第5話 無限を喰らう蜘蛛

「ふひぇぇえ⁉ ちょ、ちょっと、オウル先生、しっぽ掴みだなんて……⁉」


 ラトリスは顔を真っ赤にして、己の尻尾を握る俺の手をテシテシと叩いてくる。狐人族だけでなく、獣人の多くは尻尾を掴まれることに抵抗があると研究により判明している。本人たちには悪いが、暴れる獣人を効果的に制圧する方法はこれしかないので許してほしい。俺が手を離してやると、彼女は佇まいを正して、改まったように咳ばらいをする。相変わらず俺のうえに跨っているが冷静さを取り戻してくれたようだ。


「オウル先生と言えど、女の子の尻尾をそういう風に掴むのはいかがな物かと‼」

「すまない、それは謝るよ。無粋だったな」

「反省してくだればそれでいいです」


 ラトリスは跨りながら俺のお腹をペしぺしと叩いてきた。


「それでいつまで俺は台座になってればいいのかな、ラトリス」

「うーん、退いたほうがいいですか?」

「どうしても退けない理由があるのなら聞くけど、基本的には退いてほしいかな」


 ラトリスは名残惜しそうにそっと立ち上がり、俺の手を引っ張って立たせてくれた。彼女は眉尻をさげ、耳をしおれさせると、こちらを伺うように見てくる。


「……そりゃあ、少し取り乱したことは悪いとは思っていますけれど」

「別に怒っていないよ、ラトリス、びっくりしただけだ」

「本当ですか? では、オウル先生、頭を撫でてくれてもいいですよ、先生を救出しにきた優秀な弟子には罰則よりもご褒美をあげるべきだと思うのです」


 キラキラした目で期待される。俺は腕をもちあげ、そっとラトリスの頭に手を添え、ふわっとした赤毛を撫でた。なんという毛並みだ。すごい撫で心地だ。流石はアイボリー道場モフモフ撫で心地選手権の連覇者である。極上の撫で心地だ。


「ふふふ、オウル先生にこうして撫でていただくのも久しぶりです」

「そういえば昔もよくこうしていたか。ラトリスは撫で撫でされるのが好きだったもんな」


 獣人は撫でられるのが好きだ。よく俺にそばにきて「撫でろ!」と要求をしてきたものだ。特にラトリスは「撫でろ!」の回数が多かったように思う。


「ひとまずオウル先生、わたしが一番弟子ということでいいですか?」

「撫でられながら何を言いだすんだ? 一番弟子?」

「約束したじゃないですか‼ 船のうえから。わたしを一番弟子にしてくれると‼」


 そういえばそんなこと言っていたような気がする。


「オウル先生を見事に救出してみせたわたしには名誉が与えられてしかるべきだと思います」

「なるほど。うん、それじゃあ、それでいいぞ。ラトリスが一番弟子だ。可哀想で孤独で見捨てられた師を見事に救いにだした。弟子としてこの上ない働きといえるだろう」


 俺は演技がかった声でそう言って、赤毛をわしゃわしゃと勢いよく撫でくりまわした。

 ラトリスは「ついにわたしが先生の一番に、くふふ」と嬉しそうにしている。

 俺はラトリスの背後、ゆっくり埠頭に近づいてくる船をみやった。


「山積みの身の上話をするまえにブラックカース島が十年前の平和な頃とはちがうことをラトリスに教えないといけない。知ってるとは思うが、怪物と瘴気が深刻だ。俺たちがいまいる埠頭でさえ怪物が平気でうろついてることがあるくらいで……ん?」


 俺の視界の隅、埠頭と陸地をつなぐ入り口に怪物の姿がみえた。


「おっと。言ってるそばからお出ましか。ラトリス下がってるんだ。危ないぞ」


 八つの脚をもった蜘蛛みたいなやつ。体長は8m越え。胴体前面がぱかーっと開くクソデカい口になっており、突っこんできてはこちらを丸のみにしてこようとしてくる危ないやつだ。糸を飛ばしたり、酸を吐きだしたり、魔法とかも使える。この島ではそこそこ見る怪物だ。

 ラトリスは俺より一歩前へ進みでると、自信満々の笑みでこちらを見てきた。まさか。


「オウル先生、ここはわたしが。とくとご覧ください。一番弟子の実力を」


 ふむ。やる気満々か。では、少し任せてみるとしよう。



 ──ラトリスの視点



 ソレが視界に映ったとき彼女の肌にビリッとした刺激がはしった。長きにわたり剣術を鍛え、練りあげた実力者だからこそ、ソレの危険性を察することができる。否、彼女でなくとも、ソレの危険性などみればわかるだろう。雄弁なほど凶悪で邪悪な面構えをしていれば。


「あれは危ないやつだぞ。気をつけろ。俺はやつをビッグマウスと呼んでいてだな、見た目はアレだが、水炊きにすると最高に美味で────」


 ラトリスは高い集中状態にはいり、オウルの声が遠くにいったように感じていた。獣の眼差しはおおきく目を見開かれ、視線は恐るべき怪物に注がれている。


(無限を喰らう蜘蛛……。冒険者ギルドでは蛇王等級に分類される怪物。これほどの怪物がこんな平然と闊歩しているなんて……覚悟はしていたけどこの島、やばすぎる)


 無限を喰らう蜘蛛はこんな形で遭遇するには最悪以上の言葉が見つからない怪物だ。

 古い遺跡や、戦場跡、森のもっとも深いところに生息している悪魔であり、十分な情報収集と討伐計画、人数と装備を整えて挑むべきとされている。その脅威を語るうえで人口数千人の都市をこの怪物4匹で滅ぼした逸話は有名で、冒険者のあいだで語り継がれている。


 ラトリスはオウルの胸をそっと押して、一歩進みでる。ここはお任せください、と。腰の剣を抜き、モフモフの耳をヒコーキみたいに後方へひきしぼる。これは彼女が集中するときの癖だった。


(悪いタイミングだけど、いいタイミングだよね。無限を喰らう蜘蛛なら4年前にひとりで討伐したことがある。それも相手の巣で。討伐計画を練ったうえでの死闘だったけど。ここはやつの巣でもないし、わたしはあの時よりずっと強い。倒したらオウル先生に褒めてもらえるはず)


 ラトリスはオウルにたくさん頭を撫でてもらう想像をし、ニヒヒと内心で捕らぬ狸の皮算用、愛剣のブロードソードを張りきって構えた。


 黒い怪物は埠頭の看板をなぎ倒しながら、駆けだした。土砂崩れのような激しさで、巨大な質量が一気に迫ってくるさまは圧巻の一言に尽きる。


 ラトリスは真正面から迎え討つ。彼女が地を蹴った。脚力に耐えかねた埠頭に亀裂が広がる。常人を逸脱したバネと筋力で弾かれた身体は、瞬きのうちに怪物に接近、両手で握りしめた刃は、埠頭をバターのように裂きながら下段から斬りあげられた。


 鋼刃のアッパーカットを喰らっておおきな口を閉じざるを得ない蜘蛛。

 それどころか少女より遥かにおおきな巨躯がふわっと浮いた。

 人間を越えた怪力だけがなせる技だ。


 砕けた地面と火花が散り、怪物の突進がとまり、ブロードソードが構え直される。

 弟子が繰りだした激しい剣技。師は羨望で魅入っていた。


(なんて力だ……まさしく英雄の剣。あの時より遥かに強くなっているな)


 覚醒した魔力からくりだされる人間を越えた力。

 魔力を剣に託し、解き放つ。英雄にだけ許された戦い方。

 それはオウルの剣とはまったく違うやり方であった。


 ラトリスは手に伝わる痺れをねじふせる。

 この程度、なんでもないと自分に言い聞かせるように。


 彼女の周囲に赤い揺らめきがぽわりっと現れた。

 燃えるようなオーラだ。彼女がまとう魔力が、練りあげた剣気の影響を受けて属性をもったのだ。ラトリスの剣気はまさしく炎であった。


(硬い。前戦った個体よりずっと。想定外だけど、大丈夫大丈夫)


 ラトリスの赤い髪が燃えあがる。荒ぶる火の魔力がその身体に焼けつく息を吹きこんで、内側から焦がし尽くさんとしているようだった。

 だが、火を御するのは少女だ。巨大な魔力が血液を沸騰させ、少女の運動能力はおおきく向上、火がはいり輝く赤瞳は、砕くべき黒い甲殻を睨む。


 狙いは定めた。燃える魔力が剣に纏わりついた。

 それはラトリスの第二の刃。

 幼き日、魔力と剣との融合を果たした彼女だけの必殺剣──。


「──『赤熱の刃痕』」


 灼熱の一太刀。空間に刻まれた一筆書きの十文字。強大な剣気とともに放たれた輝く斬撃痕は、その通り道にあった一切合切を、無慈悲に、不条理に、容赦なく断ち斬った。


 英雄の必殺技だ。あらがえる生物はいない。──尋常ならば。火の粉舞うなか、汚い牙の生えそろった口がパカッと開いた。この島は尋常ならざる地だ。


 下顎と上顎はいましがたの燃える斬撃でおおきく破損しているが、そんなものお構いなしとでも言うように、おおきく縦に開かれていた。無限を喰らう蜘蛛、捕食能力、いまだ問題なし。

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