第54話 獲物を見せにくる子
聖歴1430年8月22日。
レモール島を出港して6日が経った。
嵐に遭うこともなくリバースカース号はヴェイパーレックスの渦潮への航路を順調に進んでいる。嵐を何度か経験したあとだと、何気ない平和な船旅におおきな幸せを感じた。
今日も海は穏やかだ。
空は澄み渡り、陽は温かく、追い風がぐんぐん吹いている。
「先生、これを見てください」
甲板で釣竿を垂らしていると、ラトリスから声がかかった。振りかえると尻尾をご機嫌に揺らしながら、自慢げに魚を見せてきていた。おおきくて肉付きのよい魚である。
「立派な釣果だな。流石はベテラン冒険家。食料確保はお手の物か」
「ふふふ~、たくさん粘って釣りあげました。この子だけで今日のノルマは達成です」
彼女はそう言うと帽子をとって、赤いモフモフ耳をピンと立てる。モフモフの尻尾はフリフリと揺れており、赤い瞳は期待を宿して見つめてきていた。
「よーしよしよし、ラトリスは偉いな、偉い偉い、一番偉い子だ、食費を浮かして、乗組員のお腹のために忍耐強さを発揮した、本当に偉い子だ」
赤い髪を撫ででやる。お風呂に入ったあとなのか、髪の毛は艶々&しっとり&フワフワ、とんでもない触り心地だ。
ラトリスは目を細めて、口元に笑みをほころばせ、耳をヒコーキの翼みたいに下向きにする。尻尾は激しく左右に振られ、身体全身で喜びをあらわしていた。
「先生、先生、私、偉いですよね、一番偉いですよね?」
「あぁもちろんだ、一番偉い子だ」
「ふふふ~」
「あー‼ またラトリス、先生に撫でられにいってる‼ また独占だ‼ 汚いよ‼」
そう言って駆けてきたのは、クウォンだった。右手に釣竿、左手におおきな魚をもっている。どうやら彼女も偉大な釣果を得ていたようだ。
「ちっ、邪魔がきた……いつもいつもこの馬鹿狼は……」
ラトリスは極楽に歪めていた表情をキリッとさせ、半眼で乱入者を見やる。
「オウル先生、こっち見て、あたしもおおきな魚釣ったよ!」
クウォンは尻尾を左右にゆらゆら揺らした。頭も楽しげに揺れている。
この子も褒めてほしくて仕方がないといった様子だ。
俺は赤髪のうえに置いていた手をどかして、亜麻色の毛に乗せようとする。
だが、ラトリスは「あぁ‼」と大声をだした。
「こら、馬鹿狼、他人の撫で撫でを強奪するなんて何事よ」
「撫で撫でに強奪もなにもないよーだ! 独占禁止‼ がうう‼」
「あんたの魚、わたしより遅かったでしょ、その程度で撫でてもらえると思ってるわけ?」
「大事なのは成果物だよ‼ 私の釣った魚のほうがおおきいもん‼」
「一番弟子だけが撫でられることを許されるのよ、あんたは二番弟子だからダメ‼」
「だから、その理不尽な法案は通ってないっていば‼ 独占を許すな‼ 強欲狐‼ がるるぅ‼」
ラトリスとクウォンはいがみ合い、俺の体を綱引きのように引っ張り始めた。千切れちゃいそう。というか千切れる。普通に悲惨な光景になる。やめてね、死んじゃうからこれ。
「落ち着け、お前たち」
握手状態なら理合の技をかけやすい。
握っている両者の手、俺の左手がラトリスの右手に握られているのなら、ラトリスの左肩方面を目掛けて、力を押しこむ。人差し指で手首をぐっと押す感覚で。すると、ラトリスの膝がストンと抜けるように落ちて体勢が崩れた。
「ふわぁ‼」
狐を無力化。
同じようにクウォンのほうも技をかけて制圧する。
「うわぁあぁぁぁあぁぁぁ────⁉」
狼も無力化。
こっちはリアクションがおおきくそのまま転げていき、ゴロゴロと上甲板の反対側まで転がっていった。
「勘弁してくれ、お前たちのパワーで引っ張りあいされたら酷いことになっちゃうだろ」
「うぅ、申し訳ありません、先生、あの馬鹿狼が……」
「ごめんなさい、オウル先生、悪気はなくて、悪いのはあの強欲狐で」
ふたりは再び視線を交差させる。
火花がバチバチ散っているのが目にみえるようだ。
「両方とも偉い、こんなおおきな魚を釣って本当に偉い、よーしよしよし~」
結局、両手でふたりを撫で撫ですることで満足してもらうことができた。
これはアイボリー道場の時となにも変わらない日常だ。
道場では門下生の9割が獣人だったからか、俺の撫でる行為に価値を見いだすあまり、その争奪戦が行われていた。
こうして時間が経ったいまも同じ光景が見られて、懐かしいような、嬉しいような、だけど、あまりに変わらなすぎて「本当に成長してるのか……?」と、ちょっと不安になるような。
まぁ平和なことに変わりはない。
平和なことはいいことだ。
釣りを切りあげて、菜園でレモンの木に水をあげる。
「クソデカくなってきたな……これもう実とかなるのか?」
レモンの木が信じられない速度で成長している。
ミス・ニンフムいわく菜園には植物にとって最適な環境が整えられ、成長速度が増すらしいが……それにしてもクソ早くて怖くなる。
「おじいちゃん、大変なことが起こった」
ナツが菜園にはいってきた。ちいさな手で俺の服の裾を掴んで、急かすように俺を菜園の外へ連れて行こうとしていた。
大人しくついていくと、甲板でセツが待っていた。ちいさな桃毛の狐は、頭に羽飾りのついたおおきな帽子をかぶって、不敵な笑みを浮かべていた。
「お姉ちゃんが反乱を起こした」
「ほう。反乱ね」
また何か始まったな。
内心でそう思いつつも表情には出さない。
「おじいちゃん、船長なら止めないといけない、よね。ほかの乗組員に危害がでる前に」
淡々とそういうナツ。セツは腕を組んで得意げな顔でこちらを見つめていた。
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