第65話 蠟燭と月明かり

「本当に魔法使いなんだな」


 俺は手を天井に向けて「ぶわぁ」と効果音をつける。


「ふふ、はい、雪の魔法です」

「あれがあれば食材を腐らせずに船で運べるだろうな」

「画期的な使い方ですね。海に生きる者ならではの発想です」

「お嬢さんも海に生きる者だろう」


 言ってから、少し後悔した。彼女は船乗りではない。船を乗り換えて旅をしている謎の少女だ。これは彼女の過去にたいしての詮索と捉えられてしまう。きっと返答に困るだろう。


「少し酔ってるかな。もう寝るとしよう」俺はそう言って腰をあげようとする。

「オウルさん、もう少し、お話しませんか?」ゼロはどこか寂しげにそう言った。

「明日はもうホワイトコーストに到着してしまうでしょう?」


 俺は浮かせた腰をおろした。

 ゼロは静かに笑んだ。


「私、レバルデスの船を沈めたんです」


 しばらくの静けさのあと、彼女はぼそりと切りだした。俺は動揺を見せないように身動きをしない。「ほう」動揺してないフリは得意分野だ。


「それはまた物騒だな」

「あれれ? あんまり驚きませんでしたか?」

「安心してほしい。けっこう驚いてるよ」

「ふふ、それはよかったです」

「どうして貿易会社の船を。そんなことしたら恨まれるに決まってるだろうに」

「奴隷をご存知ですか? 商人たちは人間に値段をつけて売るんです。遠くの大陸や島から連れてきた異民族であれば、物珍しさからよりおおきな値段がつくらしいです」

「知ってるよ。……その、ラトリスがそうだったから」


 あの日、ブラックカース島にラトリスを乗せた商船がやってきた。俺は檻のなかの彼女をどうすることもできなかったが、彼女は自ら逃げ出し、俺はそこへ手を差し伸べた。


 ゼロは驚いたような顔をして「そうだったんですか……」とこぼした。


「私は旅路のなかでおおきな奴隷船に出会ったんです。それがレバルデスの商船だったんです。その船の底に、魔法で穴を開けて、それで奴隷たちを解放しました」

「それで船が沈んだ、と」


 彼女は己の正義のために行動をおこした。

 なんて勇敢なのだろう。


「強いな。本当に強い。普通の人間にはできないことだ」

「そうですね。私もそう思います。きっと血のおかげです」

「血の? それってどういう?」

「私の血筋は古い王国の王族の血を引いているんです」


 思わず背筋が伸びる。ゼロは口元を綻ばせた。


「弱い者を守らないといけない。そういう風に、この血がささやいてくるんです。逃げだしたい時にも立ち向かう力を与えてくれる」

「上に立つ者の資質ってやつかな」

「私も深くはわかってないんです。王族の末裔といっても、家だって没落して久しくて、私の代ではただ住居がおおきいだけでしたから。暗黒の秘宝と古い金貨は役に立っていますけど」


 どうりで金持ちなわけだ。王族の資産だったか。


「王族でも船底に穴を空けるのは許されないんだな」

「誰がやってもそうですよ。ちなみにその犯行自体はバレてはないです。バレていたらもっと懸賞金があがっていたでしょうね」

「たしかにそっちの罪状は海賊狩りからも聞かなかったな」

「一番おおきな妨害行為が船を沈めたことで、そのほかにも貿易会社とは衝突がありまして、そのせいで私が暗黒の秘宝を所有する魔法使いだとバレてしまったんです」


 会社に損害をだせば、まぁ、お尋ね者にはなっちゃうのも仕方ないか。


「レバルデス世界貿易会社は、島々と大陸を繋ぎ、航路を整備して、世を変えました。繁栄というのでしょう。きっといいことです。でも、その影で奴隷をあつかう商船は増えています。そのせいで……私の姉も連れていかれて、もうどこにいるかわからないんです」


 声のトーンが一段とさがった。

 息がつまる悲痛さを感じた。


「気の毒に。アテもないのか?」

「奇跡的に足取りはわかっています。姉を乗せた船は大陸に向かったみたいで」

「大陸か。だから、ホワイトコーストなのか」


 ホワイトコーストはこの海最大の港湾都市。

 アンブラ大陸の玄関だ。


「ようやくここまで来たんです」


 蒼い眼差しは細い月明かりに照らされる夜の海を見つめていた。

 意思を宿した瞳だ。成し遂げたい思いを抱いている。


「大丈夫、絶対に見つかるよ」

「本当ですか?」

「あぁ、約束する。絶対に大丈夫だ。確定的に未来は明るいぞ」

「あはは、そんなに断言するなんて……そうですね、見つかりますよね」


 ジュッという音とともに温かい明かりが消えた。

 ロウソクが天寿を全うしたようだ。


「オウルさんにそこまで言われたら、本当に大丈夫な気がしてきました」


 年長者の言葉っていうのはある種の魔力をもっている。力強く「こうだ!」と言われれば、そう思えるのだ。俺も義父から根も葉もない理屈を信じさせられていたからよくわかる。


「夜も遅い。明日は港に着く。もう寝たほうがいい」


 少女は「そうですね」と明るい表情でぴょんっと腰かけていた窓辺から飛び降りた。


「オウルさんは寝ないんですか?」

「俺はもう少しコレの面倒をみる」


 酒瓶を振って残った酒をチャパチャパと音を鳴らした。


「ふふ。では、おやすみなさい、オウルさん」

「あぁ、おやすみ、いい夢見ろよ」


 静寂が訪れた。火の灯りはない。

 月明かりだけが俺の腰から下を照らしている。


 俺は足をぶらぶらさせながら、物思いにふけっていた。

 おおきな海。数奇な運命。王族の末裔。

 その旅路はリバースカース号と一瞬だけ交錯した。


 あの時、俺が海賊狩りに彼女を差し出していたら、彼女の旅はそこで終わっていた。

 奇妙なものだ。あの子は絶対に幸福な結末を迎えるべき善良さをもっているというのに、俺みたいなやつが、ひとつ間違えればその道を終わらせうることもあった。


「俺たちにできるのは、ホワイトコーストまで」


 そして幸運を祈り、彼女を次へ送り出そう。



 ────



 聖歴1430年9月2日。

 

 輝かしい白き海岸線。

 ホワイトコーストが船より目視できる距離にせまった。

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