第54話 グリュンヒューゲル帝国

 周囲には巣が焦げた匂いが充満し始める。

 蜂の巣に魔術が打ち込まれ、徐々に形が歪になっていく。


「崩してしまった方が早いか?」

「ゲオルク、魔法を変えよう。このままでも燃え続ける」

「分かった」


 巣に物理的な威力のある攻撃を加える。

 巣は重さに構造が耐えられなくなったのか、ミシミシと嫌な音を立て始めた。距離を取りたいが、周囲には蜂が多く難しい。それでもなんとか距離を取ろうと蜂を倒しながら移動する。


 距離を多少取れたと思ったところで、巣からメキメキ、バキバキと音がして、一気に崩れていく。壊れた巣の破片や、火の粉が飛んでくる。

 身を守りながら、完全に崩れるのを待つ。

 嵐のような状態が終わると、潰れた蜂の巣が山になっている。


「後は蜂を倒し前に進むだけ」


 追加の蜂が来ないのなら、戦い続ければ数は減っていく。

 魔法、魔術、銃が四方に使われ、蜂の包囲網が薄くなる。蜂を倒し切れば多少は休憩できるかと思っていたが、別の蟲が姿を現し始めた。

 嘘だろ!?


「こんなに早く寄ってくるのか!? 蜂の縄張りが狭すぎる」

「ゲオルク、蜂の巣を燃やしたせいかもしれません」

「火によってきたか!」


 壊すことばかり考えていて、そこまで考えていなかった。クソ、失敗した!


——前進!


 誰の叫びかはわからないが、隊列が再び進み始める。

 燃え続ける巣があるこの場に居続けるわけにはいかない。しかし、この先に休める場所があるか……。戦っている間にいつの間にか昼を回り、普段なら休むべき場所を探すために蟻の巣を駆除している時間だ。


 今は進むしかないが、怪我人の様子もわかっていない。解毒剤は各自持っているため、すでに飲んでいるとは思うが、効果が出るまで時間がかかる。

 今までで一番と言っていいほど絶望的な状態。


「アンナ、怪我人を内側に配置して手当てをしたい。重症者はオレとヴェリが魔法を使うが、軽傷は休憩ができるまでそのまま耐えてもらうしかない」

「すぐに指示を」


 魔法で治療すればどれほど軽症でも気絶してしまう。移動中に気絶すれば当然馬に乗っていられない。そうなると、誰かが気絶したものを落とさなように運ぶ必要がある。

 最悪馬は諦めるとしても、機動力が落ちてしまう。


「ゲオルク、重症だと一目で分かる人数は少ないようですが、針が刺さったままの者は三十人以上いるようです」

「軽症ならいいが、人数が多すぎる」


 集まってきた怪我人をオレとヴェリが確認していく。

 毒針には返しがついており、下手に抜くと肉を削る凶悪な姿をしているのがわかった。貫通していれば返のついた部分を切って抜けばいいが、先端だけ刺さっている場合が一番厄介だった。

 本来なら落ち着いた場所までは硬く縛って止血するのが良さそうだが、針に毒がある。針が刺さったまま放置すれば毒を受け続ける。


「ヴェリ、こっちは十一人に魔法を使わないと針が抜けそうにない。そっちは?」

「九人に使わないとまずいよ」

「二十人は多いな。魔力が足りるか?」

「さっき盛大に使ったから……」


 幸いなことに、治さなければならない怪我人は欠損するような大きな傷はいない。魔力が足りるのならば傷跡が少し残る程度で回復できるだろう。

 魔力が足りて回復できても、その後怪我人が出たら回復できなくなってしまう。


 それでも今はやるしかないと、治療を始める。

 気絶をした者は怪我を負っていないものが抱えて進む。

 なんとか、二十人の治療を馬の上で終わらせると、オレの魔力はほとんどなくなってしまった。


「魔力は足りたが、残りはほぼない」

「ボクも」


 魔力がなくなってしまえばオレとヴェリは役立たず。

 ちょっとでも回復しないかと砂糖を食べるが、しっかり休まないと魔力はほとんど回復しない。それでも気休め程度に砂糖を舐める。


 オレとヴェリが治療している間も蟲から襲われ続けており、気を引くために大量の砂糖を使い続けている。しかし、今のところ蟲の数が減る様子もない。むしろ蜂の巣を盛大に壊したせいだろうか、蟲の数が増えている気がする。

 どこかに休める場所があるといいのだが……。


「ゲオルク、蜂がまだ追いかけてきます」

「巣を壊したせいで怒っているか?」


 住処を壊されたのだ、怒るのは当然といえば当然かもしれない。しかし、あの時はあの方法以外思いつかなかった。巣の中にいる蜂がいなくなるまで戦うのは現実的ではない。

 蜂は上空を飛んでいるため、砂糖の匂いが届かないのか地上に近づかない限り効果がないのが問題で、まともに戦った場合どう考えても戦闘が長期化した。

 オレが蜂について考えている間もモニカの銃声が響いている。


「蜂は距離からかモニカの銃が一番効果があるようだが、一人で倒せる数は限られている」

「針の精度が甘いことに助けられていますね」

「蜂の数が多い割に怪我人が少なかったのはそういうことか」

「ええ。それとしっかりは確認できていないようですが、一度針を打ち出した蜂はもう針を打ち出さないようです」

「流石に打ち出す針は一本だけか」


 体の一部を打ち出すこと自体意味がわからないが、体内に何本も針がないようで安心した。針がなくなっても元気な様子から、再生されそうで怖くはあるが、すぐに再生されるような器官ではないのだと思いたい。

 針がなくなっても、凶悪な口は健在で脅威がなくなったわけではない。


「今は逃げるしかないか」

「はい」


 蜂やその他の蟲に襲われながら逃げ続ける。

 忌避剤の煙が充満し、砂糖の甘い匂いが漂う中、モニカが打ち続ける銃の銃声が響き続ける。モニカの魔法は魔力の使用量が少ないが、銃弾が足りるだろうか……。


「これは最悪一日走り通すことになるか?」

「夜の森を走りたくありません。ゲオルクとヴェリの魔力もありませんよね?」

「なくなってしまった。周囲を照らす魔法すら厳しいな」


 魔道具の光は物理的なものだということもあって、光を飛ばすことは不可能。

 魔法ならば自由に光を飛ばせるが、魔力が切れてしまった。そのため、進行方向に光を飛ばせない。ということは、蟲の発見が遅れるということ。

 そのような状態で夜の森を走るのは自殺行為だ。


 後少しだというのに絶望的な状況。

 森の外まで、もう少しのはずなのだが……。


「ゲオルク、何か聞こえませんでしたか?」


 馬の走る音と、モニカの銃声が聞こえるだけで何も聞こえなかったが、注意して耳を澄ませてみる。


——アンナ様!


「聞こえた! アンナを呼ぶ声だ!」


 徐々にアンナを呼ぶ声は大きく数が増えていく。


「アンナ様!」


 前方に現れたのはイルゼ、エマヌエルを中心とする馬に乗ったカムアイスの兵士たち。

 ハーゼプラトーで別れ、グリュンヒューゲル帝国でオレたちの到着を待っていたはずの者たち。


「イルゼ!」

「お迎えに参りました。アンナ様、もうしばらくの辛抱を、森はもうすぐ終わります」

「皆、聞きましたね! 森を出ます!」


——おおお!!


 皆が唸るように声を上げる。

 絶望的な状況から、希望がひらけた。


 合流した兵士たちが参戦することで蟲の数が一気に減る。

 蟲の圧力が減ったところで、馬が一気に加速する。もうすぐ森を出られるのだと馬も分かっているような走り方で、森の中だというのにかなりの速度を出している。

 蟲もこの速度には追いついてこられないようで、周囲に蟲が見えなくなった。


 どこまで続くのかと思っていた森はいきなり終わる。


「森を抜けた?」


 森を抜けたというのに現実味がない。

 周囲を見渡すと、気づかないうちに夕方になっていたのだと気づいた。

 夕日が照らす赤い大地には花畑が広がっている。


「ここがグリュンヒューゲル帝国」

「ええ」


 馬が完全に止まり、皆が無言になる。

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