第9話 子狐ジャック

 身の危険を感じ、ひとまず両手を頭のうえにあげるところから始めるとしよう。


「わかった、降伏だ」


 セツと破顔して嬉しそうにした。

 ナツはしたり顔で口角をちょっとあげた。


 いまだ。俺は手で銃口を弾き、セツの襟元を掴み、グイッと引きよせた。いわゆるマウントポジション──馬乗り状態は振りほどくことが難しい。だが、こうして上に乗っている者と身体距離を近くすることで、姿勢の有利を拒絶し、振りほどくことが可能になる。


 銃を叩いて手放させて、セツを下に、俺が上に、位置を入れかえる。


「ふわあ⁉ おじちゃん降伏したって言ったのに⁉」

「大人は嘘つきなんだ、悪いな」

「おじいちゃん、もう容赦しない、だよ」


 ナツがバッドで襲いかかってきた。加速する凶悪な先端。回避。ナツの手首をつかみ引っ張り、かけ布団へつっこませ「わぁぁ⁉」という悲鳴を無視し、巻き寿司をつくるように、2匹の子狐を具材にふかふかの布団で簀巻きにし、上からのしかかって押さえつけた。


「うわぁーん‼ 完全に有利だったのにどうしてセツたち捕まってるのですかぁー‼」

「お姉ちゃん、ナツたちは死ぬみたい」


 泣きじゃくる姉、諦観の妹。勝ちを確信し、内心嬉しい中年。


 ガチャ。扉が開いた。

 ラトリスが身なりの整った格好ではいってきた。


「何を騒いでいるのです、か……って。……あの、何をしているので?」

「いたずら好きな子狐たちをいま無力化したところだ」


 ラトリスに何があったかを話した。


「こらぁー‼ オウル先生になんて無礼なことを‼」

「うぅ」

「ひっく」


 セツはポロポロ涙をこぼし、ナツは不貞腐れたように床を見つめる。


「すみません。ふたりには先生を起こしてくるように伝えたのですが。どうやら寝起きを襲えば、世界最強の剣士を負かすことができると考えたようです」


 廊下でバケツを持たされて立たされている子狐たちを横目に、俺は昨晩ベッドでいっしょに寝た酒瓶をあおり飲みながら「うーん‼(訳:なるほど)」と相槌を打つ。


「オウル先生が7つの海で最強の剣士だとずっと言い聞かせてきたものですから。最強に挑みたかったみたいです。本人たちも反省しているので許してあげてはくれませんか?」

「もちろん。まったく怒ってない」


 殺意は感じなかったので、いたずらだとわかっていた。


「ひっく、でも、降参って言ったのにぃ……」


 意気消沈するセツの頭にポンッと手を置く。


「その通りだな。ルール違反だ。俺は一回負けを認めた。お前たちの勝ちだ」

「わーい‼ 聞いた、ナツ、私たちの勝利だってっ‼」

「お姉ちゃん、これが完全な格付け、だね」


 嬉しそうにはしゃいで、ぴょんぴょん跳ねる子狐たち。バケツの海水がピチャピチャと揺れて廊下が水浸しになる。やばいと悟った子狐たちは「拭きます、船長……」と、駆け足で去っていく。モップでも取りに行くのだろう。


 俺は酒瓶を傾けながらラトリスに視線をおくる。


「先生、あの子たちをあんまり調子に乗らせないでください。やんちゃな子たちなんです。しっかりと教育しないといけないんですから」

「多少はいいだろう。それに昔のラトリスを見てるみたいで可愛いじゃないか」

「か、可愛いです、か?」


 ラトリスは耳をぴこぴこさせ、モフモフの尻尾をフリフリさせ俯いた。


 かつてのラトリスもいたずら好きな子だった。

 やんちゃな子たちはどうにか俺に勝ったという既成事実を作ろうとあれやこれや手段を使ってきたのを覚えている。寝起きを襲われるのは優しいほうだ。流石にお風呂を襲われた時は「正気かお前ら?」となったけどな。


「昔、無差別級の勝負を仕掛けられたときを思いだした」

「言われてみればそんな時もありましたね……」


 ラトリスは気まずそうに遠くのほうを見つめる。

 ふと「そういえば」と、思いだしたように耳をピンと立てた。


「勝負続きで申し訳ないのですが、先生に挑んでほしい相手がいまして」

「挑んでほしい相手?」

「先生をして手強い相手だと思われますので、十分に準備をして挑んでほしいです」


 謎の相手を匂わせられてから数時間後──。

 出港のために水や食料の補給が必要だというので、俺のアジトに隠してあった食料やら、備蓄していた雨水やらをラトリスたちといっしょに回収してまわり、埠頭に集積する作業をおこなった。


 あとは埠頭に集めた物資を船に積みこめばひとまず出港準備は完了とのことだ。

 あまり長居するべき島ではないので、そうそうに出たいところである。


「ラトリス、それで今朝言ってた、手強い相手とやらはどこに?」

「彼女も起きていると思いますので、そろそろ会いにいきますか」


 やってきたのは船底だった。貨物室というやつだ。

 満ちるのは暗く湿った空気。低い天井から吊るされるのは心許なく固定されたランプの明かり。キーキー音と錆びた金具の悲鳴をあげながら揺れ、上甲板で元気に駆け回っている子狐たちの足音が落ちてきている。


 ラトリスを見やる。

 彼女は少し緊張しているように見えた。ここに何者かがいるのか。


 俺は奥をじっと見つめた。

 そこにいる気配を感じながら、そっと歩みを進めた。


 天井の灯りが音をたてながら揺れて、奥のそれを照らしだした。

 椅子に座っている者がいる。場違いに綺麗な精巧な装いに身をつつんだ少女だった。白い髪に白い肌。光を反射する碧眼はおおきく開かれたまま動かない。


 俺はしばし観察し、「死んでるのか?」と死人にするべきではない質問をした。

 心臓がビクッと跳ね上がったのは「確かめてみますか」と綺麗な死体が喋ったせいだ。椅子に座っていた彼女はそのまま俺の首元へ手を伸ばしてきた。

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