第5話 ツィーゲシュタイン領
アンナ様は手を開いたり閉じたりしたあと、川の方を向いてお淑やかに笑い始めた。
「どうしました?」
「すみません、本当に渡れたと思ったら可笑しくなってしまって」
アンナ様と同じように川を見るととんでもない濁流で、渡ってきたことが自分自身でも信じられないほどだ。
ありえないことをしたと思えば、確かに笑ってしまうほどのことかもしれない。
川を見ていると馬のシュネーがブル、ブルと鳴いた。
「シュネー、支えてくれてありがとう」
シュネーはアンナ様に撫でられるとブルルと鳴く。
暴れることもなく一番落ち着いていたのは馬のシュネーだった。オレもシュネーを撫でると、濡れていることに気づく。
シュネーが濡れているなら自分も濡れているのではと確認すると、ずぶ濡れなことに気がついた。春の川はとても冷たく気づいたことで、今更ながらに寒くなってきた。
アンナ様を確認すると、三つ編みにしている髪から雫が滴っている。
『乾け』
乾かす程度の魔力は残っていたので風邪を引かないうちに乾かしてしまう。
「アンナ様、服と髪が乾いたか確認していただけますか」
こちらを向いたアンナ様は不思議そうにしていたが、オレの言った通りに服や髪を確認している。
「乾いています。濡れていたのですか?」
「はい」
「気づきませんでした」
川を渡れた興奮で忘れていたのだろう。
体も冷え切っているようだし、残った魔力で船を燃やして暖をとることにする。
オレが先に降りて、アンナ様とシュネーを船から降ろす。
『燃えろ』
水に濡れているはずの船が燃え上がる。
「ゲオルク、船を燃やしてしまうのですか?」
「船体に大きく傷が入ってしまい、もう廃船にするしかありません。それに船に刻印された魔術を解析させるわけにはいきません」
「魔力をあれほど一気にこめても、魔術がしっかりと発動したのは凄いですね」
アルミンがアレンジした魔術の刻印は高出力の魔力にも耐えられる耐久性があり、他の船頭たちからすると偽装された刻印を解析してでも欲しがるものだ。
船頭たちは刻印を魔術師から買ったり、代々家に伝わる刻印を持っているが、性能が良い刻印があれば欲しがる。特許などないこの世界では刻印を盗まれても文句は言えない。だから船頭たちは普通、船を人には貸さない。
オレはアルミンから船を借りた責任として、しっかり刻印がわからなくなるまで焼く必要がある。
アンナ様も魔術の刻印については理解しているようで、船が焼けて刻印が調べられないまで待っていてくれる。
「アンナ様、体を温めておいてください。次はシュネーで飛ばすことになり、体が冷えた状態では危険です」
「分かりました」
船を燃やしている間に荷物をシュネーにくくりつけ、鞍がしっかりと固定されているか確認する。
オレは剣を腰に差す。
誰かから教わった訳ではないため、お世辞にも剣の腕は良くないのだが、装備していると威嚇になって人を追い払える。
船を燃やしていると人が集まってきた。
この時期は濁流となった川に近づかないので、今まで気づかれることはなかったが、流石に船を燃やすと気づかれてしまったようだ。
体も暖まり、船も大半が炭化してしまったのでもう良いだろう。
丁度良いことに魔力も完全に無くなった。魔法で燃えていたので魔力が無くなると自然に火が消える。
「アンナ様、参りましょう」
「はい」
オレが先にシュネーに乗って、前にアンナ様を乗せる。
声をかけてこようとする人々を無視してシュネーを走らせる。
普段使い慣れている道を使ってシュネーを走らせる。対岸は元ツィーゲシュタイン伯爵領で、フィーレハーフェンの船頭には領を行き来する関係上、二つの領を移動する許可が出ている。
オレは船頭で稼げなくなってからは、二つの領を行き来して物を売買して稼いでいた。なのでツィーゲシュタイン伯爵領であれば土地勘は割とある。
「ゲオルク」
「どういたしました?」
「私への敬称は無しにいたしましょう。どの程度名前が知られているかは分かりませんが、二人で行動して片方が敬称をつけていれば気になるはずです」
「呼び方を偽名に致しますか?」
「いえ、アンナはそこまで珍しい名前ではないので問題ないでしょう」
「承知いたしました」
確かにアンナという名前は珍しくはなく、偽名にしなくとも問題はなさそうだ。怪しい場所はオレの魔眼を出していれば、アンナ様よりオレの方が目立つだろう。
「アンナ、夜は休む余裕はありますか?」
「川を越えさえすれば余裕はあります」
「ならアンナとシュネーのためにも夜は休みましょう」
「分かりました」
休めるならばと、シュネーの走る速度を少し上げる。
山道を走ることが多くなるため、飛ばす速度に注意が必要だ。しかし、ヴァイスベルゲン王国の領土は大半が山で、シュネーも走り慣れているようで軽快に走っている。
シュネーは荷物と二人を乗せているのに想像以上に余裕があるようで、軍馬の中でも優秀だとアンナ様が言っていた意味がよくわかる。
ヘルプストと比べても優秀に思える。ということは体に紋様があるのかもしれない。
「シュネーは魔物なのですか?」
「ええ。生まれた時から模様があります」
魔物は本来魔石を体内に持っていれば魔物と呼ばれる。人間も体内に魔石を持っているので魔物の一種ではある。しかし、一般的に使われる魔物と呼ばれる存在は、体のどこかに紋様がある生物を指す。
経験から紋様は遺伝しやすいと分かっており、馬などの人間と共生する動物は紋様のある魔物を遺伝させようとする。紋様のある馬は軍馬として飼育され、特に高い値段で売買される。
また紋様は魔術の刻印の元となっており、紋様を専門に解析して改良する者たちを魔術師と呼ぶ。
魔術師の一部は改良した魔術の刻印を自分の体に掘り込む者たちまでいる。
「これなら想像以上に早く着けそうです」
「早く着ける分には嬉しいですね」
山に造られた道をシュネーが軽快に飛ばしていく。
夕方前には山と山の間にある峠の宿場町までたどり着いた。魔眼を見られると宿に泊まれる無くなるだろうと、魔眼を隠すために眼帯をつける。魔眼が使えなくなってしまうが、どうせ魔力は空なので視野が多少狭くなる程度だ。
アンナ様と相談して、宿場町でも一番高い宿に泊まることにした。
「部屋の中で二部屋に分かれている部屋はあるか?」
「ございます」
オレとアンナ様は見るからに怪しい二人組であるが、宿で一番高い部屋を使うということで何も聞くことはなかった。
部屋の料金を尋ねると金貨一枚だった。
金貨一枚で十万円、大銀貨一枚で一万円、銀貨一枚で千円、銅貨で百円程度とオレは計算しており、一泊で十万円と旅途中の宿場町としてはかなり高額な料金だ。雑魚寝の大部屋なら銀貨一枚もあれば一泊できる。
大きな街なら一泊金貨十枚を超える高級宿もあるが、そんな場所ではアンナ様の素性が知られてしまいそうだ。
王都まで街道沿いの小さな宿場町で泊まった方が良いだろう。
イナから預かったお金は金貨だけでも十枚以上あり、一泊十万円の宿に泊まっても問題はなさそうだ。
「金貨でいいか?」
「問題ありません」
オレが金貨を渡すと宿屋の主人は金貨が本物かしっかりと確認している。
イナから預かった金貨が偽物であるはずもなく、すぐに宿屋の主人は頭を下げてきた。
宿代には馬の面倒を見る料金も入っているようで、シュネーが休めるようにお願いをしておいた。一応後でシュネーが休めているか確認した方が良いだろう。最上級の軍馬なので、変な気を起こさないように釘を刺す必要がある。
「食事は部屋で取りたい。それとお湯をもらえるか?」
「承知いたしました」
宿屋の主人は宿代を払うと文句を言うこともなく、こちらの言うことを聞いてくれる。
一番立地がいいであろう部屋に案内される。
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