第38話 出立

 日を追うごとに、雪が徐々に溶けていく。

 ヴァイスベルゲン王国の軍馬であれば旅に出られそうなほど積もった雪の量が減ってきている。


「出発はどうする?」

「明日の早朝にヴァッサーシュネッケ村へ向かいます。一泊したのち、森へ進みます」


 とうとう亡命計画が実行される。

 失うものが少なかったが故に以前は怖さはそうなかった。だが今はアンナを失うのが怖い。


「アンナ、何があっても君だけは生き残るんだ」

「ゲオルク……私はあなたと死ねるのなら本望。恋人のままで死ねるのですから」

「アンナ……」


 オレのため、皆のため生き残ってほしいと言いたいが、アンナは家族だけではなく婚約者まで亡くしている。これ以上重しとなる命を背負わしたくはない。

 アンナを抱きしめて触れるようにキスをする。


「二人、いや、皆で生き残り帝国へ行こう」

「はい」


 必ず成功させる。

 たとえどんな困難が待ち受けていようとも。




 翌日の早朝。

 雪かきされた城の前には兵士たちが綺麗に整列している。


「イルゼ、あとは任せます」

「お任せください」


 イルゼとエマヌエルは、カムアイス伯爵家の御用商人であるベーゼン紹介と共に亡命を手引きする。二人は亡命後、カムアイス伯爵領から一番近い、グリュンヒューゲル帝国のゼーヴェルスという街で待機する。


「イルゼ、エマヌエル。グリュンヒューゲル帝国で会いましょう」

「お待ちしております」


 アンナと挨拶していたイルゼがオレの方を向く。


「ゲオルク様、アンナ様をよろしくお願いいたします」

「はい。アンナとともに帝国で会うことをお約束いたします」


 イルゼは深く礼をしたあと、後ろに下がっていく。

 オレにまで声をかけてくるとは思っていなかった。アンナと付き合っていることに反対されていないため、当然の行動ともいえなくもないが、ここまでされるとは違和感がある。もしかして、オレが知らない事情があるのか?


 どのような事情があるのか考えていると、アンナがシュネーの元に向かうのが見えたので、ともに移動する。

 シュネーの隣にはヘルプストがおり、ヘルプストの手綱を兵士から渡される。


 オレが待機している中、アンナがシュネーに騎乗する。

 アンナは城を見ながら小さく「お父様、お母様、お兄様行ってきます」と呟いた。

 城はアンナが家族とともに育った場所だ、思い入れがないはずがない。そのような場所にアンナがもう戻ることはない。オレが生きていて欲しいと望んだため。


 そんなオレも、今更だが故郷のフィーレハーフェンに戻ることはもうないだろう。最後に行ったのはアルミンを迎えに行った時か、あの時が最後になるとは思ってもいなかったな。

 以前より亡命すると覚悟を決めていたからだろうか、郷愁に襲われることもない。


 アンナが近くにいた兵士のラルフに声をかける。


「行きましょう」

「はっ。騎乗!」


 ラルフの指示に従いオレもヘルプストへと騎乗する。

 兵士たちが騎乗し終わると、ラルフを先頭に大移動が始まる。ハーゼプラトーの街中はゆっくりと進み、街道へ出ると一気に加速する。

 街道に残る雪をものともせず、馬たちは走る。




 何事もなく夕方までにヴァッサーシュネッケ村へとたどり着く。雪によって地面がぬかるんでいるため、普段よりは多少時間がかかったが、日没までのはたどり着いた。


 昨年のうちに拡張された馬屋に馬たちを入れる。ヴァイスベルゲン王国の馬は多少の寒さは問題ないが、夜中に蟲が現れれば馬たちが危険に晒される。軍馬とはいえ、夜目が効くわけではない。

 見張りを立てるのも限界があると、大きな馬屋を急拵えで作られた。

 馬たちでいっぱいになった馬屋は少々狭そうだが、一日だけ我慢してもらうほかない。


「ゲオルク、行きましょう」

「ああ」


 堅牢な村長宅にオレとアンナは向かう。

 村長宅には荷物が大量に積まれている。家の扉が開いた音に気づいたのか、モニカが出てきた。

 モニカは冬に入った時と変わらず、灰色の髪を長く伸ばしている。右目は茶色の普通の瞳だが、左目の虹彩は銀色の中に緑色の星がちりばめらたように煌めき、炎のようにゆらめいている。

 オレと同じ魔眼だ。


「モニカ」

「アンナ、準備できてる」


 いつもはもっとおっとりしているのだが、今日は少し真面目な表情をしている。流石に緊張しているようだ。


「モニカ、吹雪くことがなければ、出発は明日の朝になります」

「ん」


 モニカによって家の奥に案内される。

 男女別れて跳ね上がった雪と泥で汚れた服を整える。厚手の外套に汚れを弾きやすい革のマントを着ていたため、上着を脱げば汚れはさほどではない。


 綺麗にしたあとは会議室や食堂として使われる部屋へと通された。

 部屋ではリウドルフがいた。モニカに似た髪の色のリウドルフは、アンナに気づいたのか立ち上がって礼をする。咄嗟の状況は相変わらず苦手なようで、オレより大きな二メートル近い体を慌ただしく動かしている。


「アンナ様」

「リウドルフ、モニカの準備はできていると聞いています」

「は、はい。甜菜も全て砂糖にしています。倉庫に収まらず、ご覧の通り家の至る所に置いとります」


 今いる部屋にも砂糖は積まれている。

 トン単位の砂糖ゆえ、むしろ家の中に収まっているだけ凄いと言える。


「砂糖は兵士が収納袋にいれ、片付けます」

「た、助かります」


 大量の砂糖を運び出すため、一部の兵士はハーゼプラトーへと戻る。

 何度か往復して砂糖を運び出す予定だ。砂糖は帝国へと運ばれ、帝国で活動する資金となる。


「モニカ以外の、リウドルフたちの準備は終わっていますか?」

「はい」

「では砂糖を運搬する兵士たちとともにハーゼプラトーへ向かってください。ベーゼン商会が皆を帝国へと連れて行ってくれます」


 ヴァッサーシュネッケ村の村人は大半が戦えない。

 戦えたとしても兵士ほど強いわけでもなく、森へと連れて行っても足手纏いになる可能性が高い。リウドルフはそれでも付いてきたがったが、モニカの説得によって、街道を使った亡命をすることに納得した。


 モニカも本来なら街道で出国できればよかったのだが、ヴァイスベルゲン王国側の国境審査を越えられないのではないかという話となった。関所より随分と審査が厳しいようで、貴族が作った出国するための書類でも魔眼を見られれば出られない可能性が高い。

 出国できる可能性もあるが、試してみること自体が危険だと、モニカだけはオレたちと同行することが決まっている。


「皆の到着を帝国で待っております」


 リウドルフはそう言いながらも、歯を食いしばるように硬い表情と、白くなるほど手を強く握りしめている。のんびりとした性格のリウドルフが大きく感情を表すのは珍しい。

 納得はしたが、本来はついてきたいのだろう。

 オレはリウドルフに近づいて肩をたたく。


「リウドルフ、モニカを必ず帝国へ連れていく」

「ゲオルク、頼むっ」


 リウドルフはオレの手を取りながら深く頭を下げた。

 リウドルフとは実は同い年だったようで、村にいる間に随分と仲良くなった。

 転生者に嫌悪感を抱いた目線を向けないのは村人全員がそうだが、モニカの父親であるリウドルフは特に親しげに接してくれた。元々の性格があまり細かいことは気にしない性分なのかもしれないが。


「リウドルフも書類があるとはいえ、失敗しないようにな」

「オラ、それが心配で……」

「ベーゼン商会の指示を聞いていれば問題ない」

「分かった」


 すでにベーゼン商会はすでに何回か亡命を成功させているらしく、実績も十分にある。出国する人間の中にアンナがいなければ問題ないだろう。

 アンナの緑色の髪と金色の瞳はヴァイスベルゲン王国では大変珍しい。間違われることはそうそうないだろう。

 リウドルフが落ち着いたところで、アンナが声をかけてきた。


「ゲオルク、今日は皆を早めに就寝させたいですが、砂糖を片付けませんと寝られません」

「アンナ、オレも手伝ってくる」

「私は邪魔になるでしょう。部屋にいます」


 氷点下まで下がる冬のヴァイスベルゲン王国で野宿をするのは辛い。明日以降は野宿が辛いと言ってられないが、今日はなんとか建物の中で休めるように調整する。

 オレは兵士たちを手伝い砂糖を収納袋に詰め込んでいく。

 アルミンやヴェリにも手伝い、なんとか砂糖は片付けられた。

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