師弟

 ひとまず虎和と桜は、仙明を保馬城へと招いた。虎和の師匠であるというのも本当のようだし、危険は無いと見て間違いないだろう。

 部屋に入り、虎和がお茶を淹れる。その間、桜は仙明を興味深そうに見つめていた。


「ん、どうしたのじゃ小娘よ。儂がそんなに気になるかの?」


「あーいや、その毛、すっごく気持ちよさそうだなーって。……触らせてもらって良いですか?」


「勿論勿論。好きに触ってもらってかまわんぞ」


「それじゃ、失礼します~」


 桜が仙明の尻尾に触れた途端、その表情は完全にとろけた。毛から伝わる丁度良い温かさ、フサフサモフモフとした感触、最高にたまらない。下手すれば桜の「和」の異能よりも癒し効果があるかもしれない。


「相変わらず気持ちよさそうな尻尾してますね、仙明さん」


「あぁ。儂も歳を取ったが、まだまだこの毛の感触はそこらの若狐には負けんよ!」


 虎和から出された茶を受け取り、仙明は一口飲んだ。そして「相変わらずの美味さじゃな!」と笑ってみせた。


「ところで、師弟といっても、どうして二人はそういう関係になったんですか?」


 尻尾に顔を擦りつけながら桜が問う。


「そうじゃな。まずはそれを話さんといかんか。あれは確か二十年前じゃったかのぅ」


「いやいや、俺がまだ五つの時だから十八年前ですよ。その間にボケちゃったんですか?」


「御年147歳、まだまだ現役じゃ! ……まぁそうじゃな、十八年前に儂は虎和と彼の母親と出会ったんじゃ」


 虎和と仙明は、過去を懐かしむように語り始めた。


「そうそう。父上が早くに死んじまって、俺の『血』の異能が発覚したせいで『穢れた侍』と呼ばれるようになって、町には俺と母上の居場所は無くなってしまった。それでこの前まで俺が住んでた家のある山奥に越して、その時に出会ったのが仙明さんだったんだ」


 家臣になってから虎和は城で寝泊まりするようになっていた。あの山奥の家には今は誰も住んでいない。


「あの時の虎和は可愛かったの。いつも母親の側にくっついて離れなかった。まぁそれほど、あの人は良い人だったんじゃよ。名を梅と言ったんじゃが、こんな見た目の儂にも優しくしてくれて。町を追い出されて路頭に迷っていた所を助けてくれたんじゃ。それから儂と虎和、梅さんの三人で暮らしとったんじゃな」


 楽しそうに過去を語る仙明だったが、突然声の調子が落ちた。


「……じゃが、突然現れた妖魔に梅さんは殺されてしまった。儂は丁度その時、魚を獲りに行っていていなかった。急いで駆けつけたんじゃが、遅かった。助けられたのは虎和だけじゃった。虎和が変わったのはその時からじゃな。儂に戦い方を教えるように迫って来て、毎日毎日修行を重ねるようになったんじゃ。虎和が十三になるまで修行を続けて、その後儂は日本一周の旅に出た。そして今しがた、この保馬藩に帰って来たという事じゃな」


「虎和さんにそんな過去があったんですね……。お二人の関係はよく分かりました。お二人とも親子みたいな付き合いって事ですね!」


「まぁあながち間違ってはいないですかね。……というか桜様、いつまでそのままでおらっしゃるのですか?」


 桜は未だに、仙明の尻尾にくるまっていた。


「良いのじゃ良いのじゃ。これ位よくある事じゃからの」


「いやそうじゃなくて、そこまで気持ちよさそうにされると俺もやりたくなるというか……」


「なぁに虎和、そういう事なら遠慮する事は無いぞ。昔みたいにすると良い。さぁほら!」


 遠慮がちな虎和を、仙明は強引に引き寄せた。そして自らの尻尾に放り込む。

 瞬間、虎和の顔を受け止めたのは、ほのかな温かさを孕む尻尾だった。鼻に流れ込む太陽の匂いに、虎和の理性は崩壊した。


「気持ちいぃ~」


「ハッハッハ、この感じ懐かしいのぅ! 戻って来て良かったわい!」


 理性を無くした二人を尻尾に置きながら、仙明は豪快に笑い声を上げた。この空間は間違いないく、今保馬藩の中で最も平和な場所だろう。


 ~~~


 城下町。

 物陰に男が一人、座り込んでいた。その手には竹筒を持っている。


綱兵こうへい。次の食事はまだなのか? 我は散々お前に富をもたらしてやったというのに、お前は我にろくな食事を与えん。もう普通の人間は喰い飽きたぞ。良質な肉……女子供だ。さっさと用意しろ。できないならお前の娘を喰ってやる』


 その声は、竹筒の中から聞こえてきた。筒の中に潜む鋭い目が、男を睨みつけた。


「待ってくれ、待ってくれ! 娘よりももっと良い人間がいる! だから娘だけは喰わないでくれ!」


『ほう……? それは誰だ。言ってみろ』


「桜だ。藩主の娘、藍染桜。城に仕える侍が文句を言ってるのを聞いた。『どうして番所に行っちまうかな。もっと自分が特異体質で危険だって事を分かってくれよ……』ってな! 桜はきっと、妖魔を強くする血の持ち主なんだ。千人、いや一万人に一人の人間だ! 俺の娘よりもそっちのが良いに決まってるだろ!?」


 焦る男の言葉を聞いて、竹筒の中の存在は嬉しそうな声で返答した。


『ふーん……良いじゃねぇか。そんな稀な人間を喰えたなら、一年はタダで働いてやって良い。だからさっさと喰わせるんだな』


「あぁ勿論。今すぐにでも桜を———」


「おいお前、そこで何してる? しかも今、桜様の名を呼んだな? 怪しい奴め、役所まで来てもらおうか」


 そこまで話した所で、男は侍に見つかった。侍は刀に手を掛け、臨戦態勢に入っている。


「……聞かれちまったら仕方ねぇ。普通の人間だが食事だ、喰ってよいぞ」


 男がそれだけ言うと、竹筒の中から何かが勢いよく飛び出した。それは目にもとまらぬ速度で侍の喉仏を食いちぎった。


「なっ……!?」


「チッ、やはり普通の人間の味はこの程度か。不味くは無いが飽きた物だな」


 即死した侍の死体を食い漁りながら、それは呟いた。


「……待て、人の気配を感じる。やっぱり白昼堂々殺ったのは間違いだったか……! 退くぞ! 死体は置いてけ!」


「我の食事を邪魔しおって……。その桜とやらが喰えなかったら、お前の一族全員我の食事だからな!」


 その存在は再び竹筒の中に戻った。男はすぐさま立ち去り、そこには死体だけが残った。


「藍染桜……悪いが、お前には食事になってもらう」

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