桜の夢

 人々のざわめきで、桜は目を覚ました。

 辺りを見渡すが、虎和と仙明の姿は見当たらない。代わりに周囲には大勢の人がいた。


「え……? ここは、どこ……?」


 さっきまで三人で町を歩いていたはずだ。そもそもさっきは昼だったのに、今は夜になっている。色々とおかしな所はあったが、目の前にはそれ以上に桜を惹きつける物があった。


「これ……もしかしてお祭り!?」


 晴れやかな着物を身にまとう人々。街道にずらりと並んだ屋台たち。歓喜する人々の声が絶えず響き渡り、遠くから楽器を演奏する音も聞こえてくる。

 これは保馬藩の夏の風物詩、保馬祭の風景だ。桜はずっとこの祭りに参加したかったが、万が一の危険を恐れた父・剛山に止められていたのだ。


「そういえば、今年の保馬祭の時期も近かったっけ。……それより、本物の祭りだー!」


 今まで一度も祭りに行ったことが無い桜は興奮を抑えきれず、一人で群衆の中に突っ込んでいった。


「そこのお嬢さん、射的でもやるかい?」


「はい! やりたいです!」


 江戸時代の射的は現代とは違い、弓矢を用いて的を射る物だ。屋台のおじさんから弓矢を受け取った桜は、それを構えて的を見据える。


「当たったらお面あげるから、頑張ってな!」


「はい、行きますッ!」


 桜は矢を射るが、全く見当はずれの方向へ飛んで行ってしまった。残りの二本も、的にかすりすらしなかった。


「うぅ……一つも当たらなかった」


「ありゃりゃ……残念だったねお嬢さん。また次頑張って!」


 普段矢を飛ばしたりして戦っている虎和なら上手くやれたのかな、と考えながら桜は次の屋台へと移動した。


「はいよはいよ! 競い事の時間だよ! 今回出走するのはウナギにフナ、アユの三匹! 好きな魚に賭けてね~!」


 祭りにおいては、魚同士の競い事が行われる事もある。いわば祭りの日限定の合法的な賭博である。


「へぇ~、祭りってこんなのもあるんだ。とりあえず私はフナに賭けようかな」


 全員が賭け終わり、三匹の決死の戦いが始まった。


「さぁまずはウナギが先頭を行く! その後をフナとアユが追いかけるがおーッとォ! ここで一気にアユが追い上げてきた! そして決着ゥゥーーーッ! 勝ったのはアユでした!」


 負けこそしたものの、屋台の人の実況が面白かったので桜は満足していた。


「……それにしても、何で目覚めたらいきなり祭りの日になってたんだろう。そんなに長い間寝てたのかな? ……というか私達、気を失う直前何してたっけ?」


 三人で町の中を歩いて、気を失う直前の記憶に靄がかかったかのように思い出せない。でも今は目の前の祭りを楽しむ事の方が重要なので、そのうち桜は考えるのをやめた。


「そこのお嬢ちゃん、人形はいかが?」


 屋台を楽しみながら桜が歩いていると、人形屋の女に声をかけられた。その店はお手製の日本人形を売っている店のようだった。


「わぁ、可愛いお人形ですね」


「そうだろう? 私が作ったんだよ」


「このお人形、特に可愛い! これ買います! お値段は?」


「お値段ねェ……ヒッヒッヒ」


 そこまでは、ごく普通のやり取りだった。だがその瞬間、店主の気配が一気に変わった。


「お値段は……アンタの命で手を打とうかねェ!」


 店主がそう言った瞬間、彼女の姿が豹変した。

 長い鼻を持ち、鋭い牙を口内に光らせた四足の獣。その体から発せられる黒と白の煙は炎のように揺らいでいる。

 間違いない、妖魔だ。


「え……きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 すぐに危険を察知した桜は、叫び声を上げながら逃走する。だが桜がこれほど騒いでいるにも関わらず、周囲の人々は全く無反応だった。まるで桜が見えていないかのように。


「なんで妖魔がこんな所に!? 妖魔でも人に化けるのは相当難しいって虎和さん言ってたのに……!」


「さぁ……アンタの魂をよこしな! どうせここにいる限りアンタに逃げ場は無いのさ!」


 逃げる。ただ必死に逃げる。何がどうなっているのか桜にはさっぱり分からなかった。

 必死に走り回っていると突然、何者かに腕を掴まれた。そしてそのまま屋台の影へと引きずり込まれる。


「あァ……? あの女どこ行った?」


 妖魔は桜を見失ったようで、異形の姿のままどこかへと消えていった。


「は、はぁ……助かった。あの、助けてくれてありがとうございます」


 桜を助けたのは、小柄で瘦せこけた少年だった。かなりボロボロの服を着ており、この祭りの雰囲気には似つかわしくないように思える。

 少年は桜の礼を聞くと、申し訳なさそうに視線を逸らした。


「……どうしたの? 具合でも悪い?」


「……いや、お礼なんて、僕にしてもらう権利無いです。……だって、あなたにこの夢を見せているのは僕なんですから」


 少年の言ったことが信じられず、桜は己の頬をつまんでみた。ちゃんと痛い。


「……ちゃんと痛いし現実じゃないの?」


「夢の中でも痛覚はあるんです。それよりも今は、この状況を何とかしないと。あの……勝手に夢の中に引き入れておいて勝手なお願いだという事は分かってるんですが、あの妖魔を……『ばく』を、倒してくれませんか⁉」


 少年は土下座して、桜に懇願した。

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