第62話 ゼロ

 俺とラトリスは銃弾の雨をかいくぐり、街中を駆け抜ける。

 埠頭が見えてもうひと踏ん張り、最後の距離を走破して、リバースカース号に飛び乗った。


「まさかまだあの換金所の近くに伏兵がいたとはな‼ 張り込みすぎだろ!」

「ミス・ニンフム‼ 船をだして‼」


 ラトリスは荒く息をつきながら叫んだ。呼応するように船が唸り声をあげた。


 帆が張り、縄が張り、風が吹き始めた。船を覆うようにマストから伸びている索具たちが動きだす。魔法の力で船の背中をおす追い風だ。ゆっくりと船が発進しだした。


「逃がすな‼」


 叫び声が聞こえた。舷側から身を乗り出して船の後方を見やる。銃弾が飛んできた。手すりにパコン‼ 木片が弾けとんだ。埠頭から白い制服たちが撃ちまくってきている。


 とはいえ、豆鉄砲で船が止まるわけもない。間もなく銃声は止んだ。リバースカース号は陸地から十分に離れた。ここまで来ればもう安全だ。


 船長室の扉がキィーッと音をたてて開いた。ミス・ニンフムが少女をともなって出てくる。


 淑女は平静な顔をしていたが、少女のほうは目を丸くしてひどく狼狽していた。


「海賊狩りに見つかってしまったのですか?」

「どうだろうな。君がここにいることまではバレてないとは思う」

「あいつら換金所でルルイエール金貨を張ってたみたい。あんたの追手たちは頭が回るわね。あんたが島を脱出するために、金貨を使うことに気づいていたわ」


 ラトリスはタラップを隅に置きながら嘆息した。金貨の珍しさを理解できてなかった。持っているだけであそこまでキメ打ちされるほどのものだったとは。


「まさか海賊狩りに追われてるとは思わなかったよ」


 俺がそう言うと、少女は申し訳なさそうに眉尻をさげた。

 視線には警戒の色が濃く宿っている。俺たちを疑っている目だ。


「あなた方は私を引き渡さなかった……どうしてですか?」

「オウル先生がそれを選んだからよ」


 ラトリスは迷いなく答えた。疑いようがなくそれが正しいことであるかのように。


 百歩譲って剣術には多少覚えはあるさ。料理にも。でも、そこまでだ。俺はカリスマ性があるとか、誰かに誇れるような判断力があるとか、そういう資質はまったくない。


 非常に困った。わりとノリで海賊狩りに反発したなんて言えない。海賊狩りの言い分が正しくて、少女がとんでもない大罪を犯している可能性もあるのだから。


 少女とラトリスとミス・ニンフムの視線がいっぺんに集まってくる。


「おほん。あー……本当の報酬を用意できていた時点で、俺たちは契約を完了していた。俺たちにはお金が必要なんだ。800万の報酬は惜しい」

「私の首にかけられていた金額は1000万シルバーだったはず。私を海賊狩りに渡せば、よりおおきなお金を手に入れることができましたよ」

「理屈っぽい子だな。俺たちが助けたことがそんなに不思議か?」

「すみません、助けていただいたのに。でも、どうにも不思議で。見ず知らずの私を助けるために、貿易会社に立ち向かってくれたことが」

「難しい話じゃないよ。無法の世界にも人の道はある。君を助けるべきだと思った。それだけだ」

「それだけって……本当にそれだけですか? 私の荷物のことを知ってそれを強奪して、お金にかえれば1000万以上になると踏んだからではないですか?」

「猜疑心の塊かな?」


 少女はいまも怯えた様子で、俺とラトリス、ミス・ニンフムらを順番に見ている。いつ飛びかかられてもいいように備えているみたいだ。


 女の身で一人旅ともなれば、常に疑いを持つくらいじゃないとやっていけないのかな。それとも俺の行動が理解できないだけか。


 気持ちはわかる。俺は勇敢じゃなかったから。この子と同じだ。疑ってばかりだった。ブラックカース島を出て旅にでることができなかったのは、己すら信じることができなかったからだ。


「俺は──疑うより信じたかった。それじゃあダメなのか」

「……っ」


 少女の警戒心が解けていくのがわかった。

 少しは信用してもらえたようだ。


 ドタドタと足音が聞こえた。甲板の下で騒がしく動いたそれらは、すぐに階段をかけあがってきて上甲板へと続く扉を押し開けた。


 クウォンが最初にあがってきてキョロキョロあたりを見渡す。セツとナツは遅れてやってきた。


「めっちゃ銃声してなかった⁉」

「うわぁ‼ 船が動いてるのです‼」

「知らない人、いる」


 クウォンとセツとナツは、上甲板にくるなり異常事態へ困惑を示した。

 新しい獣たちの登場に、少女はビクンと跳ねて、俺の後ろに隠れた。


「明るい毛並みの背の高い子がクウォン。腕利きの剣士だ。桃毛と緑毛は双子で、あっちがセツで、あっちがナツ。船の掃除と洗濯をしてくれてる働き者たちだ」


 ひとりずつ指差して順番に紹介する。

 紹介したあとで俺とラトリスを指差した。


「そういえば、俺たちの名前も伝えてなかったな。オウルだ。そっちはラトリス」


 最後に少女のそばのミス・ニンフムと後部甲板で舵を取っているミス・メリッサを示した。


「彼女たちはゴーレムだ。ミス・ニンフムは知ってるかな。あっちはミス・メリッサ」


 俺は両手をひろげて「これで全員」と、ごく短い紹介を終えた。

 少女は皆の顔を見渡したあと、恐る恐るといった様子で口を開いた。


「私はゼロです。先ほど名乗りもせずに申し訳ありませんでした」

「格好いい名前だ。よろしくな、ゼロ」


 魔法使いの少女──ゼロとそっと握手をかわした。

 ちいさく華奢な手はまだ震えていた。男を恐がっていたから……何かあったのかもしれない。握手をしたのは失敗だったかな。おっさんなりに気を使い、「おほん。ラトリス、あとは任せる」と俺は菜園に逃げこんだ。


 菜園への扉を開ければ、ピタッと揺れも音も遮断された。


 はぁ、ひとりになると落ち着く。頼られたから一応、会話を主導したが……あの子を拾ったことが正解なのか、あるいは間違いなのか、俺にはまだ正確な判断がつかない。


 若くまっすぐで、突っ走ることしか知らなかった頃なら、己の正しさを信じて突き進むこともできたのだろうが……そうあるには、俺は歳をとりすぎた。


「いかんな、これじゃ」


 菜園の奥、真水の湧きでる魔法の水瓶から水をすくって顔を洗う。パシャパシャ。冷たい水。頭が冴えてくる。頬をぺちんっと叩いて己に言い聞かせる。


 また臆病になっているぞ、オウル。もう選択はしたのだろう。

 正解とか不正解とか、そんなことばかり考えているから、自分の立っている場所から一歩も動きだせずに、こんな歳にまでなってしまったのだ。正しいか間違いかなんて、その時点じゃわからない。神じゃないのだから。人にできることは、せめて後悔しなさそうな方を選ぶだけ。


 助けたいと思った。信じることにした。

 だったら、それでまったくいいのだ。

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