第10話 ゴーレム・ニンフム
無礼な中年男の襟元でも掴んで恫喝しようというのか、あるいは頬をビンタでもされるのか──どのみち嫌だなと身構えていると、球体関節をともなった優美な手先が目の前で止まる。舞踏会でダンスパートナーからの返答を待つかのように。眼前に差し出されたまま。
俺は人形の手をとった。
深く握って、人差し指と中指で手首の脈を確かめる。
でも、そんな必要がないくらいに、彼女の肌質は硬く冷たかった。
球体関節の時点で人間でないのは察しがついていたのだが、手で触れて疑念と困惑は確信に変わった。
俺は溺れる人間を水面から引き揚げるように、手を引っ張った。
椅子に座った身体は想像よりずっと重たかったので、引き揚げる勢いでたたせた。ゴーレムって重たいのだな。
「どうも、ミスター。あなたは新しい乗組員ですか」
「オウル・アイボリーだ。あんたがミス・ニンフム?」
「いかにも。わたくしがゴーレム・ニンフム。リバースカース号の管理者をしています」
ミス・ニンフムはそういうと、優雅な身構えでスカートの端をちょこんとつまみ、カーテシーを披露してくれた。弟子たちが遊びでやっているのを見たことあるが本物は初めてだ。
「えっと、ラトリス船長にあんたを倒すように言われてきたんだが」
俺は鞘におさめられた剣を持ちあげた。
「ミス・ニンフムのせいでこの船は本来の能力を発揮できていません」
ラトリスはそう言って、ムッとした顔で肘を抱いた。
「リバースカースの魔法の力は、単に呪いへ抵抗力を持つだけにとどまらないです。その力は無限大。船を思いのままに進化させることができる……はずなんです」
「思いのままに? どういう意味だ」
「例えば船をもっとおおきくしたり、部屋を増やしたり、航行速度をあげたり、とかです」
本当に可能なのか。そんなことが。
「すごいな。魔法の船って」
「ええ、すごいんです。でも、ミス・ニンフムの意地悪のせい機能を使わせてもらえません」
俺はミス・ニンフムのほうへ向き直る。ガラス玉の碧眼は俺とラトリスの中間あたりの空間を見つめたまま。口だけがやたら滑らかに動いた。顔のまわりは皮膚っぽさがあるな。
「わたくしはリバースカース号の管理者として、厳格な規則をもち、それを遵守しているにすぎません。わたくしは人ならざる者。行動基準は情ではなく、理のみ」
キリッとした顔でゴーレム少女は言うと、手のひらを船底に向けたままゆっくりあげた。球体関節からなる五指がカタカタカタとちいさな駆動音をたてて空気を握りこむ。
その時、船全体が軋んだ。巨大な力が船底全体を包む。船床がめくれあがり、割れて、一振りの長い剣が飛びだした。ミス・ニンフムは剣をしかと受け止めると、身体のまえに持ってくる。
「リバースカースの本当の力を託せるのは、わたくしが認めた者のみです」
そういう感じか。そういう感じだ。俺はラトリスへ素早く視線を向けた。
「えっと、わたし、この船を手に入れた時に挑んでボコされて……」
「なるほど。見えた。つまりはミス・ニンフムを倒した者だけが船の真の所有者になれると」
「それは条件のひとつ。わたくしより強いのは当たり前です。大事なのはもうひとつの条件」
「もうひとつの条件? そりゃあ一体……」
「──船長は渋めの殿方であること。これに尽きます。モフモフで軟派な生娘ではだめです」
ミス・ニンフムは怪訝な眼差しでラトリスをチラッと見やる。
「ええ⁉ あんたの好みのせいでわたしは船長になれてなかったの⁉」
ラトリスの悲鳴を皮切りに、貨物室に緊張感が湧きだした。それはあっという間に足首までひたらせ、頭のうえまで水位をあげ、呼吸を窮屈にさせる。
海に抱かれ船体がきしむ音。
ランプの金具があげる不協和音。
上甲板で暴れる子狐たちの足音は遠く。
俺はブーツの底で湿った木床をこするように微妙に立ち位置を調整する。
「参ります」
床を蹴って迫ってくるミス・ニンフム。
一気に突き出されるのは槍のごとき剣。
鞘で突き出される一撃をいなす。
勢いのある刺突を利用して、少女人形を突き方向へ受け流し、体幹を崩し、華奢な首に組み付き、すぐそばの支柱に鯉口──刀を納める長方形の鞘口──で押しつけ、鞘から滑り出てくる冷たい刃を細い首筋にそっとあてた。
あとは引けば斬れる。すなわち王手だ。
「おお‼ 流石はオウル先生‼ ふふん、ミス・ニンフム、手も足もでなかったわね」
得意げなラトリスにミス・ニンフムはジト目を向けた。
「……驚きました。ミスター・オウル、あなたは技の使い手ですね」
「いかにも。それしかない身だよ」
「あなたはミス・ラトリスの剣の師ですね」
「それも、いかにも、だ」
「お見事。あなたの勝ちです。ミスター・オウル」
俺はミス・ニンフムを解放してやった。彼女はトボトボと4歩ほど後ずさると、剣を召喚した時のように船底に手を向けた。ベキべキと再び船底が割れて、一冊の古びた本が飛びだした。
「これはガイドブック。リバースカース号の真の船長になった者に渡すようにと」
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