第10話 蟲と砂糖

 ツィーゲシュタイン元伯爵領を出ると、オレは通行許可がなかったため土地勘はないが、今のところ街道は一本道なので分かりやすい。

 アンナ様の侍女であるイナから渡された持ち物には簡単な地図が入っていたし、宿屋で王都への最短での道順は聞いている。

 それに、大半の別れ道には村や宿場町があるので、人に聞けば迷子になるようなことは早々ないだろう。


 宿屋で聞いた話といえば、兵士の巡回が減っていると言っていたな。

 関所がなくなった関係で兵士がいなくなったとも考えられるが、アンナ様が交易路以外は関所を置くのが普通と言ったのが気になる。

 王都の治安が悪化している関係で、兵士が足りていないとかないだろうな?

 非常に嫌な予感がする。


「アンナ、関所を維持する兵士の数が足りない可能性はありませんか?」

「兵士は足りていると思います」

「でしたら関所を閉鎖したのは王領になったからですか」

「いえ……もしかしたら、兵士を指揮する騎士が足りていないのかもしれません。処刑対象は騎士も含まれていました」


 アンナ様の予想が正しいのなら、最悪の事態が起きている可能性が高い。

 関所がある場所は比較的開けて見通しの良い場所だったが、今はまた曲がりくねった山道を走っている。曲がった先に魔物の蟲がいたとしたら最悪だ。


「蟲用の忌避剤が撒かれていない可能性があります。何が出てきても落馬しないように注意してください」

「分かりました」


 軍馬として教育されているシュネーは、驚いて立ち上がるようなことはないと思うが、何が起こるかわからない。

 蟲は群れて行動する種が大半のため、落馬してしまうと助けるのが難しい。あまり見かけないが、単独で行動するような蟲であれば魔法眼で倒してしまえばいい。


 山道を走りながら街道の外から何か出てこないかと注意する。

 暖かい地方の山と違って、針葉樹のような木が斜面にまばらに生えているだけで比較的見通しが良い。

 先に気づければ、不意打ちで襲われることもないだろう。


 シュネーは頭がいいので、細かい指示を出さなくとも街道通りに進んでくれる。オレとアンナ様は街道の脇にある森を注意する。

 注意していると、一瞬右側の森の奥で黒い何かが動いた気がした。


「ゲオルク」

「何か見えましたね」

「はい」


 アンナ様が緊張した口調で同意した。

 やはり見間違いではなかったようだ。


 街道は馬車が通れるほどの道幅があるので、見えた方向とは反対側にシュネーを寄せる。

 シュネーに速度を上げるようにと、馬体をふくらはぎで圧迫して指示を出す。

 指示通りにシュネーが速度を上げたところで、動いたものが見えた場所蟻が出てきた。蟻の大きさは一メートルを超えていて、巨大なアゴを持っている。


「アンナ、蟻です」

「まだ春だというのに、もう活動しているのですか」

「王都に近づくほど暖かいですから、冬眠を終える時期が早いのかもしれません」


 虫であれば冬眠を使うのは本来言葉の使い方が間違いっているのだが、魔物の蟲は冬眠と表現している。


 冬眠する他の動物同様に、冬眠の前後は非常に獰猛になる。

 山から出てきた蟻も食料を集めようと必死なのだろう、凄い速度でオレたちを追っている。巨大な顎を威嚇するように擦り合わせており、キュッキュと甲高い音が響いて鳴き声のようだ。


 蟻は当然群れる蟲。

 逃げるしかない。

 一匹倒している間に、何匹も出てきたら手に負えない。


 今は追いつかれるほどの速度ではないが、シュネーの体力がどこまで持つかわからない。しかし、二人乗りをしているとはいえ、馬の速度に食らいついてくるのは驚きだ。


「ゲオルク、数が増えました」


 後ろを確認すると、数が一気に五匹に増えた。

 鳴き声のような音で連絡を取っていたとしたら厄介だ。まさか近くに巣があるとは思いたくないが、街道がどの程度放置されていたかわからない。


 後ろを定期的に確認していると、蟻との距離は徐々に距離が離れていっていることに気づいた。若干だがシュネーの方が走る速度が速いようだ。


 少し落ち着いて考えられるようになる。

 忌避剤を撒いていたからといって蟲が出ないわけではない。しかし、街道に蟲が出るのならやはり忌避剤が撒かれていない可能性が高い。出てくる蟲は蟻だけとは限らない。早めに振り切りた方が良さそうだ。


 オレは腰に下げた鞄の中から小石ほどの氷砂糖を三つ取り出す。

 手の中で転がしながら蟻に狙いを定める。


『加速』


 氷砂糖は軽すぎて投げるのに向いていないため、魔法を使うことで加速させる。

 蟻の頭部に当たった氷砂糖は弾かれてしまう。

 氷砂糖でダメージを与えるのが目的ではない、むしろ蟻の前に落とすのが目的だ。


『溶解』


 氷砂糖が溶けていく。


『加熱』


 イメージしたのは熱で溶けて、カラメルのような甘い匂いが出るような状態だ。砂糖が溶けたところで、蟻の動きが止まる。

 まだ追ってくるようなら追加で氷砂糖を投げるつもりだったが必要なさそうだ。


 シュネーは走り続けているため、距離がどんどんと離れていく。

 五匹の蟻は溶けた砂糖を囲むように固まっており、追いかけてくる心配はなさそうだ。蟻が見えない距離まで移動してからシュネーの走る速度を落とすべきだろう。


 後ろを確認して蟻が見えなくなったところでシュネーの走る速度を落とす。

 シュネーの息が整うまでゆっくりとした速度で走らせる。


「ゲオルク、何をしたのです?」

「氷砂糖を囮にしました」

「氷砂糖?」

「はい。どうも砂糖は蟲の好物のようです」


 砂糖が高級品であるヴァイスベルゲン王国では知られていないだろう。蜂蜜では試したことがないが、もし蜂蜜にも蟲が寄っていくなら、蜂蜜の採取を専門にしている人は知っているかもしれない。


「砂糖が蟲の好物ですか?」

「ええ。人間と砂糖だと砂糖を優先するようです」

「初めて知りました」

「私が知ったのも偶然です。砂糖が好きだと知って以降は、一人旅が多いので身を守るために持ち歩いているのです」


 オレが蟲の好物が砂糖だと知ったのは本当に偶然だ。


 十年近く前に売り物がないかと探していた時、商人から簡単に育つので馬の餌に良いと大根に似たビートを紹介された。オレは商人に人間でも食べられるかを尋ねると、葉っぱは食べられるが、根の方はまずいと教わる。

 興味を持ってオレは食べてみると、確かに根っこは不味かったのだが、ほんのりとした甘さがある。

 すぐに気づいた、これは甜菜に似た植物だと。


 商人から甜菜の根や種を買い取って、フィーレハーフェンで少量育てて実験を始める。砂糖が取れることと、育て方がわかったところで、大規模に育てるため町から離れたところを開拓して育て始めた。


 カムアイス領では開拓する分には罪などなかったので、川の上流で比較的安全な場所を選んで開拓していた。

 むしろ開拓に成功すると無条件で村長になれるらしい。オレが村長になっても人が来ないだろうから、開拓して畑を作ったと教えたのはアルミンだけなのだが。


 寒い地域なので虫も少なく、甜菜に似た植物は放置していても簡単に育っていっく。しかし、問題は収穫しようと思った時に起こる。今まで食い荒らされもしなかった甜菜が食い荒らされていたのだ。


 残った甜菜で砂糖を作りながら食い荒らしたのが何者かを調べていると、甜菜から作る砂糖の匂いに釣られて蟲が寄ってきた。

 その時はまだ魔法眼も手に入れておらず、死にたくないと必死に蟲を倒し始める。


 必死に戦っていると、そう強くもないオレがなぜか無傷で蟲を順調に倒せていることに気づく。

 落ち着いて蟲を観察し始めると、蟲が狙っているのはオレではなく、砂糖だということに気がついた。

 蟲は砂糖を煮詰めるための匂いに釣られていたのだ。

 つまり甜菜を食い荒らした犯人は蟲だと理解した。

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