第33話 剣聖の伝説

 翌朝、リバースカース号がコウセキ島を出発する朝。

 俺は酒瓶を片手に港を散歩していた。


 朝の潮風がベッドで低温調理された中年の体に心地よく吹きつけてくる。視界に映るの青い海、澄み渡る空、新しくやってくる船、仕事をやりおえて去っていく船。


 俺はペシミスティックな気分でそれらを眺めていた。

 不思議なものだ。海は広大だというのに、このちいさな点に多くの運命が集ってくる。この点で交差する。運命は進み続け、いつかは新しい点で再会することもあるだろう。ただ、多くの場合はこの交差した運命は再び交わることない。


「物思いにふけってるって顔だ」


 視線をやれば港をゆく忙しない男たちのなかで足を止めているやつがいた。

 ずいぶん世話になった親切な海賊殿だ。ピッケルを背負い、今日も堀りにいく気満々の様相だ。


「広い海の奇妙な運命について考えてた」

「あぁなるほど。気持ちはわかるぜ。この海の向こうはどこへでも繋がってる。海を眺めてると、人間のちっぽけさとか、世の窮屈さとかいろいろ考えるよな」

「奇遇だな。よくわかってるじゃないか。俺はさ、ガキの頃そういうのをよく考えてたんだ。いつも海を眺めてた。その先の世界に思いを馳せていた。やるべきことを終えて、こうして水平線を見つめていると、まるでガキの頃に戻ったような気分になる」


 酒瓶を渡すと、親切な海賊は豪快にひと口ふくんだ。


「あんたらが鷲獅子の首をもってダンジョンから出てきたときは、たまげたぜ」

「あの首けっこう恐いよな」

「それもそうだが、そういう意味じゃない。まさか光石鷲獅子を渡すなんてな。あんたらがダンジョンから出てきた時、採掘場の誰もが作業を止めてた。面白い景色だったぜ」


 海賊は思いだし笑いしながら言った。


「まるで伝説の英雄が街に帰ってきたのを見ているみたいだった」

「そう見えたか? 伝説の英雄の覇気がある?」

「いや、それが困ったことに今も全然覇気を感じない」


 うーん、まだ風格は宿らないか。


「あんたオウル・アイボリーっていうんだって?」

「そうだが。誰から聞いた?」

「あんたのお弟子さん」

「あぁラトリスか」

「でもな、実はその名を以前どこかで聞いた気がするんだ。あんたの弟子からじゃない」

「俺の名を? まさか。無名にもほどがある名だぞ」


 十年無人島に閉じこめられていた人間もなかなかいまい。

 親切な海賊は眉間にしわを寄せて難しい顔をする。深い記憶を探っているようだ。


「あんたの弟子、よく慕ってるだろ。雰囲気が似てる。師に酔いしれてるというか」

「何の話だ?」

「以前、大陸の港湾都市にいた時、若い娘っ子が街頭で騒いでいたんだ。剣聖の伝説とやらを語っていてな。その剣聖があんたみたいな名前だった気がするんだ」


 海賊の毛むくじゃらの指が俺を指す。


「オウル・アイボリー?」

「そうだ、そんな感じの名前だった。たぶん同名だったと思う」

「はっきりしないな」

「あんたは街頭演説する変なやつの話に傾聴するのか?」

「しないな」

「だろ?」


 オウル・アイボリーなんてどこにでもある名前ではある。

 その街頭演説者が語っていた名が俺を示している可能性は低い。関連性のない情報を結びつけて考えてしまうのはよくあることだ。


「海賊たちやレバルデスのやつらが噂してたぜ。ダンジョンのなかでもあんたの戦いぶりをよ。一太刀で終わらせるって。本当なんかい?」

「本当っちゃ本当だ。でも、斬る数はうちの流派では問題じゃない」


 親切な海賊はちいさく首を横に振りながら、感嘆したように息を吐く。


「あんたが凄げぇから思いだしたのかもな。剣聖の伝説。もしかしたら本人かもって」

「残念だが人違いだろうな。悪いな、肩透かしで」

「本物の達人ってやつを見れたのには変わりないさ。残念に思うもんか」


 返される酒瓶を受けとると、彼は俺の肩をパンと一回叩いた。

 そして、ピッケルを担ぎ直し、島の内陸へ歩いていってしまった。俺は海へ向き直り、酒瓶をかたむける。


「剣聖の伝説、か……」


 剣の腕を認められ、その凄さゆえに語られる。

 街頭演説までされて、その名の偉大さを広めたいと思う信者までいる。かつて少年オウル・アイボリーが求めてやまなかった立身出世そのものだ。


「世の中には凄いやつがいるんだなぁ」


 俺はとろとろ歩きだす。浜辺にそって。海の男たちを眺めながら。

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