虎和の夢

 夢の境界を越えて虎和の夢の中に入った三人だったが、そこに広がっていた風景は意外な物だった。


「これは……ここまで穏やかな夢は僕も初めて見ます」


 今まで何人もの人間に夢を見させてきた望晴も、その光景は初めて見る物だった。

 眼前に広がるはのどかな海。暖かな日に照らされ、優しく輝く砂浜。そして海からそう遠くない場所に、木造の一軒家がぽつんと建っていた。それだけだ。


「僕の夢はその人が心の奥で最も望んでいる物を映し出す。だから大抵の人は欲望で溢れたきらびやかな夢を見るのですが、ここまで穏やかな望みを持つ人がいるなんて……」


「成程、これが虎和の心の内、という訳か。……虎和はこんな平和を望んでおったんじゃな。今まで全く気付かんかった」


 虎和の夢は、「平和」という言葉をそのまま具現化したかのような物だった。桜も仙明も、普段の虎和からは想像もつかない情景だと思っていた。


「でも、考えてみれば当然かもしれませんね。虎和さんはいつも誰かの為に妖魔と戦って、時に『穢れた侍』だと罵られて、それでも戦い続けて。私だったら、そんな事続けてたら壊れちゃいますよ。だからよく考えてみたら、虎和さんがこういう穏やかな平和を望むのも納得できるなーって」


「……それもそうじゃな。夢から醒めたら、思う存分儂の尻尾を触らせてやるとしよう。その為にも今は、虎和を探さねばな」


 三人は虎和の捜索を始めた。とは言っても、桜や仙明の夢と違いそこまで広くないので、すぐに見つかりそうだった。そもそも砂浜を見渡して姿が見えない以上、虎和が家にいるのは確実だろう。


「虎和さん、いますか———」


「桜よ、待つのじゃ。虎和以外に誰かおる」


 家の扉を開けようとした桜を仙明が止める。半妖の彼が持つ優れた聴覚で何かを聞き取ったようだ。


「じゃがこの声、もしかして……? とりあえず様子見じゃ」


 仙明はちょっとだけ扉を開けて中の様子を見る。家の中は簡素な作りになっていて、海が見える窓の方を向いて二人が座っているのが確認できた。一人は虎和、そしてもう一人は……。


「俺さ、ずっとこういうのを望んでたんだよね。戦いの無いのどかな場所で、大切な人と静かに平和に暮らす。目が覚めたらそんな場所にいて、しかも母上までいるなんてびっくりしたよ。……多分これは夢なんだろうな。もしかしたら今俺は化かされてて、妖魔に喰われそうになってるのかもしれない。……でも、こんなに幸せな場所にいられるなら、それも悪くは無いかな」


「仙明さん、虎和さんの隣に座ってる女の人は誰?」


「……間違いない、梅さんじゃ。虎和の母親じゃ。虎和、そんなに母親を大事にしとったんじゃな……」


 表情は見えないが、虎和がこの上ない幸せの渦中にいる事は声だけで伝わって来た。だが、梅の方はそうではなかった。


「そっか。虎和は、この幸せの中にいるなら喰われても良いのね。……だったら、私に喰われても文句はねェよな!?」


 穏やかだった梅の声は急変し、その形は醜い獣の姿となった。獏が梅に化けていたのだ。


「虎和さん危ない!」


 桜が叫ぶが、虎和の反応はかなり遅れていた。


「いただきまァす!」


「させんぞ!」


 獏が虎和にかぶりつこうとする寸前、仙明が獏に飛び蹴りを決めて何とか難を逃れた。


「虎和よ、無事か⁉」


「仙明さん? ……あぁそうか、俺はやっぱり夢を見てたんですね。……これが現実だったら良かったな」


「そう、ここは夢の中じゃ。そしてあの妖魔は獏。夢の中で獏に喰われたら廃人になってしまうんじゃ! しっかりしろ虎和! 幸せな夢を見続けたい気持ちは分かる。じゃが、人は現実と向き合わなくてはならないんじゃ! 思い出せ、お主のやるべき事は何じゃ!?」


 夢を引きずる虎和に、仙明が喝を入れる。夢への憧れを断ち切れるのは、師匠の言葉だけだ。


「……そうだ、俺は桜様を、保馬藩の人達を守らなくちゃいけない。確かに、戦いから逃げたくなる時もありますよ。……でも、やっぱり逃げるのはもう少し後にします」


「よく言った。それでこそ儂の弟子じゃ」


「おいお前ら……飯の邪魔をするんじゃあない! もう限界だ! お前ら全員喰い殺す!」


 激昂し、巨大化する獏。桜と望晴を守るように、虎和と仙明が前に出た。


「虎和よ、夢から醒めたら好きなだけ儂の尻尾を触らせてやる。だから絶対生き延びるんじゃぞ」


「尻尾とか関係なしに生き延びますよ。夢が現実になるまでは死ねないんで」

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