第13話 クラーケン

 終わりです、か。

 故郷を飛びだした代償がこれです、か。


「だから、外の世界は恐いとあれほど。かつての俺の判断は間違えていなかったのか」

「おじちゃん、そんな冷静な後悔は聞きたくないのですっ‼」

「おじいちゃん、世界最強の剣士ならあれくらい倒してほしい」


 無茶を言うものじゃない。

 世の中には無理なものもある。


「ラトリス、化け物が進行方向にいるように見えるんだがぁ──⁉」


 打ち付ける荒波にかき消されないように大声をだし、後部甲板で舵を取る弟子へ叫ぶ。


「確かにとんでもない化け物がいますねぇ──‼」

「どうする──‼」

「先生、お願いしますぅ────‼」


 いや、だからなぜなのだ。

 なぜ俺にどうにかできると思っている。無理なものは無理だって。


「うわぁーん‼ 海でクラーケンに遭ってしまうなんてっ‼ やつらは知性をもつ怪物っ‼ 人間の船を沈めることに関しては最悪最強なのですっ‼」

「それにこの船にはまともな武装もない。絡まれたら撃退もできない、よね」


 子狐たちと俺は、同時に視線を注いだ。産まれたばかりのちいさな大砲へと。ギガントデストロイヤー。この船のすべての命運を託すにはやや荷が重たいように見えた。


 ついにクラーケンの触腕が船を捕まえた。四方八方から肉太い腕が絡みついてくる。リバースカース号はただでさえデカい船ではない。きっと簡単に沈められてしまうだろう。


「ニンフム、舵を‼」


 後部甲板ではラトリスが舵を投げ出し、駆けだし、触腕を剣で斬りはらおうとしている。


 凄いバランス感覚だ。この船上で剣を振りまわせるなんて。

 ん、待てよ、足元から伝わる波力……なるほど、そういう原理か。


「これも理合いでいけるのか」


 陸ではありえない現象。エネルギーが絶え間なく足元から襲ってくる地形──それこそが海。波の力をアイボリー剣術の理合いによって操り、対応する意識をもてば何のことはない。


 俺は船上でのバランスの取り方を学び、弟子に負けていられないと近くの触腕に斬りかからんとした。絶対に船を守るのだ──決意を固めたその時、ズドンッと打ちあげる衝撃が俺を襲った。


 船体が海面にぶつかってバウンドしたのか、クラーケンの触腕が叩いたのか、視界が悪すぎて判別もつかないが、死のトランポリンによって俺の身体が、大海原に投げ出されたのはわかった。


 ちょうど飛んでいった先で、クラーケンがおおきな口を開けていた。

 母なる海、雄大な怪物、それに比べ人間のなんとちっぽけなことか。

 絶望に四肢を裂かれつつ、俺は宙を舞いながら腰に差した刀をぬいていた。


「ぎゅうあぁああああ──‼」


 俺を包むのは身の凍える雨風を忘れさせる温かさ。

 それは怪物の口から放たれる酷い悪臭だった。


 俺は悪魔の口へと見事にホールインワンを決めてみせたのだ。詰みだ。


 でも、意地を見せてやる。刀の切っ先でクラーケンの口内の壁面を刺した。

 祈りながら剣にしがみつく。自由落下する己は止まっていた。

 胃酸が溜まる天然熱湯風呂への直下はどうにかまぬがれたみたいだ。


「おお、意外といけるな‼ ──くっせえ⁉」


 不衛生なやつだ。何世紀も前から歯磨きしていないに違いない。

 想像を絶する悪臭に鼻の粘膜が焼かれる。呼吸をとめろ。気を失ってしまうぞ。涙が溢れてくる。でも耐えるのだ。


「うっ、まずい、上からは海水が」


 足元からの悪臭。頭上からの凍える水。

 おおきな口が閉ざされていく。大量の海水が落ちてくる。


 海に潜るつもりだな? それはキツイ。

 人間は深海で生きていけるように設計されていない。


「これは……一か八かアレでいくしかないか」


 俺は覚悟を決め、息をおおきく吸いこんだ。


 どんどん熱くなる空気、どんどん狭まる食道、俺は食道壁に刺していた剣をぬいて、落下を再開、勢いを殺さずに刀に乗せて斬りまくった。

 

 胃袋への接近はすなわち死に近づくに等しい。だが、生きるためにはこれしかない。生を拾いあげるために死を恐れずに飛びこむのだ。


 平衡感覚が狂い、壁面に立つことができたあとは先ほど掴んだバランス感覚が役に立った。俺は先ほどまで剣で刺していた食道壁に両足で立てていた。


 急な坂道だがギリ立てる。


 クラーケンの体勢が変わっている? 

 まずい。いよいよ潜航を始めるつもりか。


 こんだけ斬ったのに俺を吐き出してくれない。

 異物がこんな暴れているのにそれでも体内での滞在を許してくれるなんて、なんと寛容なやつなのだろう。くそったれが。


「んあ? 待てよ、これは、なんだ……?」


 目まぐるしくまわる思考を寸断したのは足元から全身へ訴えてくる巨大な胎動だった。これはクラーケンの鼓動? このサイズの生物のものならば、さぞ巨大な心臓なのだろう。さぞ強力な力を持っているに違いない。いや、違うな。これはもっともっとデカい。その正体に気づいた時、俺の脳裏に電撃が走った。


「これは……海の力……素晴らしい、使える力そこら中にある」


 風が海面を撫で、それは遥か遠い世界から延々と続いておおきな波をつくり、海全体は絶え間なく動き続けている。潮汐力は重力により起こされる潮の満ち引きだ。これもまた海に巨大な動きをもたらす。果てしない海洋エネルギーが足からのぼってくる。


 膨大な水はクラーケンさえ母腹でたゆたう赤子のように包みこみ、海はこの悪臭を放つ肉袋を通じて、俺のもとに語り掛けてきているのだ。


 いま理合の核心をかかげよう。

 俺は海を理解した。

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