第52話 蟲が活性化した森

 蟲が冬眠から覚めた地域に入ってから十五日。

 ハーゼプラトーを出て五十日。


 オレたちは、森林限界を越えた山脈を渡るように走り続けた。

 地図を描き足すために山に登ったところ、森林限界を越えると明らかに蟲の数が減った。蟲が少ないのだと分かってからは山脈の山肌を伝うように移動している。


 森林限界を越える山脈が途切れることは当然あり、その時は諦め森の中を進み、次の森林限界がある山脈を目指す。遠回りにはなってしまうが、森の中を通るより疲労度が明らかに違う。

 それに、進んだ距離を考えると、実はそう変わらないのではないかと思っている。森の中は蟲が多すぎ、進む速度が遅すぎるため、距離が稼げないのだ。


 蟲が少ないとはいえ冬眠中の山ほどではなく、一日に何度も蟲と出会うことになる。

 どうしても蟲との戦いで怪我を負うものが増えてしまう。擬態する虫からの不意打ちで、手足を切られ、噛み砕かれ、重傷を負う兵士が出てくる。足を切断された兵士のように手足を繋げられるのは稀で、ラルフのように元に戻せない傷を負う兵士が何人も出た。

 それでも、死者は出していない。


「目的地まで、あと少し」


 眼下に広がる森の先にはグリュンヒューゲル帝国の都市ゼーヴェルス。

 しかし、森は想像以上に広い。

 帝国に近づくほど山が減っていく様子はヴァイスベルクからも見て取れたが、実際に目の前にすると後少しの距離がとても遠く感じる。

 旅の終わりはもう少し。


「ゲオルク、参りましょう」

「ああ」


 隊列が進み始め、山を駆け下り始める。

 忌避剤を焚き、砂糖も遠慮することなく使い蟲から逃げる。

 気候は完全に春、いや、ヴァイスベルゲン王国では初夏と言ってもいいほどの暑さ。ハーゼプラトーを出発した時と比べると服装が随分と軽そうになった。


 やはり帝国側は一ヶ月ほど季節の移り変わりが早い。

 温度計で正確に測ったわけではないが、夏でも二十度を少し越えるような温度までしか上がらないヴァイスベルゲン王国。夏でも半袖で過ごすと肌寒い日がほとんどで、長袖を着ていることが多い。

 初夏の気温であれば外套の前を開けてちょうどいい程度。

 今がまさにその状態。


 暖かいのはいいことばかりではない、夏に近づくほど蟲は活発に活動を始める。

 当然初夏の気温になると、蟲はさらに増え始める。


「凄まじい量の蟲だ」

「忌避剤を大量に焚いているというのに……」


 アンナの言う通り、燻されている気分になる程、忌避剤を焚いている。

 忌避剤の成分は体に良くないのだが、そんなことも言ってられない。忌避剤を使ってこの数なのだとしたら、使っていなかった場合どれほどの蟲に囲まれていたかと考えると……暖かな気温だというのに寒気がする。


「砂糖によっているから今はいいが……」


 甘い匂いを漂わせた砂糖に群がっている蟲たち。

 蟲の種類は多種多様。仲良くと表現していいのかわからないが、争うことなく蟲たちは砂糖に群がっている。

 本来砂糖を好まなそうな肉食の蟲までが砂糖に群がっている。

 不思議な光景だ。


「砂糖がなくなった瞬間争うのだろうか?」

「分かりません。しかし、見届けるわけにも行きません」

「砂糖の次に人間が好物だろうからな。砂糖がなくなったら次に襲われるのは人間だろう」


 人間は捕食される側。

 蟲の生態研究ほど難しいものはないだろうな。だからこそ、蟲が砂糖を好むとは知られていなかったと予想できる。


「しかし、ここまでの蟲がいて、休む場所を確保できるのか?」

「ゼーヴェルスに近づくほど、蟲の討伐をしているため数は少なくなるとは思いますが……」


 どの程度近づけば蟲の数が減るかは予想ができない。

 同じことを考えているのだろう、アンナも不安そうな表情で蟲を見ている。

 ゼーヴェルスまで距離がさほどないのは分かっているが、一日でたどり着ける距離ではない。夜通し走り続けるのも現実的でないとなると、休む必要があるのだが……蟲の量が多すぎる。

 結局、休む場所が確保できるのかわからないという疑問に行き着く。


「蟲の少ない場所を見つけ次第休みましょう」


 隊列は大量の砂糖を消費して甘い匂いと、忌避剤の煙をまといながら進んでいく。




 昼も過ぎ今日どこで休むかが問題となる。

 周囲を探っていると、前方から大声が聞こえる。


「蟻だ!」


 まずい、この状態では蟻に追いつかれる。

 ハーゼプラトーを出た後に出会った蟻は寒さによって動きが鈍かったが、今回は初夏の暑さでいつも通りの速さで走ると予想できる。逃げることは不可能。

 砂糖を大量に撒き始め、甘い匂いが漂い始めた。


「ゲオルク、囲まれそうです」

「数が多すぎる」


 前方から次から次に蟻が現れているのだろう、砂糖を使う甘い匂いが漂い続ける。徐々に進む速度が落ちていくと、後方から砂糖を食べ終わったであろう、蟻が再び迫ってくる。

 このままでは完全に囲まれる。


「砂糖に注意がいっている間に、倒すしかないか」

「完全に囲まれる前に倒すしかありません」


 砂糖に注意がいっている蟻を倒すのは難しいことではない。数が数だけに時間がかかる上に、他の蟲が現れれば倒す手間が増える、そう予想されたが——。


「他の蟲が現れない。なぜだ?」

「分かりません。そういえば、蟲にも縄張りを作ることがあると聞いたことがあります」

「つまりここは蟻の縄張りなのか」


 雪虫のように共存する蟲は別だろうが、獰猛な蟻ならば周囲の蟲を餌として食べ尽くす可能性は高い。結果的に縄張りとなっている可能性がありそうだ。


「蟻を壊滅させれば休む間くらいは、蟲が寄ってこないのでは?」

「すでに、かなりの数を倒します。巣全体の蟻を倒すのはそう難しくはなさそうですね……」

「可能性でしかないが、やってみるか」

「巣穴を探させます」


 蟻の巣穴は簡単に見つかった。

 前方から蟻は現れていたため、前に進むと蟻が現れ巣穴まで案内してくれた。


「ゲオルク、どうします?」

「砂糖の匂いで外に出てこないか?」

「試してみましょう」


 蟻が出てこなくなるまで、砂糖で引きつけて、最後は忌避剤を巣穴に放り込んで燻し出した。蟻は忌避剤で巣を追い出されて怒っているのに、砂糖を目の前にするとそちらに向かってしまう。

 女王蟻だと思われる蟻を倒すと巣の中から蟻が出てこなくなった。これで全ての蟻を倒したのではないだろうか。幼虫が残っているかもしれないが、見張りを立てれば問題はないだろう。


「このような方法で蟻を全滅させたのは初めてでしょうね……」

「休める場所があるのなら、普通だったらやろうとも思わなかっただろな。しかし、蟻が周囲を縄張りにしていた関係で、今日は安全が確保できそうだ」


 予想通りに他の蟲が寄ってくる様子はない。

 どの程度蟲が寄ってこないのかはわからないが、一日くらいは持ってくれると思いたい。


「休むための準備をしましょう」

「ああ。しかし、休むのに時間的にはちょうどいいが、進めた距離は短そうだな」

「進めただけよしとしましょう」


 先ほどまで登っていた山はまだ真後ろにあり、進んだ距離が短いというのが視覚的によくわかる。

 進めないとは思っていたが、本当に進めていない。

 森を出るまで何日かかるか……。


 一旦距離のことは忘れ、木を叩く作業を開始する。

 最近、この作業が一番緊張する。不意打ちを受ける危険が一番多いのが、木を叩いている時。まず最初に、木の上の方まで確認して、蜘蛛が巣を作っていないかの確認。さらに石や木の枝を投げて蟲が擬態していないか確認する。

 何度も不意打ちを受け、やり方を変えた結果だ。



ーーーーーー

本来の37話の投稿を忘れ、本来38話になる予定の話が37話となっており、1話投稿がずれておりました。申し訳ありません。

第37話 プロローグを改め投稿いたしました。

1話追加により、37話以降が1話ずつ数がずれております。

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