第一章

(1)異世界での邂逅


「ん、んん…………」



 照りつける太陽の熱と、地面のひんやりとした感触に挟まれながら、裁切さばきりシュウマは意識を取り戻す。

 両側には、無数の木々。彼は、どことも知れぬ山道のど真ん中で倒れていた。


 

「ここは……というか俺、確かゲートで…………ぁ痛っっったあ!?」



 立ち上がろうとした瞬間、シュウマの右腕に凄まじい激痛が走った。

 すぐさま腕を押さえる。が、特に出血しているとか、骨が折れているとか、そんな感触はない。ただ、右手の指先を思うように動かせない感覚が、彼に不安を与えた。

 シュウマは、恐る恐る制服のそでまくって、右腕の状態を確認する。



「うわぁエグ……完っ全にやられてる……」



 なんと彼の腕は、まるで腐った木の幹みたいに紫色へと変色し、壊死えししてしまっていたのだ。


 上腕二頭筋のちょうど真ん中辺りから下の感覚がなくなっている。もはや、腕を上げたり指を曲げたりすることさえできない。無理やり動かそうとすると、さっきみたいに激痛が走る。



「嘘だろ……もしかして俺、このまま一生右手使えないまま生活……?」



 絶望、の二文字が頭をよぎる。命があるだけまだマシではあるが、それでも、片腕一本を失うというのは、異世界転移の代償としては大きすぎる。ご飯を食べるのも、文字を書くのも右手でやってきた彼にとってそれは、巨大すぎるハンディキャップだった。

 


「管理局に行って診てもらえば、ワンチャン治るかな……いやでも、半身不随のケースって確か、後遺症が残ったって言われてたし……はぁ、どうすんだよマジで……」



 入学早々、こんなトラブルにさいなまれるなんて……と、シュウマはため息をつく。とにかく、管理局にこのことを相談しなければならない。



「……っていうか、ここどこだよ!? 入学式の会場ってどっち───」



 その時、ビュオン! と音がして、シュウマの頭上を巨大な影が通り過ぎていった。


 え……と、風圧を感じて空を見上げるシュウマ。その先に広がっていた光景に、彼は瞳を大きくする。



「嘘……あれ、ドラゴン!? え、本物!?」



 空を飛んでいた謎の影の正体は、ドラゴン。

 ……より正確に言うならば、前肢まえあしが翼と一体化している竜種『ワイバーン』だった。


 当然のことながら、シュウマが元々住んでいた世界の空では、ドラゴンやワイバーンが当たり前のように飛んでいる光景などあり得ない。

 それが、カラスやハトなどのように、二、三体で群れをなして飛んでいる。



「マジか……俺、本当に来たんだ! 異世界に……っ!」



 五年も前から憧れていた、異世界。その象徴たる幻獣げんじゅうが今、目の前を飛んでいる。夢でも、幻でもない。

 それは、自分が間違いなく『コーファライゾ学園国』に降り立ったのだという、何よりの証明だった。


 あまりの感動と興奮に、シュウマはしばらくの間、腕の痛みのことさえ忘れてしまっていた。



 ところが、



 ───ドシャアアアアアアア!!!!!



「っ!?」



 地割れのような物凄い音と揺れによって、シュウマの目は覚まさせられる。

 音のした方を振り向く間もなく、辺りは土煙に覆われた。ゲホッ、ゲホッ! と、左手で鼻口を覆いながらよろめくシュウマ。それでも、なんとか音の原因を探ろうと、前へ出る。



 そしてその先で、たくさんの木を巻き込みながら倒れ伏す、大きなワイバーンの姿を発見した。



「お、おい! どうしたんだよオマエ!」



 慌てて駆け寄るシュウマ。

 どこかでケガしたのか、あるいは、他の幻獣と争っていたのか……。どちらにせよ、目の前で人や動物が(たとえワイバーンでも)傷ついているのを見たら、放っておけない。

 彼はそういう人間だった。



 しかし、倒れたワイバーンの頭上から人影が現れ出るのを見て、シュウマは歩みを止めてしまう。




「……意外に手こずったな。 ひとまず、血は採取しておくか」



 シュウマと同じ制服に身を包んだ、同い年ぐらいの青年だった。ツンと逆立った黒髪が、片目を隠すように揺れている。細マッチョなシルエットで、体格はシュウマと同じながら、筋肉量は彼が若干勝っているように見えた。


 しかし、決定的に違うのは、彼が肩にドデカい剣を担いでいること。およそ一メートルはある灰色の大剣は、歴戦の傷を各所に残しつつも、ギラリと輝きを放っている。

 まるで格ゲーのキャラクターみたいな出で立ちの青年はヒョイと飛び降りると、ワイバーンの方へと向き直る。

 

 まさか……と、シュウマが嫌な予感を察知した次の瞬間。青年は、両手で握った剣を天高く掲げ、ワイバーンにとどめの一撃を与えようとしたのだ。



「ちょっ! ちょいちょいちょいちょい待った!!! 何してんだよアンタ!!」



 シュウマは、慌てて青年とワイバーンの間に割って入った。振り下ろされかけていた剣が、シュウマの眼前でピタッと止まる。青年は、突然の出来事に驚いた表情を浮かべた。



「なんだお前……新入生か? ……こんな所で何してる?」



「そりゃこっちのセリフだわ! お前、そこのドラゴン殺そうとしただろ? 何考えてんだよ!」



 シュウマのクレームに、青年は呆れのため息をつく。



「……モンスター退治に決まってるだろ。 人間の生活に害をなすモンスターを討伐して何が悪い。 ……後、コイツはワイバーンだ」



 さぞ当たり前のように言う青年だったが、シュウマは引き下がらなかった。



「アンタ、コーファライゾの人間だよな!? だったら、『幻獣を勝手に傷つけてはならない』って、学園国規則の第十一条で定められてるのも知ってるはずだ!

 それに、森はドラ……ワイバーンの住み処なんだから、こんな所まで来てわざわざ討伐とかおかしいだろ!」



 ピク、と青年の眉が動く。どうやら、シュウマがここまで事情通であることを想定していなかったらしい。が、彼はそれでも落ち着きを崩さずに言う。



「学園国規則では、『風紀委員ポリスソルジャー』や『生徒会キャビネット』、および生徒会の許可を得た部活動によるモンスターの狩猟は許可されている。 俺は許可を得てコイツを倒しただけだ」



「あぁそうかよ。 でも、アンタの腕には風紀委員ポリスソルジャーの腕章も生徒会キャビネットの腕章もない! もし認可を得てる、ってんなら、その許可証を出してみろ! 今! ここで!」



「…………チッ」



 その時、初めて青年が表情を変えた。クールな無表情から一転、格闘家のような怖い形相ぎょうそうで睨まれ、シュウマは一瞬ひるむ。



「ったく……入学式はみんな大講堂に集まるから、こんな森には誰も近づかないと思っていたんだが……」



「いや、俺だっていきなりこんな所に飛ばされたから、何がなんだか分から……いや、おいちょっと待って。 何で剣構えてるの? 何でそれこっち向けんの? ねぇ? ちょい?」



「お前、現代から転移してきた新入生だよな? ……なら、転移時の事故ってことで、一人か二人入学生が減ってても、誰も気にしない訳だ」



「気にする気にする! 絶対後でなんか問題になるって! だからま、待って! 一旦話聞いて!」



 左手をブンブンと振って抗議するシュウマだが、青年はお構い無し。人が受け止めようとすれば明らかに死ぬであろう大剣を振りかざし、そして、



 ドゴオオオオオォォォォォ!!!!!



「うおおおぉぉい!!?」



 問答無用で、地面を叩き割る。シュウマがけるタイミングが一秒でも遅れていれば、間違いなく殺されていた。



「あっぶなぁ……!? あ、アンタ正気かよ!? 本気でろうとしたろ今!?」



「本気だ。 だから、お前も本気でけろよ……ッ!」



 すかさず剣を振りかざし、青年はシュウマへと迫る。一方、丸腰のシュウマは必死で逃げるしかない。

 ズゴォン! ドゴォン! と、土煙と共に地面が抉られる音を背中で聞きながら、シュウマは四方八方をウロチョロと走り回っていた。右腕を振れないせいで、いつものように真っ直ぐ走れない。加えて、助けを求めようにも、管理局はおろか、ここがどこなのかさえ分からない状況だ。



「はぁっ、はぁっ……何なんだよ一体!? 何で入学早々こんな目に遭わなくちゃなんねぇんだよバカヤロー!」



「黙れ! 不登校組レジスタンスの理念のもと、お前はここで排除する……!」



「はぁ……っ! れじっ、レジスタンスって何……っ! 何なんだよっ! もぉっ……!」




 もう既にヘトヘトのシュウマ。このまま、地獄のような逃走劇が続くのか……はたまた、よく分からないまま見知らぬバーサーカーに殺されるのか。

 そう、シュウマが絶望しかけていた時、




「───見つけた! あそこっ!」



 

 不意に、遠くの方からビュオン! という音が響いた。

 シュウマが空を見上げると、なんと五匹ほどのワイバーンの群れが、猛スピードでこちらへ向かってきていた。しかも、その背中にはそれぞれ人が乗っている。



「あれは……」



「クソッ……生徒会キャビネットか」



 その姿は、まさに”龍使いドラゴンライダー”。空を切る五匹のワイバーンたちは、ものの数秒でシュウマの目の前まで到達した。



「良かった……あなたが最後の新入生だよね? 大丈夫? 怪我はない?」



 ワイバーン隊の先頭にいた人物が、シュウマに声をかける。日の光がちょうど重なって、シュウマにはハッキリと見えなかったが、そのシルエットや髪の長さ、声の高さから、それが女性であることは分かった。


 ……いや、それよりも前に、シュウマは第六感で感じ取っていたのかもしれない。



 颯爽さっそうと現れたその少女。

 それが……



「……アケ、ヒ?」





 五年前に生き別れた幼なじみ、


 

 ───照姫てるひめアケヒであるということを。


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