第25話 光石イノシシ料理

 コウセキ島滞在3日目から俺たちの分業体制は完成を迎えた。

 爺さんが山に向かい、婆さんが川で洗濯をするように、ごく自然な流れでそれぞれの持ち場へむかう。狐の少女たちは採掘場へ、おっさんは洞窟へ。これが新時代の昔話だ。


 そんな具合で俺たちはお金を稼ぎ、債務返済のために懸命に働きつづけた。


 5日目の朝、パーティ内に疲れが溜まりつつあるのを感じつつも今日も金稼ぎ動きだす。俺たちには休んでいる時間などない。コウセキ島にいられる時間は限られているのだ。


 でも、ハードなスケジュールだろうと労う手段はある。

 その夜、俺は仲間たちを労うために、秘策を打ちだした。

 それは光石イノシシをダンジョンの外に運びだすことだった。


 リバースカース号まで苦労してイノシシを持って帰ってくると、上甲板で双子をさっそく見つけたので、獲物を見せてやった。子狐たちは興味津々に近づいてきた。


「これが噂の光石イノシシっ‼ 実物見られるなんて思わなかったのですっ‼」


 横たわった光石イノシシにパシャパシャとフラッシュが焚かれる。旅の思い出を残しているのだろう。だが、被写体は遺体だ。どこはかとなく事件現場の鑑識みたいになっている。


「オウル先生、それは……」


 ラトリスも上甲板にやってきた。表情は硬い。何かを警戒している顔だ。


「光石イノシシだ。ダンジョンに潜れない仲間にも見せてやろうと思ってな」

「そういうことでしたか。てっきりまたアレを言いだすのかと……」

「よく見ておけよ、新鮮なうちに捌いちゃうからな。今晩はこいつで焼肉パーティだ」

「あぁあ‼ やっぱり食べる気だったんですね⁉ 予想通りじゃないですか‼」


 ラトリスの嬉しそうな悲鳴。うんうん、喜んでくれているようだ。


「それ本当に食べるつもりですか……? 魔法生物ですよね?」

「もちろんだ。ブラックカース島で俺は学んだ。怪物は美味な食材なのだとな。何事も抵抗感もたず柔軟にあたれば新しい道が開ける。先入観はいけない」

「先生は怪物を食べることに抵抗なさすぎです‼」

「落ち着け、俺の経験から言わせれば、きっとこいつは美味いぞ」

「本当ですか……?」

「たぶんな。だってイノシシだし。イノシシはブラックカースでもよく食べてたろ?」

「そうですけど……はぁ、わかりました、先生には敵いません。信じることにします」


 諦観気味だが、俺の料理を承認してもらえた。

 あとは期待に応えるだけだ。まぁ心配はない。洞窟のなか何を食って育ったのかわからないが、たぶん美味しい。きっと美味しい。


 俺は星空の下で初めての食材に向きあい始めた。

 さてお前はどうすれば美味しくなる?


 まず皮を剥ぎ、肉と骨を断ち、内蔵を取りだし、血抜きをおこなう。下処理をしっかりしないと臭みが残るから、この工程は丁寧におこなう。横着はしない。


 採掘場で適当な板状の石を拾ってきて、石で組んだ原始的な調理台のうえに据える。板状の石の下で焚火を起こす。こうすることで板石に熱が伝わる。


 ここで取りだしたるはオリーブオイルだ。


 この魔法のヌメヌメを板にぬりたくり、光石イノシシ肉を寝かせる。焼き色をいれたらバターを乗せる。そして仲良くなった海賊から物々交換で手に入れた香草を、肉汁の池に放りこみ、十分な香りをつけていく。


 最後に仲良くなった海賊の友達から得た香辛料で味をつける。

 肉をプレートから取りだして、休ませる。余熱で内側に火を通すイメージで冷ましてやれば、肉汁がステーキ内に閉じ込められ旨味がギュッと濃縮されるのだ。


 これで一品目『光石イノシシの野生ステーキ』は完成だ。


 短剣で肉を切り分けてやると、むわぁーっと肉に封印された魅惑の香りが広がる。染みだした脂とオリーブ、香草の香りと塩コショウが効いた香りだ。食欲を強烈に刺激する。


 熱された石板のまわりで、最初は抵抗感を示していた狐たちは、本能に逆らうことまではできず、モフモフの尻尾をフリフリして、いまにもお肉に飛びつきたそうにしていた。


「じゅるり、うわぁ、見た目はすごく美味しそう……‼」


 ラトリスは垂涎をすすり、目を輝かせて誘惑にあらがう。


「うっ、でもこれは怪物食材……」

 

 子狐たちもだいたい同じ反応で、見た目の素晴らしさに本能で敗北しながらも、理性では負けを認めずに、魔法生物の肉を喰らうことへの警戒を怠っていないようだ。


「どうした、食べないのか」

「うっ、おじちゃんから食べていいのです」

「うん、おじいちゃんから」


 セツは言いながらカメラでじゅぅーじゅぅー鳴く肉を撮影。

 ナツは遠慮気味に一歩引いた。


「いいえ、ここはわたしが毒見します。先生を危険にさらすわけにはいきませんから」


 ラトリスは手をあわせて「いただきます」と言うと、ナイフの先端を、まだ冷めた板石のうえで切り分けられたステーキに刺した。覚悟をもって口に運ぶ。もぐもぐ。カッと目を見開く。


「んんんんぅぅぅぅ~~~美味ひぃぃいい────‼」

「本当なのですか、船長っ⁉」

「船長が蕩けてこんなだらしない表情をするなんて……異常、だよ」


 セツとナツは恐る恐るステーキを指先でつまんで口に放りこんだ。


「うむぅう⁉ 美味しいのですっ⁉ 美味しすぎて涙が溢れて、うぅぅ、ぐすん‼」


 姉は黄色い声で喜び、妹は黙したままだ。瞳を閉じて集中して味わっている。


「だから言っただろう、美味しいって。ほら、たんと食べるんだぞ」


 十年におよぶ呪われた島でのサバイバル生活は怪物食の記憶として俺の細胞に刻まれている。俺の細胞が嘘をつくことはない。だから見ればわかるのだ。そいつが美味いのかどうかなんて。


 今回もその感覚は正しかった。光石イノシシは稀に見る大当たりだ。


「オウル先生を一瞬でも疑うなんて、わたしは一番弟子失格です」

「そこまで責めなくても。ほらスープも飲んでみろ。飛ぶぞ」


 俺は言いながら鍋の蓋をあけた。湯気がぶわーっと溢れ出してくる。旨味が染みこんだいい匂いだ。素材がずいぶん余っていたので作りだした2品目。イノシシの骨で出汁をとった汁に、削ぎ肉と塩、香辛料で味をつける。


 これこそ『光石イノシシの元気スープ』である。


 器にスープをよそってやりラトリスの手に渡した。

 もはやラトリスは疑う心を捨てたようだ。食欲の赴くままに、彼女は器に口をつけてスープをすする。口から食道をつたって胃に届き、旨味の暴威は素早く遺伝子に浸透していく。


「はぅぅぅうう~、このスープ、温かい……疲れが吹っ飛ぶぅ~」


 ラトリスは一息で飲み干して、耳をピンと立て、満足そうにおおきく息を吐いた。

彼女は器を片手に持ったまま、反対の手で握りこぶしを作り、ぎゅーっと力をこめる。己の握力を確かめているみたいに。表情はどこか不思議そうにしている。


「ラトリス、どうしたんだ?」

「なんだか力がみなぎるような……怪物を食べたからその力が取りこんだのでしょうか?」

「え? いや、そんなことあるか?」

「実はブラックカース島で蜘蛛を食べた時もありまして……その時も力がみなぎって」


 怪物を食ってその力を得る、か。

 世の中ってそんな単純でもない気がする。


 かつて若い少女の血を飲むことで若返ろうと貴族夫人がいた話がという。

 理屈はわからなくない。でも、やっぱりそういう論理で世の中は動いてないのだ。何より怪物を喰って強くなれるのなら、十年にわたりお世話になってきた俺はどうなのだ。今頃、船を片手で持ちあげられてるんじゃないのか。


「流石に気のせいだろ。思いこみの力ってやつだ」


 ちょっと期待したが、すぐにそんなものないと思いなおす。世の中は上手くいかない。それを知っているはずだ。


「ほら、冷めないうちに食べちまおう。まだお肉はある。お腹いっぱい食べるんだぞ」


 そう言って柔らかい赤毛を撫でた。

 ラトリスは「はい‼」とうなずくと、極楽そうに目を細め、耳をヒコーキにし、モフモフの尻尾をパタパタと振りだした。


 5日目の夜、忙しい労働の束の間、星空の下で俺たちは豊かなディナーを楽しんだ。

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