第66話 ホワイトコースト到着
「はぁ、今日であの子ともお別れなんですね」舵を取るラトリスはつぶやいた。
「寂しいのか、ラトリス」
「そりゃあ、まぁ。寂しいですよ。いい子でしたし。乗組員よりずっとお行儀がいいですし。問題起こさないですし。金払いはいいですし、仕事も手伝ってくれますし」
尻尾がしおれていく。人間、誰しも感情に理由をつけがちだ。本当はもっとシンプルなのだ。もっと一緒にいたかった。それだけでいいが、ラトリスはそういう風には表現しない子だ。
昼下がり、リバースカース号からホワイトコーストを目視できる距離にまできた。
「海岸線が白く輝いてないか?」
「建物に使われている建材の色ですよ。交易で発展しだした時に、ある石切り場から生産された白亜の石材が、開発に使われていたらしくて、それが白い海岸線の所以になったそうです」
ホワイトコーストに近づけば近づくほど、港湾内の船舶の多さに度肝を抜かれる。海賊ギルドもずいぶんな数の船があったが、ここは間違いなくあそこよりも船の数が多い。
港湾には無数の船が無秩序に入り乱れ、U字型の海と陸の隣接帯は、停泊スペースをめぐる船たちでミチッと密度が高い。この船は3本マストの大型帆船に比べると、ずいぶん背が低いため、密集されると、視界が制限される。人混みのなかで迷子になった子どもの気分だ。1時間もさまよって、ようやく停泊スペースを見つけて潜りこみ、埠頭にタラップをかけることができた。
「うわぁーんっ‼ お腹空いたー‼」
「肉、お肉、ちょーデカいお肉! たくさん食べるよー‼ がううう‼」
セツとクウォンは慌ただしく駆け下りていき、ナツも尻尾を振りながらあとを追いかける。
ここ数日は我慢の日々だった。釣りによる食材調達が順調だった3日目まではよかった。だが、そのあと釣果が渋かった。4日目の昼には飯が底をつき、飲み物も菜園の真水と、酒瓶が1本、レモン10個だけになっていた。『ババ抜き』によって物資配分を決め、俺はありがたく酒を受け取り、ほかの皆は水を分けあった。レモンを丸かじりする勇敢な狼もいた。が、流石にすっぱかったらしく、一口で諦めていた。そういうわけで、皆、お腹ペコペコだし喉もカラカラなのである。
船長室では俺とラトリスが最後の取引を遂行していた。
机を挟んで向かい側のゼロはルルイエール金貨が重なったタワーを懐から取りだした。トランクの中からあらかじめ分けておいたのだろう。それを机に置いてスーッとこちらに移動させる。
ラトリスは金貨が10枚あることを確認し、革袋におさめた。
「前金とあわせてルルイエール金貨20枚ね。確かに受け取ったわ」
「これで俺たちの繰越地獄も終わりだな」
「ええ、ついにです」
コウセキ島やレモール島に比べて、ずっと楽な仕事だった。
船で海を渡っただけだし。
6日間。最後はちょっと我慢したが、短期間で稼いだ報酬としては破格である。
「本当にこんなに早くつくんですね。リバースカース、疑うことなく最速の船です。何から何までよくしてもらってありがとうございました。これで先に進めます」
「お礼はいらないわ。わたしたちは金払いのいいお客さんには優しいのよ」
「ラトリスはこんなこと言っているが、今朝は君との別れを寂しがってたんだ」
「ちょ、先生、それは言わないでください……っ⁉」
ラトリスの赤い耳が動揺に揺れてあたふたしだした。
「と、とにかく、契約はこれで完了よ。お金を払ったならどこへでも行ってしまうといいわ」
ラトリスは腕を組み、プイッと顔を背けて、気丈な態度でそう告げた。
「オウルさん、ラトリスさん、お世話になりました」
ゼロは恭しく一礼すると、トランクを片手に船を降りていった。
船長室には冬の朝のような心許ない空気感だけが残されていた。
「飯でも食うか。ちいさい狐たちと狼がどこかへ行く前に追いかけないとだ」
「ですね。はぁ、まったくあの子たちは。ゼロとのお別れもしないで。というか、セツとナツはまだしも、馬鹿狼はなんなんですかね。あいつはマジで馬鹿ですよ。想像を絶する馬鹿です」
別れの寂寥感は妹弟子への苛立ちですぐに塗り替えられたようだ。
俺とラトリスは互いの腹がぎゅるるっと鳴ったのを皮切りに船を降りることにした。
「ふたりとも遅い! もうお腹空いてどうにかなっちゃいそうだよ‼」
「おじちゃん、そんなにのそのそしてたらご飯が逃げちゃうのですっ!」
埠頭に降りた途端、クウォンとセツはギャンギャンと抗議の声を浴びせてきた。
その隣、気まずそうにはにかんでいるゼロに俺たちは自然と視線が向かった。
「船を降りたらクウォンさんたちに捕まりまして……」
「ゼロったら、どっか行こうとしてたんだよ‼ だから捕まえておいたんだ~‼」
「初心者にホワイトコーストの歩き方を教えてあげるのですっ‼」
「私たちと船長は来たことある、からね」
各々、勝手なことを言いだした。
ゼロは意外そうにクウォンと子狐たちを見ていた。
この子たちはゼロに別れの挨拶をしなかったのではない。
まだ別れるつもりがなかったのだ。
「まったく仕方ないわね。それじゃあ、もう少しだけわたしたちに付き合いなさい、ゼロ」
ラトリスは「やれやれ」感をだしつつ肩をすくめる。
尻尾が左右に揺れてしまっているが。
「ええ、喜んで。美味しいお店を教えてください」
港の近くにはおおきな交易所があった。貨物を運ぶのは屈強な海の男たちだ。「えっさほいっさー‼」と掛け声を高らかに響き渡る。なかには鉄製の檻を運んでいる者もいた。檻のなかには鼻から火の粉を吐きだすトカゲが入っている。怪物の貨物か。珍妙だ。
多様性に富んでいるのは貨物だけではなかった。
目に入る種族も幅がひろい。人間族だけでなく獣人族もそこそこいる。魚人族もチラホラ。職業的な意味でも様々な人間がいる。綺麗な背広の紳士や、可憐な服装の淑女、汗水垂らす労働者、精悍な冒険者、陽に焼けた海賊、隅で弦楽器を弾きならす演奏家──。
「賑やかな場所だ」
「この港にはアンブラ海中から物と人が集まってきますからね。アンブラ大陸の玄関は伊達じゃありませんよ。ここでなら欲しい物はなんでも手に入ります」
ラトリスは最後に「シルバーさえ払えば」と付け加えた。
俺の胸は高鳴っていた。
この繁栄、この活気。
少年オウルが求めたものだ。
今、それが目の前にある。
見るものすべてが新鮮で輝いている。
あぁ、本当にすごい。手に入れられなかったからこそ、諦めたものだったからこそ、こんなにも高揚を誘うのだろうか。
「オウル先生? どうされました?」
ハッとすると、皆が前を歩いていることに気づいた。
「おじちゃん、ぼーっとしているのですっ‼ シャッターチャンスっ!」
セツがカメラを向けてきてパシャっとフラッシュを焚いた。
俺は生唾を飲みこみ、ようやくフラフラと歩きだすことができた。
ホワイトコーストの街並みは都市といわれるだけあって、俺がこれまでに訪れたどんな場所よりも栄えていた。海から見た段階でわかってはいたが、通りを歩いてみると一層そう感じる。
交易所のすぐそばには市場があった。鮮魚をあつかっている店の多さに目がくらむ。漁師たちが捕らえた魚たちだ。リバースカース号で食べられていた謎魚たちの姿もあった。
料理研究がはかどる気配がプンプンする。
あとで戻ってこなければ。
市場から少し内陸部に入れば、馬車と人がおりなす雑多に紛れることになった。
人混みに紛れて歩いていると、広場っぽいところにたどり着いた。人口密度が高い。何事だ。なんか楽しいことでもやっているのか? 興味津々で皆の視線が集まっているほうへ足を進める。
「オウル先生、あれ」
ラトリスが指差すのは広場の中心だ。
木製の台が目についた。その台のうえには髭もじゃの男がいた。鉄枷に手足を拘束されて。石台の上で首を横たえている。ちょー虚無顔だ。
すぐ横には巨大な斧をもった大男がいる。
「判決を読みあげる。度重なる海賊行為および度重なる殺人行為ならびに闇の魔法所持および乱用につき、海賊ユーゴラス・ウブラーを公開斬首刑に処する」
大声で読みあげるのは立派な法服をきた男だ。
読み終わるなり、紙を巻いて小さくした。
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