第56話 暗黒の秘宝
ラトリスは駆けよってきて、心配そうにつま先から頭の先まで舐めるように見てきた。
「オウル先生、ご無事ですか? お怪我などは」
「なんとか。反応できて良かった」
刀を鞘に納め、壊れた船長室の外壁をみやる。
派手にいったな、こりゃ。
「流石は先生、いつ襲われても余裕だね! 常在戦場かっこいい~‼」
後部甲板から見下ろしてくるクウォンは、目を輝かせてニコニコした。
「こらぁぁー‼ セツ‼」
怒声が聞こえたので視線を向けると、すでに俺の隣にラトリスの姿はなかった。
向こうでガタガタ震えるセツは、ラトリスに壁際に追い詰められ、影の帽子をパシッと音が鳴るほど勢いよく取りあげられ、ついでに桃色の耳がピンと立つ頭に拳骨が一撃落とされた。
「うわぁーんっ‼ い、いだい……のです……」
崩れ落ちるセツ。反乱鎮圧。
「まったくこの子は、ろくなことしないんだから」
「うぅ、ごめんなさいなのです、まさか、暴走するなんて思わなくて……ひっぐ、うぅ」
セツはポロポロ泣きながら、こちらを見てくる。
「おじちゃん、ごめんなさい……」
「おじいちゃん、私からも謝る、お姉ちゃんを海に追放するのだけはどうか」
「そんなことしないって。久しぶりに気持ちが引き締まった。たまにはこういうのもいいかもな」
「もう、先生は優しいんですから。悪いことをした時は怒らないといけないのに」
不満そうなラトリスは口を尖らせる。
「うう、頭、痛い……っ、私、死ぬのかな?」
「お姉ちゃん、大丈夫、だよ、傷は浅い」
ナツは涙目の姉を撫でてやり、しっかりと介抱する。もうどっちが姉かわからない。
「しかし、けっこうすごかったな。コウセキ島の鷲獅子より緊張感あったんじゃないか?」
レモール島を離れたあと、影の帽子はリバースカース号の面々で回して使ったが、俺はあれほどの影の獣を召喚することはできなかった。というより影の分離すらできなかった。
「セツには魔法の才能があるのかもな」
「先生……甘やかすのはやめてください」
ラトリスは不満げに頬を膨らませて言うので、俺は肩をすくめる。
「ぐすん、どうして魔法が暴走しちゃったのかな?」
セツは耳をしおれさせ、尻尾を垂れさげ、悲しげに影の帽子を見つめる。
「ミス・セツは影の帽子の力を正しく理解していらっしゃいません」
無機質な声でそう告げたのはミス・ニンフムだった。ゴーレムの淑女は影の帽子をラトリスから受け取り、ひっくり返したり、つばを撫でるようにして続けた。
「これには暗黒の力が宿っています」
「暗黒の力?」
セツの問いに「恐ろしい力です」と、淑女はかえした。
「第八の海から暗黒はやってきたとされています。人間に世界に暗黒をもちこんだのは、魔族と呼ばれる者たちです。すでに7つの海で彼らを見かけることはなくなりましたが、彼らが持ちこんだ暗黒の力は、姿を変え、形を変えて、こうしていまだに残留しています」
ブラックカース島で暮らしていた頃、子どもの俺に義父は外の世界のことを話してくれた。俺の父、アイボリー道場の師範だった彼は、元々は島外の人間だったのでいろんなことを知っていた。なかでも第八の海へ冒険にでた話はいまでも覚えている。
結局はいけなかったらしいので、挫折の物語なわけだ。とにかく危険な場所らしい。そこは人間の世界ではなく、常軌を逸した試練が息をするように訪れる場所なのだと。
「暗黒の力は隙を見せれば術者を死に至らしめます。巨大な威力を発揮しようとすればするほど、覚悟と技術を要求されるでしょう。ゆめ忘れないことです、ミス・セツ」
「なんだか鳥肌が……分不相応な魔法を使おうとしたから暴走なんてしちゃったんだ」
セツは眉尻をさげ肩を落とした。暗黒の秘宝を操ろうとして力が暴走、ね。強力ではあるが、便利なだけではないと。闇のアイテムっぽいし納得感はある。
「大丈夫さ、セツはセンスがある。努力すればきっと完全に使いこなせる」
「おじちゃん……うん、私、頑張るよっ‼ それでいつかおじちゃんを倒すのですっ‼」
耳を立て、元気よくいうセツ。
結局、俺を倒すところにフォーカスするのかぁ。
「でも、約束だ。無暗におおきな力を使わないこと。必ずラトリスか、クウォン、俺かミス・ニンフム、大人の眼の届くところで練習するんだぞ」
「うんっ‼ わかった‼ ありがと、おじちゃん‼」
「お姉ちゃん、よかったね」
姉の頭を撫でるナツ。クウォンは愉快そうにニコニコし、ラトリスは「まったく」と、渋々といった様子。ミス・ニンフムは無関心そうに船長室の外壁を修復し始めていた。
騒がしくも平和な日々。
酒と釣り、料理とギャンブル、それと剣の修練。
つつがなく過ぎる時間を俺は心から楽しんでいた。
────
聖歴1430年8月26日。
レモール島を出てから10日後、リバースカース号はヴェイパーレックスの渦潮へ帰港した。
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