第64話 船の一員

 慣れた手つきで餌を針に刺しては、ひょいっと海に投げ入れる。

 静かな時間が流れていく。俺と少女の間に言葉はない。せめて釣り竿に反応でも来てくれれば、多少はこの気まずさもどうにかなるのだろうが、浮きはウンともスンとも言わない。


 隣に来たので何か話を振るべきだろうか。大人なのでそうするべきだろう。でも、同時に大人なのでわかるのだ。おっさんが無理に会話を成立させようとしたところで、若者にとってありがたいことなどあまりないとも。こと俺は俺のことを先生と慕ってくれる若者との話し方しか知らない。


「お風呂、温かいお湯がでました」


 ゼロはボソッと言葉をつむぎだした。


「さっき悲鳴が聞こえたが」

「シャワーなるものから海水が出てきたので。少ししてからラトリスさんが『もう大丈夫』とわざわざ言いに来てくれて……時間をおいて入ったら、本当に温かいお湯がでたんです」

「はは、冷たい海水を浴びた時は、騙されたと思ったか?」

「正直、恨めしく思いました」


 ゼロはそう言って、薄く笑みを浮かべた。


「あと狼さんもいました。オウルさんの言う通りでした」

「そうだろう? 俺は嘘つかないことで有名なんだよ」

「ええ。服を脱いでから入ったのでびっくりしました。あんなところで寝ているなんて。……彼女はこの船で虐げられているのですか?」

「いや、そういう訳じゃないんだが。まぁいろいろあって。話すと長くなるよ」

「時間ならたっぷりありますよ」


 ゼロは穏やかな海へ眼差しを向けながら告げた。

 俺は「それもそうだね」と納得した。


 クウォンが浴室で寝ている理由を話した。ダラダラとした要領のない長話だったが、少女は黙って聞いてくれて、たまにクスリと笑った。クウォンの話はやがて、レモール島での冒険の話に繋がり、レモール島での冒険は、そのひとつ前のコウセキ島での冒険の話へと繋がっていった。


「こんなすごい船で自由に海を旅できるなんて羨ましいです」

「債務返済のために東奔西走しているだけなんだけどな」


 行く先々で違った光景を見られるのは本当に楽しいことだ。だが、債務返済のせいでせっかく足を運んでも、満足するまで旅先にとどまれないのはネックだ。レモール島なんて本当にいい場所だった。もう何か月かあそこにいたいくらいだった。


「債務はたくさんあるんですか?」

「毎月500万シルバーを海賊ギルドに納めないといけない」

「それは……凄い金額ですね。総額はいくらなんです?」

「え? あぁ、いくらなんだろう。ラトリスなら知ってるだろうけど」


 そういえば聞いたことなかったな。


「オウル先生、見てください、おおきい魚が釣れました!」


 ラトリスが釣果をひっさげて走ってくる。


「先生‼ 見て、これすごいでっかいよ‼」


 クウォンも同じようにして尻尾を左右に振り乱して報告にきた。俺はゼロに「騒がしくなるから離れていたほうがいいかもよ」と警告をする。


 案の定、赤い狐と亜麻色狼の戦いがはじまった。

 新しいお客を乗せてもこの船の日常が変わることはなかった。いつもの光景にひとり新鮮なメンバーがポツンと混ざっているだけだ。


 穏やかな航海が続いた3日目。


 総力をあげて釣りをガチっているおかげか、今のところ空腹に苦しんでいる者はいない。これも皆の努力のおかげである。今日も俺は包丁を振るい、釣りあげられた謎の魚たちを調理する。


「お前はこの前見た子だな」


 ぐったりした魚のエラを掴んで、俺は目線をあわせる。


 海に出てから数か月。いろんな海域で釣れる魚を経験だけでさばていくなかで、少しずつ知識が蓄積されてきた。俺の知らない謎魚のオンパレードだった食卓も、少しずつだが知っている顔ぶれが増えてきている。この歳になって成長を実感できる。最近のささやかな喜びだ。


「オウルさんは本当に料理が上手なんですね」

「人間誰しも取り柄はある。俺の場合は料理なんだ」


 俺のさばいた魚たちはゼロの口にも好評だった。


「謎魚のカルパッチョ。オリーブとレモン、肝の叩き和えとともにめしあがれ」

「おじちゃん、これってレモン木から獲れたやつ?」

「そのとおり。菜園の魔法のおかげで、レモール島からヴェイパーレックスに帰るまでの間に、レモンの木が成長していてな。この度、初の収穫と相成った」


 採れたレモンの数は20個前後。

 今日は初めてレモンを使った料理を披露した。


「この船は果実まで育てているのですか……?」


 ゼロは目を丸くしてたずねてくる。


「ゼロお姉ちゃん、果樹のある船乗ったことないのー?」

「普通の船には果樹はないと思うけれど……」


 ゼロは自分の常識が信じられないと言う風に「私がおかしい……? でも、樹はありえない、はず……?」と、ちいさく首を横に振っていた。大丈夫。君は正常だ。

お湯のでる浴室や果樹を備えている帆船は普通ではないのだ。


 ゼロを乗せて5日目。

 もうすっかり彼女は船での生活に慣れていた。


 朝は一緒に掃除をして洗濯物を取りこんで、昼は釣りをして己の食い扶持を稼ぎ、夜は船長室でギャンブルに参加する。これがリバースカース号の一日だ。


 今夜は俺が4000シルバーほど勝ち越した。上々の成果である。今日の勝負はおしまいだ。船長室の後部窓の縁に座って、勝利の果実酒にしたつづみを打って眠たくなるのを待とう。


 部屋の中央に移動させられた机では、まだ勝負が続いていた。ラトリスとクウォンが尻尾を揺らしながら延長戦に次ぐ延長戦を行っているのだ。熱き戦いの横へ、俺は視線を向けた。セツが羽根つき帽子をかぶっていた。ゼロは行儀よく椅子に座って子狐に体を向けている。


「これはね、影の帽子っ‼ すごい魔法が使えるのです‼」

「暗黒の秘宝、ですか」

「ゼロお姉ちゃんには特別に教えてあげるのですっ‼」


 ゼロは暗黒の秘宝のせいで追われているという話だった。こちらもゼロが自ら話そうとしないことについては詮索していないので、それでイーブンだと思っていた。


 なのでセツが影の帽子をゼロのまえで被っていることに、内心ではドキッとしていた。隠していた秘密がバレたような感覚だ。厳密に「影の帽子のことは黙っておこう」と、口裏を合わせていたわけじゃないので、そこまで重大な隠し事あつかいしていたわけではないが……。


「これすごいでしょ、もっとたくさん、召喚することもできるんだよっ!」


 セツは影の子狐を両手に抱えてうれしそうに言う。モフモフがモフモフを抱っこしている。すごく平和な絵面だ。ゼロは微笑ましそうに「すごいです」とちいさく拍手をする。


 その後もセツは様々な影の魔法を披露していた。ゼロのほうは手のなかに真っ白な雪を沸かせてみたりして、セツを喜ばせてあげていた。不穏な感じはない。とても平和な時間だった。


 夜も深まった頃、俺は飲みかけの酒を手に、船長室に残っていた。


 ロウソクの灯りがまだ残っていたのでもったいないと思ってのことだ。もっとも今すぐ火を消せば、次また再利用できるだろうが、そうするにはこのロウソクは短すぎる。微妙な長さだ。とても微妙だ。俺は2分ほど悩んだ結果、「もう2分悩んでるうちに火が消えそうだな」と判断し、こうして死にゆくロウソクに奇妙な哀愁を抱き、それを肴に酒瓶を空にすることに決めたのだ。


「オウルさん、まだいらっしゃったんですか」


 ゼロが窓の外に現れた。

 船長室の後部窓、そのすぐ外の通路をぐるっと回ってきたらしい。

 彼女は通路側から窓辺へ、お尻をひょいっと乗せた。

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