第6話 峠の宿屋
案内された部屋はオレからすれば綺麗な部屋だったが、貴族であるアンナ様には格が足りないだろうとは想像ができる。今日泊まる宿は宿場町の宿屋にしては大きいが木造でしかなく、高級宿というには少々大きさが足りなかった。
一泊だけということで我慢してもらうしかない。
部屋の配置は小さめのリビングとなっている部屋と寝室が二部屋あり、寝室の一部屋は立派な作りになっている。片方が主人用の部屋で、片方は使用人用の部屋なのだろう。
オレとアンナ様にはちょうどいい作りだ。
部屋の暖炉にはすでに火が灯されている。ヴァイスベルゲン王国では初夏まで暖炉が必要になることが多い。
暖炉の反対側にある窓からは街道が見え奥には山と木が見えるだけだが、夕焼けに染まった峠は綺麗だ。
部屋は二階部分にあり、一階よりは侵入が難しいだろう。多少マシという程度だが、気休めにはなる。
部屋の確認をしていると、下働きだと思われる人がお湯をたらいに入れて持ってきた。
アンナを一人にさせるのは不安だが、体を拭いている時に男のオレが近くにいるのも問題だろう。
婚約や結婚はもう良いと言ってはいたが、それとこれは別問題だろう。
「アンナ、シュネーの様子を見に行ってきますので、鍵を閉めてお湯で体を清めてください。部屋に戻ってきたら六回連続でノックしてから声をかけます」
「分かりました」
アンナ様が部屋の鍵をしっかりと閉めたか確認した後、宿屋の階段を降りて入り口から馬屋のある場所へ向かう。
馬屋に近づくと馬が嘶く声が聞こえた。
大きな足音を立てないように急ぎ馬屋の確認をすると、何者かがシュネーを外に出している。
シュネーは見事な白馬なため、よからぬことを考える可能性があると、確認をしにきたのは正解だったようだ。
剣を抜いてシュネーの手綱を持っている男に近づき剣を突きつける。
「何をしている?」
「は!? 何って……」
勢いよく振り向いた男は、オレの顔と剣に視線を走らせた。状況を理解できたのか顔を引き攣らせている。
「馬の面倒を見るのに馬屋から外に出す必要はないだろ?」
「それは……」
言葉が続かないのか男は口を開け閉めしている。
更に目が彷徨い始め、明らかに動揺しているのが見て取れる。
「切り捨てられたくなければ馬をこちらに渡せ」
「分かった」
抵抗するかと思った男は意外なことにシュネーの手綱を素直に渡してきた。
怪しいと思いながらも手綱を受け取る。
手綱をオレが握った瞬間、男は勢いよく逃げだした。予想通りであったので、シュネーの手綱を離す。剣の柄で男の背中を殴って、うずくまった瞬間蹴飛ばしてそ転ばした。
転ばした男の背中に足を乗せて逃げられないようにする。
「シュネー、少し待っててくれ」
「ヒヒーン」
シュネーは足を上下させていて、男を蹴り飛ばしそうな勢いだ。おとなしい馬だと思っていたが、オレはアンナ様が近くにいたから許されただけで、本来は気品高い性格のようだ。
シュネーに蹴られれば男は即死する可能性がある。ただの盗人だとは思うが、できれば話は聞いておきたい。
落ち着くかはわからないが、腰に下げた鞄の中から自作の氷砂糖をシュネーの口元に持っていく。
最初は怒っていたシュネーも差し出された氷砂糖に気付いたようで、匂いを嗅いで舐めた。シュネーは一瞬固まった後、すぐに一口で氷砂糖を食べ切ってしまった。
「シュネー、少し待っててくれないか?」
「ブルル」
氷砂糖で機嫌は良くなったようだ。
ヘルプスト同様にシュネーも氷砂糖が好きで良かった。
男の関節を決めつつ、シュネーを馬屋に戻してしまう。男を連れて宿屋に戻ると、すぐに宿屋の主人を大声で呼び出す。
「どうなさいました!?」
宿屋の主人は慌てて部屋の奥から出てきて、驚いた様子でこちらに問いかけてきた。
オレが剣を抜いたまま男の関節を決めているので驚くのは当然か。
「うちの馬を盗もうとしていてな。こいつは宿屋の従業員ではないだろな?」
「違います!」
宿屋の主人は大声を出して否定している。
「当店とは一切関係がありません!」
オレは必死に否定している宿屋の主人の顔をじっと見つめる。男のように視線が左右に揺れたりしないし、急に汗をかき始めるようなこともない。
素人であるためしっかりとした確証は得られないが、嘘をついているようには見えない。
「分かった。こいつを縛りたいので縄をもらえるか?」
「少々お待ちください」
宿屋の主人はオレの返事に大きく息を吐いた。そのまま後ろで様子を窺っていた下働きに縄を持ってくるように伝えている。
下働きは抜き身の剣が怖いのか、オレに縄を渡そうとした。一人で縛るのは大変なため、剣を鞘にしまってから下働きと一緒に男を縛り上げた。
「盗人は普段どうしている?」
「その……以前は兵士に渡していたのですが、最近は騎士や兵士の見回りもなく」
「内戦の影響か」
「そうだと思われます」
捕まえてしまった以上勝手に切り捨てる訳にもいかない。捕まえるのは失敗だっただろうか?
「村に任せてもらうことはできますでしょうか?」
下手に話を拗らせると時間がかかってしまう。
王都へ向かうのが重要であって、罪人を裁くのに時間をかける訳にはいかない。
「分かった。少なくともオレたちが出ていくまでは檻から出さないでくれ」
「承知いたしました」
宿屋の主人は下働きに事情を説明して村長を連れてこいと命令している。
話を聞いた下働きはすぐに宿屋を出て行った。
「ところで聞きたいのだが、馬を盗んで売るあてがあるのか? 用意した馬は、そう簡単に売れるような馬ではないぞ?」
オレは盗人と宿屋の主人に馬の売り先を尋ねる。シュネーはアンナ様の馬で、前伯爵が贈った馬だと聞いたため、大きく嘘は言っていない。
本当のことを混ぜると嘘はバレにくくなると聞いたことがあり試してみた。宿屋の主人と盗人が誤解してくれると良いのだが。
「大きな声では言えませんが、軍馬や良馬が王都周辺の市場に流通していると泊まった商人から聞きました。どうも内戦で逃げ出した馬を売買しているようで、買取の時に事情はほとんど聞かれないようです」
盗人が話すのを期待していたら、意外なことに宿屋の主人が事情を知っていた。
しかし、内戦で逃げ出した馬か。オレは売り払っていないが、捕まえているのは同じで少し気まずい。
「なるほどな。王都に行ったら自分の馬を探してみるか」
「良馬を格安で仕入れるならば今がいいでしょうな」
「そうだな」
宿屋の主人はオレのことを誤解してくれたようだ。
オレの演技が上手いとは到底上手いと思えないので、誤解してくれた良かった。
できれば宿屋の主人から街道の情報も聞きたい。欲を出してみることにする。
「先ほど兵士の見回りがなくなったと言ったが、街道の治安はやはり悪化しているのか?」
「ええ。蟲が出ると聞いております」
「駆除されていないのか」
蟲は魔物の虫である。普通の虫より何倍も大きい上に、体に紋様があってかなり強い。虫の時と同じように群れる習性もあり、戦いたくはない相手だ。
普段は蟲が嫌う薬を街道に巻いているのだが、兵士が巡回しなくなったことで街道まで蟲が出てきているのだろう。
「王都に近づくと食い詰たものが盗賊として現れるようです」
「そこまで治安が悪化しているのか」
森に近づき過ぎれば蟲が出てくるため、普段は盗賊なんてしようとする者はいない。そんな危険を冒してまで食い詰た者たちがいるとは……。
宿屋の主人から王都までの街道について話を聞いていると、下働きの男が複数の男を連れて戻ってきた。
オレが馬を盗まれそうになり、男を捕まえたと事情を説明すると、男たちが捕まえた盗人の顔を見始めた。
「やっていない!」
「連れてくぞ」
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