第3話 渡し船
イナと呼ばれた侍女はオレの返事を聞いた後、船に積み込む荷物を準備するよう近くにいた兵士に指示を出した。兵士は指示を聞くとすぐに準備するため天幕を出て行く。
イナはアンナ様と直接やりとりをしているだけあって、側近として扱われているようだ。
「ゲオルク、ここまでの願い多くの報酬を支払いたくはありますが、私の裁量で出せる報酬に限りがあります」
アンナ様が申し訳なさそうな表情だ。
報酬か。
ヴァイスベルゲン王国を出たいとは思っているが、アンナ様の現状を考えるに無理な願いだろう。むしろアンナ様こそ逃げ出したいのではないだろうか。
アンナ様にできることか。一つだけ思いつくものがある。
「戸籍から転生者であることを消していただけませんか?」
「それならば私でもどうにかなります」
カムアイス領は今後どうなるか分からない。フィーレハーフェンの住人であれば転生者であると知っているだろうが、今後王都から来る人間はオレが転生者であることは知らない。
厄介ごとを避けるため転生者であると知られない方が良いだろう。
「イナ、頼めますか?」
「承知いたしました。お祖母様に連絡をいたします」
普通なら無理なお願いである戸籍の書き換えがあっさりと通ってしまった。
お願いしたのは自分だが、ヴァイスベルゲン王国の将来が不安になる光景だ。内戦から不安であったが、国を出るなら急いだ方がよさそうだ。
ヴァイスベルゲン王国は国民の移動を制限している上に、転生者は国境を越えるのが不可能だと聞いている。
正規で国境を越える以外の方法を考えてはいるが、準備が間に合うだろうか。今日アルミンに会いにきたのも準備の相談だったのだがな。
そんなことを考えているとアンナ様がこちらを見た。
「ゲオルク、では船の準備をお願いします」
「承知いたしました」
アンナ様に礼をして、天幕を一度退出する。
兵士に預けていた愛馬のヘルプストを受け取り移動する。
「ゲオルク兄さん、本当に川を越えられるの?」
「魔眼を使えばできないことはないだろう。危険はないわけではないがな」
「だよね。ゲオルク兄さん、僕の船を使ってよ」
「良いのか?」
魔術師であるアルミンが作った船は一級品だ。他の渡し船とは書かれた魔術の効力が段違いに高い。その分作るのも大変で、製作費にかなりのお金をかけている。
今回は船を使い潰すつもりで魔法を使う予定で、アルミンの船が壊れてしまう可能性が高い。
「船はまた作ればいいよ」
「悪いな助かる」
少しでも可能性を上げるために船を借りることにした。
眼帯を懐にしまい、代わりに髪留めを取り出す。長く伸ばした髪を縛って視界を遮らないようにする。
「ゲオルク兄さんはやっぱり髪を縛っていた方が似合うよ」
アルミンの言葉に苦笑を返しておく。
髪を縛ると魔眼がよく見えるようになる。
魔眼を出して歩くと皆が忌々しそうに視線を送ってくる。そのような視線は気分がいいものではない。
オレが船頭長に近づくと、明らかに嫌そうな視線を左目に向けられた。
船頭長にアルミンがアンナ様と決まった話をすると、あからさまに安堵している。濁流を渡りたくなかったようだ。
しかし相手は貴族なのだし、もう少し表情を隠す努力をすればいいのにな。
アルミンの船を船倉から出す準備する。
オレとアルミンが押すのと、ヘルプストに牽引することで車輪付きの船台に乗った船は動き出す。
「アルミン、馬は二頭乗せられない、ヘルプストを預かってもらえないか?」
「任せて」
オレが嫌われ者なのもあるが、ヘルプストは気軽に人に預けられない。
オレは内戦の時に逸れていた馬に乗って戦場を逃げ出した。ヘルプストはその時の馬で、少し面倒を見れば軍馬だとバレてしまう。
事情が事情なので売ることもできず、今も愛馬として乗っている。なのでアルミンくらいしか預ける人がいないのだ。
「アルミン、それとヴェリに説明をお願いしていいか。一週間以上は帰れそうにない」
「分かった」
「ヘルプストを使っていいぞ。アルミンの魔術とヘルプストがあればたどり着けるだろ」
「うん」
オレと友人のヴェリが住んでいるところは少々危ない地域だが、アルミンも時々来ているので問題ないだろう。
船倉から出し終えた船を確認していく。
船は和船に近い形で、全長十二メートル、幅三メートル、喫水三十センチ。一部に金属も使ってはいるが、大半は木製でできている。
アルミンの船はフィーレハーフェンでもかなり大型の船で馬も乗せられる。幅もかなりあるため水の抵抗が大きく、魔術で進むことを前提としている。
船全体にはアルミンによって書かれた魔術の模様を隠すように塗装が重ねてある。
「相変わらず立派な船だな。壊してしまうのが申し訳ない」
「船はまた作ればいいけど、命は一度きりだよ」
アルミンの言う通りなのだが、壊してしまうのはもったいないと思ってしまう。
壊れた船の代金くらいはアンナ様にお願いしてみるか。
「それより整備も終わっているから無茶しても問題ないよ」
「それは助かる」
春から初夏は川に浮かべることもできないので、船倉で整備をしている。アルミンの船はすでに整備も終わって完璧な状態のようだ。
確認が終わった船を川の近くまで持っていく。
川に降りるための下り坂の手前で船を止める。川は予想通りに濁流になっていた。
「これを渡るのか」
「今からでもやめない?」
濁流となった川はうねっているだけではなく、氷の塊や木などが流れている。
なんの対策も無しに渡れば流されるだけではなく、すぐに転覆してしまうだろう。
川を目の前にすると船を出すことが無謀なことだと理解させられる。
それでも魔眼があればどうにかなるだろう。
「飛べれば楽だったんだがな」
「この距離でも飛ぶのは無理なの?」
「技量も足りていないし、魔力も足りないな」
浮く程度ならできるが、飛ぶとなると難易度が上がる。
魔法眼の持ち主であるヴェリですら飛ぶのは無理だった。飛ぶなら羽が欲しいと言われたが、人間には羽なんて生えていない。
不可能な方法を考えても仕方がない。
川が落ち着いている場所がないかと探すが見当たらない。
「船に荷物を積むのはここでやるしかないか」
「どうやって川に船を下ろすつもり?」
「かなり荒っぽいが、船台ごと突っ込む」
アルミンは頭を抱えて「無茶だよ」と呟いた。
オレも無茶だと思うが、他に方法が思いつかない。
少し待ってもアルミンから他の方法は提示されなかった。船台が流されしまうが、他に方法がなさそうだ。
アルミンと船の位置を決め、輪止めで船台の車輪を止める。
船を牽引していたヘルプストに氷砂糖を与えていると、アンナ様と侍女のイナが近づいてきた。
オレが船を下ろす方法を説明するとイナが顔を引き攣らせた。どれだけ無茶なことをするか分かったようだ。
「アンナ様、おやめになりませんか?」
「他に方法がないのでしょう?」
アンナ様が濁流となったカルトフルスを見ながらイナに返事をした。
イナも川を見て何も言わなくなった。
「ゲオルク、その馬は?」
「わたくしの相棒ヘルプストです」
「随分と立派な馬ですね。触っても?」
「どうぞ」
アンナ様は馬が好きなのだろうか、ヘルプストを撫で始めた。
すぐにアンナ様がこちらに顔を向けてきた。
「ゲオルク、この馬は軍馬ではありませんか?」
思わず視線をずらしてしまう。
まさか撫でるだけで軍馬だと分かると思わなかった。
「ええっと……」
「軍馬は買えるものではありません」
「わたくしは徴兵され内戦で戦いまして……」
どうしても濁すような口調になる。
オレの濁した言葉で理解したようで、アンナ様は軽く頷いた。
「我が領からも徴兵はされていましたね。気づかなかったことにいたしましょう」
「ありがとうございます」
オレはアンナ様に深々と頭を下げる。
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