第3話 10年ぶりの寄港

 翌朝、俺はいつものように起床し、壁に傷をつける。

 またサバイバル生活最長記録更新だ。やったぜ。


「さーてと、今日は誰か迎えにきているかな!」


 チャレンジのお時間だ。

 窓の外を見るまでは、束の間の希望が湧きだし俺を満たす。


 どうだろうか。おやおや、向こうから船が一隻やってきますね。なかなか立派な船ですな。マストが2本もありますわ。赤茶けた船体で──はえ?


「……え? まじか、まじか! ちょ、待て待て待て! うおぁああああ!」


 未曾有。それは未曾有と言うほかない。


 この時を待っていた‼ どれほど望んだことだろうか‼ 船である‼ 

 十年間、誰もやってこなったブラックカース島についに船が来たのだ‼


 幻か、夢か、はたまた死に際の妄想か。


 何度、目をこすっても、俺の眼は港に接近する船影を失うことはなかった。これは現実だ。この島にリアルに、本物の船はやってきたのだ。


 まるで期待していなかった。だってそうだろう。十年だぞ。だれも来なかった。ただ惰性で眺めるだけになっていた朝の港に、どうして船がやってくるだなんて思える。


 短剣を研いで、のびきった髭を剃って、多少なりとも身なりを整えた。

 クソきたねえおっさんめ、悪りぃけど、汚ねえから船には乗せらんねえ──的な展開になったら優しさに定評がある俺も、何をするかわからない。命の恩人を斬り殺して船を奪うことになってしまうだろう。食べる以外に殺生はしない主義ゆえ、人はなるべく斬りたくない。


「助けてくれえ‼ ここに島に取り残された可哀想な美少女がいるんだ‼」


 船が停泊するまで油断はできないので、少しでも魅力的な情報をふっかける。すぐバレる嘘だろうといいのだ。あの船に飛び乗ることさえできればそれでいい。


 心臓をバクバクさせ、埠頭でぴょんぴょん跳ねてアピールする。

 一応、プランBを遂行するための愛刀も携帯している。いや、もちろん積極的に使うつもりはないのだが、念のためな。


 帆船がずいーっと港に近づいてくる。遠目に見た通り、マストが2本の軽量級の帆船。船体は赤茶けた色合いで温かみがある。慈悲深い人間が乗っていると期待できるのではないだろうか。


 おや、船から身を乗りだし、だれかが手を振ってくる。


 俺はぼんやり眺めながら、おおきく手を振りかえす。ここだ。ここにいるぞ‼

 手を振っていた人影が手すりに足をかけた。そして蹴って跳躍した。なんだと。

 俺はギョッとし、空を舞う影を唖然として見つめ、目前に着地した影から一歩遠ざかり、腰の刀に手を伸ばしかけた。


 なんだなんだ。なんだ、やるのか? やるのか⁉ 

 

 警戒心を解かず。されど向こうは俺のことをまじまじと見つめてくる。足の先から、頭のてっぺんまで、品定めするかのように、あるいは何かを確かめるかのように。


「間違いない……うぅ、オウル先生、オウル先生だ! やっぱり生きてたんですね……っ」


 その少女は赤い髪をしていた。モフモフの耳を頭からはやし、モフモフの尻尾も備えていた。腰には幅広な両刃剣。しゃがんだ姿勢からすでに鋭い剣気を感じる。高度に鍛錬を積んでいる剣士だ。油断がない。俺が無意識に武器に手を伸ばしたのは、目の前の少女が実力者だからか。


 ん、待てよ、この赤毛、モフモフした耳と尻尾、見覚えがあるぞ。

 あの時の光景が想起する。島を離れる最後の船。その舷側から手をふる赤毛の子狐。まさか、そんな、この子はあの時、俺を助けると約束した──、


「……ラトリスなのか?」

「ふふ、先生、覚えてくれてましたかっ‼」


 少女は驚いたように目を丸くし、耳をピンとたてた。尻尾は嬉しそうに激しく振り回される。


 そうだ。間違いない。かつて道場に通っていた俺の弟子、狐人族の少女。

 名をラトリス。俺によく懐き、俺のことを島から救出すると言ってくれた希望。

 もう十年も会っていなかった。一瞬だれだかわからなかったけど、よく考えればこの恐るべきモフモフ具合はラトリス以外にはありえない。

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