第2話 呪われた島の日常

 十年前も話だ。

 あの時、ブラックカース島は未曾有の危機に襲われたのだ。

 怪物たちが凶暴化し、瘴気があふれだし、この島は人が住める環境ではなくなった。島民は寄港していた商船に乗りこみ、ほとんどが避難することになった。船は沈みそうなほどの人を乗せて出港した。その結果、誰もいなくなった。


 なぜ俺だけが残っているのか。

 時折、俺自身も忘れてしまう。


 ──あの時、島民の避難はスムーズにはいかなかった。


 それは商人たちが島民の乗船を渋ったせいである。「こんな人数乗せられるか‼」「無理だ、沈む、食料も水も足らん‼」。彼らにも言い分はあったのだろう。意地悪だったわけじゃあない。でも、だからと言って「わかった、怪物に喰われます」と島民たちも譲るわけにはいかない。


 俺たちが島をでるためには商船団の船にどうしたって乗せてもらわないといけなかった。


 怪物の群れがそこまで迫っていた。

 争っている時間さえ惜しかった。


 誰かが怪物どもを喰いとめるため、時間を稼がないといけなかった。

島で怪物と戦える存在は限られており、それが俺だったというわけだ。

避難する船を無事に出港させるため、俺は埠頭に残り、迫りくる怪物たちを足止めして時間を稼いだ。そして最後の時、船は無事に出港した。


 あの時の光景をよく覚えている。最後の船がブラックカース島から遠ざかるのを、俺は茫然と見つめていた。怪物群れの遺骸の真ん中で。返り血で汚れきった顔をぬぐいながら。


「オウル先生! 必ず、必ず戻ってきます‼ 必ず助けにもどってきます‼ 必ずです、だから戻ってきた時には、わたしを必ずや一番弟子に────」


 瞼を閉じれば、赤毛の少女の姿が浮かぶ。弟子のひとりだ。俺によく懐いていた獣人の子だ。よく悪さをする手のかかるあの子狐は、俺をこの島から助けだすと約束をしてくれた。


 あれから十年が経った。

 約束はまだ果たされずにいる。


 最初の数か月は希望だけを胸にサバイバル生活を送れた。まず飲み水を確保するため、井戸が生きているかを確かめ、瘴気で毒されたことがわかったあとは、雨水をためるために装置をこしらせた。街に残っている酒をかき集めて……まぁ、精力的に生存しようと励んだものだ。


 いまはわからない。生存願望はあの頃に比べて希薄になったように思う。寝ている間に怪物に食べられてしまったのなら、まぁ、それも運命なのだろうと受け入れるくらいには寛容になっている。


 もちろん、希望を捨てきってはいないと思うけど。

 じゃないともう死んでいるはずだ。


 あの子を恨んでいるわけじゃない。

 助けにこないからって逆ギレはしない。


 娘をもつ父親が「将来はパパと結婚する」と黄色い声でいわれて、それをマジにすることはない。それと同じだ。


 俺を助けだす。

 そう言ってくれただけで嬉しい。

 それでまったくいいのだ。


 鏡のまえに立つ。

 覇気のないおっさんが映しだされた。

 目を背けたくなる事態だ。


 俺ももう若くない。

 変わらぬ日々が過ぎるなかで、確実に歳をとっている。


「時とはなんて残酷なのだ。かつての美青年がこんなに……」


 俺は両手で頬を挟みこむように押さえた。

 待ち受ける更なる老化に震えが止まらない。


「はぁ、このままこんな辺鄙な島で生涯を終えることになるのか」


 ため息をひとつつき、水瓶に残っている冷たい水をすくって、顔をパシャパシャと洗う。


 荒れ果てた道場におりてきた。

 実家の1階部分だ。まだ島に人がいた頃、ここで義父とともに教え子を指導していた。あの頃は賑やかだった。


 島での過ごし方はいろいろだ。朝練と昼錬、夜錬。道場が営業していた頃と変わらず、俺はここで剣をふることがおおい。


 何の意味もないことだとわかっている。

 荒れ果てた道場に新しい門弟がくることはない。

 今更、俺の剣技が上達するわけでもない。俺には才能がないのだから。


 道場の外には仕事がたくさんある。例えば、食料を森や海に獲りにいくことだったり、雨水集積装置を見に行ったり、怪物たちが街にこないために設置したバリケードを点検しにいったりな。この島には俺以外いないため、すべてを自分の力だけでおこなう。


 もっとも数日前に食料調達はしたので今日の仕事はほとんどない。水もあるしな。


 ゆえに暇だ。

 やることもないので。俺は刀を手に取る。

 若い頃からずっと使っているものだ。20年は使っているだろうか。


 何度も研ぎ直し、薄くなった刃の重みに、くたびれた己の身体を重ねる。

 俺たちはよく似ている。この刃が研がれるように、俺も希薄になっていく。

 刀の重さを確かめ、全身を連動させてゆっくり振りおろす。さぁ朝練の時間だ。


 修めた剣術のひとつひとつを確認していく。

 怪物どもから身を守るためにも剣術を衰えさせることはしない。

 この剣術は俺をここまで生かした。だが、本当に救ってくれているのかはわからない。


 なぜなら今の俺にとっては、怪物の牙と爪よりも、生き永らえた先にある孤独と絶望のほうがずっと恐ろしいと思えるからだ。


「はぁ……、はぁ、あぁあ! はぁ、はぁ」


 外が真っ暗になるまで剣を振りまわし、俺は疲労から崩れ落ちた。

 冷たい夜の空気を吸いこみ、道場の天井を見上げる。


「……いかんな、ネガティブなことを考えるべきじゃない。希望はある。いつだって」


 俺は起き上がり、本日の鍛錬を終えることにした。

 水を注ぎこむように飲み、夕食にする。メニューは昨晩焼いたパンとベーコンと目玉焼き。ちなみにこの目玉焼きは怪物の卵だ。定期的にニワトリの巣を見に行って盗んでくるのだ。島で手に入る食料のうち、五本の指に入る美味さである。


「また1日生き延びちゃったかぁ」


 浜辺で火をおこし、流木に腰かけて、夜空を見上げる。

 パンで皿についた黄身を拭いて口に放りこむ。

 聞こえるのは波の音と薪が爆ぜる音ばかり。


 無意味な命を繋ぎながら、やがて俺は老いて死ぬのだろう。

 悲観に包まれる夜、寝る前に机にむかう。紙面にペンを走らせる。

 いつかこの島に誰かがたどり着いた日のため、俺は日記を書き残す。


 俺の名はオウル・アイボリー。

 ブラックカース島の最後の島民だ。

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