の威を借る狐といったことでしょう。主席執行官の名をいいように使いたがってる」

「火急の要件はありません。ホワイトコーストで待機することが我々の今の仕事。であれば、このいとまに多少の用を引き受けることもやぶさかではありません。市場開拓部に恩を売れますしね」

「シャルロッテ様は人が良すぎますな」


 最初にシャルロッテが退出し、丸メガネの男とタトゥーの男が続いた。扉が閉められ、鍵がかけられる。あとには「ちーちーちー」という愛らしい鳴き声だけが執務室に響いていた。

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