第46話 レモン羊をめぐって

 日はすでに正午を越えているようだ。

 谷底まで陽の明るさは届かない。


「わぁ、なんだか不気味な雰囲気なのですっ! 大冒険って感じっ‼」


 パシャ、パシャ。期待の新人写真家はチャンスを逃さずシャッターを切る。


「こんなところに本当に羊がいるのかしら」

「あたしたち、あのおじいさんに騙されたのかもね」

「そうとも限らないぞ。俺は昔、断崖絶壁で暮らすヤギの話は聞いたことある」

「断崖で暮らすヤギ……?」

「そんなの本当にいるんですか?」


 前世で得た知識のひとつ。

 ある種のヤギは、天敵である狼などから身を守るために岩肌の崖で生活をするという。息がつまりそうな崖肌で暮らせる秘密は蹄にある。

 おおきく開く蹄のおかげで、力強い脚力を余さずに伝え、足場の岩をしっかり掴むことができるのだ。同じく蹄をもつ羊なら、記憶のなかのあのヤギたちの同じように、このような崖でも生きていけるのかもしれない。


 ということを皆に話してあげた。


「すごい、そんなヤギが世界にはいるんですね」

「先生は相変わらず物知りだね‼ すごいや‼」

「まぁ長く生きてる分な。さあ、先に進もう。暗くなる前に見つけられたらいいな」


 松明で谷底のデコボコした岩場を照らし出し、俺たちは進んだ。

 燃焼の音。焦げた臭い。松明の焔の温かさ。それらにすっかり慣れた頃。


「────」


 ジャリッと地面の小石を踏みしめて、俺はその場で足を止めた。

 手をあげ後続の少女たちを制止させる。物音をたてないように。


 耳を澄ませる。遠くの音に気を集中させて、かすかな気配を拾う。谷に落ちてくる風切り恩、谷上に広がる木々のざわめく音、混ざるかすかな鳴き声。


「────めぇぇぇぇ」


 それが聞こえてきた時、自然と互いの顔を見合わせていた。松明の燃ゆる音、唇を湿らせる音、生唾を飲みこむ音。それらがやけにおおきく聞こえた。


 足元に漂っていた不安は消え去った。

 俺たちの足取りは確実に力強くなっていた。


 谷に沈殿する薄闇の先、俺たちはついに目当ての魔法生物を見つけた。


「ぐぅぅうぅぅ……」


 街の大通りほどの幅のある谷、そのど真ん中に横たわる純白の毛山。大変に立派なサイズ。モコモコし過ぎていて判別しにくいが、たぶん羊なのだろう。


 そういう形状はしている。いまは手足を投げ出してぺたーんと大地に伏しているが、立ったら俺の顔よりも顔の位置が高くなりそうだ。


 ふわふわのボディからは、木の枝が生えている。太い枝にはおおきな黄色い果実を実らせている。形状と色合いから、もしかしなくてレモンだと思われた。


「ぐぅぅぅ、ぐぅうう」

「気持ちよさそうに寝てますね」

「そのようだ。起こすのが忍びないな」

「モコモコですっごい可愛いね‼ この子、殺しちゃうの? 可哀想じゃない?」

「用があるのは羊毛だ。刈り取るだけでいい。だから殺さないでいいだろう。可哀想だしな」


 これだけ可愛いと命も奪いずらいと思うのが人情だ。


「ねえねえ、おじちゃん、この子の毛、金色じゃないよ?」


 言われてみればたしかにそうだ。普通にデカい羊だ。

 違うのはレモンの木が生えていることくらい。


「でも、流石にコレじゃないかしら。谷にいるんだし」

「レモン羊は、もしかしたらレモンの木が生えてる羊ってことなのかもね!」


 クウォンの言葉に皆が「あ~」と納得を示した。

 まぁ黄金じゃない理由にはならないのだが。


「まぁいい。とにかく羊は見つけた。あとはどうやって毛を刈るかを考えるとするか」

「知恵をだしあって考えるんだね‼ これぞ仲間って感じだね、先生‼」

「では、知恵をだしあおうか。いい案のあるやついるか」


 手がまったくあがらない。互いに顔を見合わせるばかり。

 うむ。この会議は難航しそうだな。


 その時だった。遠くから物音が聞こえた。

 レモン羊をはさんで谷の反対側からだ。


 羊の向こう側が見える位置に移動する。のぞきこむように。警戒しながら。薄暗いなかに松明の揺れる焔が見えた。それも一つ二つではない。かなりの数だ。


 その数は少なくとも30以上。列をなしてぞろぞろと近づいてくる。

 段々と姿が露わになってきた。よく焼けた肌色、ベルトに差すカットラスと短銃、暴力の香り。


「はーっはっは、すげえ‼ こいつが黄金の羊かァ‼」


 荒くれ者どもの群れからひとりの男が足早に駆けてきた。

 デカい身体の男だ。おおきな羽根つき帽子をかぶり、モジャモジャの黒いひげは金色の装飾品で飾られている。ギラリと黄色い歯をのぞかせる邪悪な笑み。松明の灯りを受けて輝く金歯。腰には2本のカットラスと短銃。


 邪悪な様相の男はこちらに気づいた。怪訝な眼差しだ。


「おい、誰だお前らァ、どうしてこんなところにいやがるゥ」

「そんなのレモン羊のために来たに決まってるじゃない」


 ラトリスは一歩前に出て谷に声を響かせた。


「レモン羊だと? てめえら、俺様の羊を横取りしようってのかァ?」

「あんたの羊じゃないわ。わたしたちの羊よ」

「クソが。あの老いぼれめ、俺たち以外にも羊のことを話してやがったのかァ‼」


 邪悪な海賊は地団太を踏んで苛立ちを露わにした。本能のままに怒りを発散したかと思えば、ピタッと足を止め、ひとつ指をたて俺たちの背後を示した。


「俺様たちはクソったれな険しい道を越えてきたんだ。道中で仲間が6人も死ぬくらい険しかった。お前らは谷の反対側からきやがったァ。こいつァおかしくねえかァ?」


 眉根をひそめ口を半開きにしたまま思案げにする。


「どうやら、見た目よりキレ者だな、あいつ」

「海賊パーティの頭領をやっているのなら、これくらい察せて当然ですね」


 俺とラトリスがコソっとやり取りすると「がぁああ‼」と濁声の絶叫があがった。


「あの老いぼれめ、さてはほかにも道があったなァ⁉ 谷に通ずる道はひとつしかないだのほざきやがってェ‼ 帰ったらぶっ殺してやるゥ‼ 八つ裂きだァ‼」


 天に慟哭する海賊。

 握りしめる拳はプルプルと震えている。


「あんたがこの場から生きて帰ることはないよ! ウブラー‼」


 叫んだのはクウォンだった。

 邪悪な海賊は不愉快そうに「あァ⁉」とこちらへ向き直った。


「俺様の名を知っているのかァ。まぁ有名人だから当然ではあるがな」

「あたしはクウォン。無双のクウォンだよ、あんたらをぶっ倒す‼」


 クウォンはくしゃくしゃの指名手配書が取り出してウブラーへ突きつけた。


「てめえがクウォンとかいうアバズレか‼ 聞いているぞ、イカれた娘が暴れてるってな‼ なんでも俺様の手下を見かけるなりデカい剣でぶっ叩いて回っているらしいじゃねえか‼」

「あんたを倒して大金もらうんだ。じゃないとご飯も食べれないからね‼」


 魂からの叫びだった。一文無しだと説得力が違うぜ。


「はっ‼ 馬鹿め、懸賞金に釣られた愚かな娘だッ、てめえも仲間もタダじゃ済まさねえ‼ 絶対にだ‼ もろとも娘どもひん剥いて遊んでやる‼ それで黄金の羊もいただきだァ‼」

「俺はどうなる? 多少歳くってるが遊んでくれるか? 意外と可愛いところがあるぞ」

「おめえはここでバラバラにしてやるよ、クソボケじじいッ‼」

「酷いな。じじいって歳じゃないだろ」


 傷心する俺への返答は「かかれィ‼ てめぇらぶっ殺せェ‼」という野蛮な咆哮だった。海賊たちは松明を放り捨て、カットラスを抜いて、気迫で吠えながら突っ込んでくる。

「めぇぇぇえ‼」


 その時だった。散々、枕元で大声をだしていたせいだろう。巨大な山がのそりと起きあがり、可愛らしく鳴きながら、谷底を揺らした。


 振りだされる鼻先が海賊の先頭を走っていたやつを弾きとばし、谷壁に叩きつける。吹っ飛ばされたやつはベギッと嫌な音をたてて岩にぶつかって動かなくなった。


 レモン羊の怒りはおさまらない。頭を振ったり、手足を乱暴に動かし執拗に大地を踏みしめ、激しく暴れまわる。


 おおきな蹄が上から降ってくるなか、命知らずに突っ込んでくる海賊ども。

 とんでもない連中だ。俺は刀を抜いてせまってくる海賊を迎え討つ。


「おらぁああ‼」

「考えなおせ。お前じゃ勝てないぞ」


 警告を無視し挑んでくる。素人の太刀筋。

 攻撃を受け流し、首裏を峰打ちして無力化する。


「めぇぇぇええ‼」


 俺が気絶させた海賊が上から降ってきた蹄に踏まれてご臨終。「こんなところで寝ちゃダメだろう」。俺の優しい忠告が彼に届くこともうない。


 仲間が死んだというのに向こうは撤退する気がないようだ。そこら中で乱戦が繰り広げ始めている。レモン羊も暴れまわっている。もうめちゃくちゃだ。

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