第8話 旅立てなかった者

 彼女がとりだした酒瓶に俺はテンションがぶちあがる。


「ん? おお‼ 葡萄酒か‼」


 胸の高鳴りが進めるままに手を伸ばし、ラベルを確認する。俺の記憶が正しければ大陸で有名なブドウ園で作られた品だ。かつて商船がブラックカース島に寄った時は、この島の少ない資源と特産品とをこうした大陸名産の美酒と交換したのを覚えている。


「素晴らしい、ラトリス、おまえは最高だ、疑いようがなく一番弟子だ‼」

「ふふふ! では、いっぱい撫でてください!」


 モフモフ耳がピコピコ動く頭をズイッと差し出してくる。望み通りに頭を撫でくりまわしておく。髪の毛も耳も大変に触り心地がよい。「よーしよしよし、お前は最高だ、偉い子だ」


「いやはや、酒なんてもう十年も飲めてない」


 俺は酒瓶の底を座している漂流木に叩きつける。衝撃が伝播してコルク栓が浮きあがる。一発だとあがってこないのでコンコンと何度も叩きつける。程よくコルクが顔をだしたら噛んでひっぱればよろしい。栓が抜けると香りが溢れだし、俺の細胞の隅々まで染みわたっていくのがわかった。少なくとも肉体年齢は十歳若返り、ほうれい線も薄くなったことだろう。


「ありがたく」そう言って俺は酒瓶を軽くかかげ、注ぎ口にかぶりついて瓶底をひっくりかえす。


「ぷはぁ、たまらないな」

「先生、わたしにも」

「え? ラトリスは……あぁ、そうか、もう大人なのか」

「いつまでも子ども扱いしないでください、先生。ビールもラムも、葡萄酒も蒸留酒も航海では常飲するものなのですよ。お酒にはすっかり強くなったんです」


 ラトリスは俺の手から酒瓶をひったくってあおり飲んだ。

 豪快に飲んだあと、何かに気づいた様子で酒瓶を見つめ始めた。


「あれ? これは先生と間接キスなのでは?」

「どうしたんだ?」

「いえ、何でもないです。我ながらいい葡萄酒を持ってきたな、って」

「そういうことか。ん、そいや、この子たちに船長って呼ばれていたが、船はお前のなのか?」


 ラトリスは耳をピコンと垂直にたて、我が意を得たりと笑みを浮かべる。


「いかにもあれはわたしの船です。リバースカース号。先生を助けるための船です」

「俺を助けるための船、ね」

「オウル先生は島にいたのでご存じないかもしれないですが、この島、ブラックカース島は脅威度:巨大蛸という等級をあてられている超危険な島とされてまして」

「まぁ危険だな。だから、みんな避難したんだし」

「その危険性は島に上陸するまえからありまして、まず普通の船でブラックカース島に近づこうとすると、潮の流れにより舵が利かなくなって、嵐に呑みこまれてしまって……そうなった船の運命はひとつだけ。海の藻屑です」

「悪魔の島かな? どうりで十年間、船が近づいてくる気配もなかったわけだ」


 正直、たくさんいた弟子のうちひとりくらい助けにきてくれてもいいんじゃないかと十年間思ってはいたのだが、なるほど、助けに来れない理由があったというわけか。


「ええ。だからリバースカース号が必要でした。あれは世にも貴重な魔法の船なのです。呪いの影響を受けない唯一の手段。先生を助けだすためにあるような船ですね」

「すごいな。魔法の船だなんて……よくそんなものが手に入ったな」


 かつてこの島に訪れる商船は外の世界のものを見せてくれた。なかでも魔法のアイテムは貴重で高価なものだった。俺は豊かな家の子どもではなかったので、魔法の道具を手に入れたことは一度もない。こうした知見から言わせてもらうと、魔法がかかった船の価値は計り知れないはずだ。


「すごく大変でした。あれのために十年かかったんですし。でも、追い求めていればいつかは手に入るものです。最後には海賊ギルドの知り合いをつたって買い取りました」

「それは苦労をかけたな。ところで、その海賊ギルドってなんだ? 聞き覚えがないが」

「海賊ギルドは自由と冒険を愛する者たちの組合です。海で資源を集めてもっていくとそこで買い取ってもらえるんです。冒険を続けるうえで必要なものがそろってます」

「お金持ちになれるのか?」

「ええ、上手く行けば一攫千金です‼」


 言ってラトリスは両手をおおきく広げてみせた。


「わたしもいまでは立派な海賊なんですよ、先生」


 ラトリスは火を見つめ、頬を少し染め、誇らしげにつぶやいた。


「ところで、先生、ひとつお願いがあるのですが」

「何でも言ってみろ」

「オウル先生も海賊生活を始めませんか?」

「あぁいいよ」

「そんなあっさり⁉ 本当ですか⁉」

「嘘をついてどうする。行くアテもないんだ。……何より、少し興味が湧いた」


 自由と冒険。

 それは若き日の俺がついぞ手に入れられなかったものだ。


 かつてオウル・アイボリー少年は、大志を抱いた。

 辺鄙なブラックカース島を出て、広い世界で己の剣だけで立身出世しようとした。冒険者でも、海賊でも、傭兵でも、騎士でも、なんでもよかった。このちいさな島からでることができれば。俺の野心を満たすことができれば。


 知っての通り、少年は島をでることはなかった。

 理由のひとつは彼が魔力の覚醒者ではなかったこと。でも、もっとおおきな理由がある。それは呆れるほど簡単な理由だ。


 彼には、オウル・アイボリーには踏みだす勇気がなかったのだ。


「船の一員になって、海を冒険する。信じられないくらい心躍る響きだ」


 俺は酒瓶をかたむけ、口いっぱいに葡萄酒を含んだ。


「わたしの夢はこの海を冒険し尽くすことです。まだ見ぬ土地、まだ見ぬ魔法生物、宝に資源に、国に人。海の先には無数の世界がある。ちいさな島のなかにいては知りえなかったことです」


 そう語るラトリスの瞳は希望に満ちていた。いい輝きだ。眩しいほどに。


「素晴らしい夢を抱いてるな。俺もそうありたかった」

「先生……」

「剣一本で生きていく。この剣で金を稼ぎ、困難をしりぞけ、名を馳せる。そうやって外の世界で自由を謳歌し、冒険をしようと思ってた時期はあったんだ。若い頃の話だけどな」

「オウル先生、なにしんみりしてるんですか。ここから始めればいいじゃないですか」


 ラトリスはニコリと笑みを浮かべてつぶやいた。

 若き海賊、冒険家にして剣の達人、俺にはまぶしすぎる弟子の言葉に魔力があった。その魔力はまるで焚火の温かさのように俺のなかに入りこみ、冷めた芯に熱をいれてくる。


「その通りだ。その通りだな、ラトリス」

「ええ、そうですとも。そして7つの海に、大陸の国家に、世のあらゆる猛者たちに知らしめましょう、ブラックカース島のオウル・アイボリーが世界最強の剣士であると‼」

「それは買いかぶりすぎじゃないか?」


 ラトリスは昔から俺のことを過大評価しがちだ。……彼女だけでもなかったが。

 魔力を扱えない凡人だ。もう若くもない。過度な期待は勘弁してほしいな。


「オウル先生、つきましては明日、さっさく島をでようと思います」

「それは賛成だ。こんな呪われた島さっさとおさらばしよう」

「では、先生、今晩はリバースカースで休まれてください。お部屋を案内します」


 ラトリスに通された個室には十分なサイズのベッドが用意されていた。

 この船の規格からすれば、個室として立派すぎる気もする部屋だ。

 長い調理で疲れていたのか、はたまた十年ぶりの飲酒により、頭がほわほわしていたおかげか、ベッドに入るなり、俺はスーッと深い眠り落ちた。



 ────



 俺は身体のうえに重みと息苦しさを感じて目覚めることになった。


「おじちゃん、動くなぁあっ‼」


 寝ぼけまなこを開けた。

 俺のうえの重量。その正体は桃髪の子狐だった。


 たしかセツという名の船の甲板員だったか。それが乗っかりながら、短銃の銃口を鼻先につきつけてきている。仰向けで眠る俺のうえに跨るかたちで。

 ベッド脇を見やれば、緑髪の子狐もいた。双子の妹ナツだ。こっちは無表情のまま、木製のバッドの重みを確かめるように手のうえで跳ねさせている。


 どうやらテロリストに寝室をジャックされてしまったらしい。

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